まるぞう備忘録

無題のドキュメント

【同行二人ツーリング】 メモ。死について。

2020-09-09 09:01:17 | 陰と陽の理論


 私とまるぞう号のツーリングメモ。
 このツーリングが終わる時。私達が「死」と呼んでいるものについての小説話。



肉体は自分自身の寿命を知っている。

 まるぞう号の肉体部分。肉体は自分の寿命を知っています。寿命とは元々体内の細胞にセットされたタイマーだから。誕生してから一定期間経つと、自ら老化現象を開始し、そして設定された期間が過ぎると体内の細胞の機能が停止するように出来ています。だから肉体は自分が設定した「寿命」については知っている。
 そしてその寿命に従ってこの世を離れるのはごくごく自然なことです。それは大往生と呼ばれこの世の去り方の中では、最も美しいスタイルの一つであると思います。

 肉体がこの大往生を迎える時、身体は栄養どころか水分も欲しなくなります。ゆっくり静かに枯れていく段階に入ります。
 だからこの状態では、肉体の手仕舞いが進行するまま。枯れていく状態を妨げないことが大切であると思います。点滴や栄養などを与えず、自然に枯れていくのが理想。というのが私の個人的な素人感想です。(あくまで個人の素人感想であり医学的にどなたかに勧めているわけではありません。該当する方はきちんと医療の専門家の指示を仰いてください。)



 ただ大往生では無い時。寿命ではない死の場合、肉体はその時期を知りません。肉体の全細胞は最期までなんとか、寿命の設定時期が来る大往生のその時まで、肉体の生命活動を維持しようと最善の努力をします。

 ただどうしてもダメだ。というポイントを過ぎた時点で、肉体を閉じる活動に移行します。
 何とか生き延びようとするから、人は痛みを感じたりするのであり、その「死の手仕舞い」のステージになってしまうと、人は痛みも苦痛も感じなくなると言われています。(いくつかの臨死体験の証言より)



自我は死を知らない。

 そしてまるぞう号の自我の部分。自我は全く死の時期を認識しません。それより「自分がいつか必ず死ぬ」ということを忘れている。

 不幸なことに自我が自分で命を絶ってしまう。そのケースですが、それでも自我は本当の死をしっているわけではありません。
 ただ「苦しさから逃げる」という手段として「自分で絶つ」という選択しているだけです。

 だから自我は本当の死を知らないし、普段は自分が死ぬことすら意識していない。見ないふりをしているといっていいかも。



期間という概念より、大切なのは深さ。

 さて私は。。。私は正直「死」にはそれほど拘(こだわ)っていません。
 私は、今回念願のまるぞう号を借りることが出来て、走ることが出来ました。やった〜。
 だから「はい。これで終わりです。まるぞう号返却お願いします。」と言われれば「あ。そうですか。」とお返しします。いつ終わるかは拘(こだわ)っていないからです。

 だって正直期間の長さってあんまり関係ないんです。長いと良い。短いと悪い。と感じたことはない。強いていうと深さが重要かな。

 自我が「死を意識しない」に対して、
 私は「いつも死を意識している」という表現に近いかも。
 正確には「いつ終わりですと言われても、はい、そうですか。といつでも自然に受け入れられる」という感じでしょうか。という心象風景です。
 


 それに対して、ちょっと複雑なのが、私がまるぞう号と同一化したまま亡くなった場合。私という運転席の視点を忘れたまま、まるぞう号の自我を私自身だと思い込んだまま、死んじゃった場合。
 最終的には、「まるぞう号の自我」という錯覚から、私に戻るのですが、その時は「スッポン!」といけばいいのですが。死んだあと錯覚の残像から目覚める時は、ちょっと痛い。苦痛を感じるかも。という、これまた個人的な心象風景です。




おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
==========
私のわたし号の特性(自我の?)として「怒り」があり、今までそれが原動力だったり自分を守る術だったりしたのですが、これからの私はそれは卒業したいなと思っています。でもそれはわたし号の特性としてあるけど、その時はわたし号ではなく運転しているわたしの位置に戻ってかわす(コントロールする)ということで卒業(手放す)する必要はないのでしょうか?ピントがズレていたらすみません?

