仏教用語に「寂寞(じゃくまく)」があります。
生きることのもの寂しくひっそりしていることの意味があります。
賑やかばかりでなく、寂しさも感じさせる人が信頼されるようです。
『すこしも暗黒がないとしたら、人間はその身の堕落に気づかないであろう。
すこしも光がないとしたら、人間は救いを願わないであろう。
自分のみじめさを知らずして、神を知ることはできない』
(パスカル)
人に暗いところがあるのは、人間としてまともに生きている証拠である。
暗いから、神はほど遠いと自覚すると述べています。
親鸞も同じ事を述べています。
自分は『煩悩具足の凡夫』だから阿弥陀様にすがるしかないと述べています。
キリスト教も懺悔の時間があり過ちを許して頂きます。
私は懺悔ばかりです。
人の世は一人では生きていけません。
寂しさと孤独も必要なものだと思います。
ここの仲間がいるから今は孤独ではありません感謝。