定年が間もない捜査二課の係長、谷底(たにそこ)は今年で奉職40年のベテラン刑事だ。生憎(あいにく) 、出世には縁遠かったが、それでも二年前、ようやく警部補に昇任し、満足している・・といった程度の男だった。当然といえば当然だが、それまで巡査部長の身で若い係長の坂木に顎(あご)で使われていた鬱憤(うっぷん)からか、最近は部下の新任刑事、百合尾(ゆりお)を、逆に係長として顎で使って鬱憤を晴らしていた。その谷底がここ数年、はっきりいえば昇任試験に合格した直後から難事件に遭遇していた。かなり大規模な贈収賄事件の捜査である。相手はしたたかな実業家、石田だった。当然、税務署のマルサとの競合もあり、トラブルにならないよう情報面の連携は密(みつ)にしていた。
「かれこれ、三年になりますが、やつは、なかなか尻尾(しっぽ)を出しませんね、係長」
「ああ、そうだな…」
谷底は係長と呼ばれた響きに酔いしれながら、石の上にも三年か…というウットリ気分で小さく返した。谷底と部下の坂木は公園の石畳の上に備え付けられたベンチに座って石田邸を見下ろしていた。張り込みには格好の場で、ほとんど毎日といっていいほどここで張り込む二人だった。
「係長、知ってますか?」
「なにを?」
「どうも、捜査本部が解散らしいですよ」
「まあ、だろうな…。さあ! 今日はここまでにするか…」
谷底は長引いた捜査をふと思い、諦(あきら)め口調で呟(つぶや)いた。が、内心ではもう一度、係長と呼んでくれ! とウットリしていたのだった。そんな谷底の気持を知ってか知らずか、石田が動いた。石田を乗せた高級車がガレージを出たのである。
「オッ!!」
二人は俄(にわ)かに色めきたった。
「どうします?! 係長!」
「馬鹿野郎! 訊く奴があるか。行くぞっ!」
口で怒った谷底だったが、心はウットリ和(なご)んでいた。二人は走って覆面バトカーに飛び乗った。ペンチから立ち上がった二人のズボンの尻(しり)には、苔(こけ)がビッシリと張りついていた。
完