→ 半分は自我にハンドルを任せて、半分は私がハンドルを握る。というところが人生の醍醐味であると思います。
だから自我が怒っている時は、自我にハンドルを任せてみる。ただしその場合は、(ハンドルは自我に預けても)私は運転席の視点から観ていることがコツであります。

==========
陰陽の視点でみて納得しているものでも、自我がいやだー!と叫んでいるのが正直ありました。
が、ツーリングのシリーズをそれに重ねてみると、
なるほど〜おもろいな〜やってやるかー!という視点を持てそうです。
器が広くなるツボのようですね。

→ ありがとうございます。
自我と肉体のまるぞう号を愛おしく感じる。という点が今回のメモであります。(これまでの先人たちはそれらを否定して克服すること。という時代もありました。)

==========
時間に余裕を持ってスタートするのが私の課題です。
目的地に着いてぼうっとできる位、早めに行動する事をこれから心がけます。人生が変わるかも…

→ 早めに到着することが厄除けであるということはいかがでしょう。無駄に見える時間ほど代償として厄を払っている。
無駄のないギリギリばかりをいつも狙っていると、ある日ドンとまとまってしっぺ返しが来るから。普段から、あちらでぼおっとする時間を持つくらい無駄な時間をわざわざ作る=厄落とし。という仮説です。

どちらにしろ支払わなければならないのなら、まとまってドンと請求されるのではなく、日頃からこまめめに小さい額で支払っておく。

==========
嫌って悩んでばかりいた自我にも大きな愛情が必要なんですね。とてもわかりやすくて、目が覚める思いです。

→ はい。まるぞう号。大切な愛車です。

==========
まるぞうさんの「どこまで極められるか」の中に、「支配欲を制御する」はないでしょうか???

→ 制御する=悪いものだから抑える。
ということはありません。

正確に言うならば、抑えようとすればするほど奥に隠れていく。制御しようとすればするほど制御できなくなる。

私の自我が他人を支配したいという衝動を持つなら、それも愛すべき特質です。ハンドルをそういう自我に預けてみよう。
ただし私は運転席の視点から。もし崖に落ちそうになったら、逆ハンドル。

魂の太さ=挫折から這い上がった回数。だから。大切なのは経験値の厚みだから。肉体と自我の限界を持つまるぞう号を借りた理由。

==========
そして公の心が表面化する時代だそうです。他人の喜びは自分の喜び、パチンコやゲームなど遊ぶ類はなく他者=自分が必要とされ働く世界、住人皆が1つの家族という認識の世界のようです。

→ 善に強いためには悪にも強くなければならない。ハンドルが半分半分。という心象風景はいかがでしょう。

==========
いつも興味深い考察、楽しみに拝見しております。まるぞうさんの考察の中で私、まるぞう号、自我の関係は近々展開されそうな半霊半肉との関係性で言えばどの様にお考えでしょうか。

→ 良くわかりませんが、きっと半私半まるぞう号。
まるぞう号に全て呑み込まれるのではなく。
まるぞう号(肉体と自我)を全て否定するのではなく。
まるぞう号を愛おしく大切に思う気持ちでありながら、運転席からの視点を維持する半分半分。というメモはいかがでしょう。

==========




本ブログに共感される方はクリックのほどよろしくお願いいたします。

にほんブログ村ランキング



■ブックマーク
備忘録検索(β版)
画像ライブラリ

■防災意識リマインダー
防災に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら


■地震雲写真投稿方法
地震雲(飛行機雲のように短時間で消えない立ち上がる雲)を目撃された方は、雲の御写真と目撃情報を下記のメールアドレスにお送り頂ければ幸いです。
ohisama.maruzo@gmail.com
御写真とともに送って頂きたい情報
・目撃された日時(何日何時頃など)
・目撃された場所(県名や地名など)
・目撃された方向(可能なら)
地震雲かわからない方は地震雲の見分け方をご参考になさってください。
(個人情報は厳重に管理し、私以外の第三者に投稿者のメールアドレスなどの個人情報を開示することはありません。また御写真の画像情報や機種情報は消去いたします。人物が特定できる映り込みなどのぼかし加工もこちらで対応いたします。なおお送り頂いた御写真と目撃情報は関連サイトにも掲載させて頂くことがあります。)

■非掲載希望のコメントについて
1.公開を希望しないコメントは投稿しないでください。基本的に投稿されたものは他の読者の方の目にもふれるとお考えください。
2,どうしても公開されたくないメッセージを送りたい方はメールでお願いします。
ohisama.maruzo@gmail.com
3,ただしメールでお送り頂いた内容に対し、私はメールで返信をお送りすることは一切ありません。一方通行となります。
4,上記のようにコメントは原則公開ですが、炎上つながる場合や個人情報が含まれている場合、読者間での私信コメントは、私の判断で非公開とする場合があります。

■引用転載について
本ブログは引用元をあきらかにしていただければ、ブログやSNSでの拡散は許可いたします。