生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

花の使命

2017-01-02 04:03:05 | 日々の暮らし
午前3時今日はジャズを聴きながらコーヒーを飲んでいます。

シスター渡辺和子さん(89才)が30日死去されました。

著書
「置かれた場所で咲きなさい」
「見えないけれど大切なもの」
「心に愛がなければ」
「マザー・テレサ
愛と祈りのことば」

などを読ませて頂きました。

マザーが来日の時にそばで通訳されていました。

私は「花の人生」という章に心を惹かれファンになりました。

ある人から頂いた
英文の詩。

『神が置いてくださったところで咲きなさい。
仕方がないと諦めてでなく「咲く」のです。

「咲く」ということは自分が幸せに生き、
他人も幸せにするということです。

「咲く」ということは周囲の人々にあなたの笑顔が私は幸せなのだということを示して生きるということなのです。

〃神が私をここに置いてくださったそれは素晴らしいことであり、ありがたいことだ〃と

あなたのすべてが語っていることなのです。

「咲く」ということは他の人の求めに喜んで応じ自分にとって、

ありがたくない人にも決して嫌な顔、退屈気な態度を見せないで
生きることなのです』。


この詩を読んだシスターは、
人間は一人ひとり花である。

小さい花もあれば大きい花もあり、早咲き、遅咲き、色とりどりである。


店頭に飾られ、買われてゆくのもあれば、

ひっそりと路傍で「花の一生」を終えるのも多い。

花の使命は咲くことにある。

他の花と比べて優劣を競うことにもなければ、何処に置かれるかにもなく、

自分しか咲かせられない花を一番美しく咲かせることにある。

置かれたところで、

精いっぱい


咲くこと。

それが、花を美しくするのです。

「主よ、変えられないものを受け容れる心の静けさと

変えられるものを
変える勇気と

その両者を見分ける

英知を我に与え給え」

(ラインホールド・ニーバー)

変えられるものは、勇気をもって変えねばならない。

しかし、変えられないものは、心静かに受け容れるのだ。

置かれたところで、

自分の花を咲かせる

自由がある。

神が置いてくださったところで、今日も咲こう。

人の目には場違いとしか思えなくても、


神のなさることに間違いはない。

とにかく、置かれたところで美しく幸せに咲くこと。

他人の心を癒し、

幸せにするような花であること、

そのような生き方をすることが、

信仰を持って生きるというのかも知れないと

思うこの頃である。


(渡辺和子)



いつも私の心の支えになっている言葉です。


ご冥福をお祈り致します。


アーメン


合掌
コメント
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