生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

ルルドの祝日

2017-02-12 06:07:11 | 日々の暮らし
昨日は目白の椿山荘の前にある、聖マリア大聖堂で行われたミサに参加して来ました。

少女ベルナデッタが、1858年2月11日フランスのルルドの洞窟で
聖マリア様の出現を発見した日です。

ヨハネパウロ二世はこの日を
「ルルドの祝日」とし、世界病者に祈りを捧げました。

(共同祈願)

主よ私たちの祈りを聞き入れて下さい。

医療にたずさわる人のために祈ります。

あなたの癒しの力を、病む人々の心と体にもたらすことができますように。

福祉施設にすべてをささげる人々に、あなたの力強い助けをお与え下さい。

苦しむ人々の間におられるキリストと出会いあなたの慈しみを知ることができますように。


このあと、一人ずつ司教の前に出てパンを頂きます。

私は洗礼を受けていないキリスト信者ですので、頭を下げてお言葉を賜りました。

「イエスキリストのお力を貴方に与えられますように。」

とお言葉を賜りました。

大聖堂の司教様のお言葉を頂けて

清々しい気持ちになりました。

この体験を今日からの

現場に生かしたいと

思います。


皆様にもマリア様の


お慈悲がありますように。


私は他の神様には頼めない

大きな私欲を

お願いしています。


笑顔で聞いてくれている気がしています。


合掌
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足るを知る

2017-02-11 05:14:10 | 日々の暮らし
「欲しいものより、

持っているものを意識する」

(リチャード・カールソン)

「吾唯足知(われただ足るを知る)」

京都、龍安寺のつくばい(竹筒から出てくる水で手洗いする手洗い鉢)に書いてある言葉。

今あるものに感謝するという意味。

「足る」と思うか、思わないか。

「これしかない」と感じるか

「これだけある」と感じるか。

それによって気持ちは大きく異なります。

ものの豊かさでは、

幸せの度合いは測れない。

物がなかった幼い頃でも、幸せを感じていましたから。

私は最近、何故か

聖母マリア様を身近に感じることがあります。


今の導きを感じています。


少し私も意識してみようと思っています。


今日は都内で

奇跡の水(ルルドの水)を求めに

行きます。



今日の佳き日に


合掌
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雨でも晴れでもいい

2017-02-10 05:21:45 | 日々の暮らし
来月から新しい職場につきます。

さらに新しい事ができる喜びを感じています。

まだまだ必要とされている事に感謝しなくては。


そのような事を考えながら今日感じた言葉を紹介したいと思います。


『望んでいるものは

向こうからやって来る』


(本当なんだなあ!)


『道は目の前にある』

(迷うことなく、信じた道を進めばいい)

『洗心(せんしん)』


(汚れた体や衣服を洗うように、

汚れた心を洗う。

忙しい仕事や用事から

、いったん離れて心の

動揺を静めましょう)



『神とは何か、成功と

は何か、悟りとは何か

と問うのはまだ気づい

ていないからだ』

(ヒントは至るところにある。

見つけられないだけ。
すべては心の中にあるものだ)


『雨奇晴好(うきせいこう)』

~中国の詩人、蘇東坡~


(雨が降ってもいい。

晴れてもいい。

雨だから残念がるのではなく、

晴れだから家でやりたかったことができないと残念がらずに、



物事のいい面をとらえて、

前向きな明るい気持ちで生きていくのがいいのです)

つれづれに書きました



今日の気づきになれば


合掌
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厄除けお守り

2017-02-09 03:37:19 | 日々の暮らし
昨日は悩み相談を受けました。

写真に写った獸に苦しめられていると。


霊感の強い人にありがちな現象。
または、守護神がいないとか、その地が死者の通り道(お寺とお寺がつながる線上)
とか、
優しい人とか、

美人とか、

同じ趣味の人とかに

寄ってくる浮かばれない霊がいるのではと
私は思います。

専門の神社仏閣などに行ってお浄めすることをおすすめします。

それと、お守りをもつことをおすすめします。

交通事故など。

私はお守りを開けたら木札が真ん中からまっぷたつに割れていた時がありました。

振り返ると、夕暮れ時に海岸線を飛ばしていたらおばあさんが道路を渡っているのが見えました。

距離的に渡り終えると
思ってそのまま行き過ぎようとしましたが、何かを感じて減速しました。

予感が適中してリヤカーを引いていたのが見えたのです。

しかも荷台には長い竹のような物を積んでいたので倍の長さでした。

その竹を引っかけたらリヤカーごとおばあさんが飛んでしまいます。

急ブレーキを掛けました。車は反転して逆方向に向いて止まりました。

こんなテクニックなど私は知りません。

おばあさんは何もないのか農道を歩いていました。

反対側車線にはトラックが来ていましたから
大事故になる所でした。

前日にスタンドでラジアルタイヤに変えたばかりなので滑らずに止まってくれたのも助かりました。

その時のことを思い出したのです。

20代の時の事です。

交通お守りがまっぷたつに割れていた。

あれから、お守りを大事にしています。
合格お守りも。
私はお守りを作って持っています。
自分の宗派のお経、
般若心経を写経したり、
キリスト経の方は
聖書を写経するのは大変ですから、好きなヶ所を写経すればいいのでは。

迷える羊、家と土台、放蕩息子、タラント(お金)の話、山上の説教、人を愛する教え、
人を許す教え…。

そんなのが売っていればいいのですが。


横着者ですから。

守護神をたくさん持って身を護って下さい。

災害や人災など、
何が起きるか分からない時代ですから。


参考までに


今日の佳き日に


合掌
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恨みを売る

2017-02-08 04:31:32 | 日々の暮らし
生まれながらに身寄りのないおばあさんがいました。

生活保護を受けて老人ホームに入って来ました。

生まれて来た事を恨み、知らない両親を恨み、数々の仕事場でいじめられたことを恨み、

とうとう倒れてしまった。
そんな人生に、
私には神様なんていない。

家族もご先祖様もない。
恨みだけの人生さ…。



そうでしたか、

とてもお気の毒な人生だったのですね。

それなら「恨みを売ったらいいでしょう!」

え!

どうしてそんなもの売れるの?

いいですか、

今日はお風呂に入る日ですね。

その時、体中を丹念に洗い、

体や髪に染み付いた

恨みを洗い落として

来てください。

それから、ある所に

一緒に行きましょう。

おばあさんは半信半疑でお風呂に行きました。

綺麗にさっぱりした

おばあさんが帰って来ました。

では、これからお布施に行きます。

え!

私はお金などありません。

お布施などできません。


老人ホームの玄関横にお地蔵さんがありますね。

そこに、綺麗になった体で、

おちゃわんに

水を一杯入れて

持って行きましょう。

それが、おばあさんの

精一杯のお布施なのです。

お地蔵さんに、

「恨み」を買ってもらうのです。

さあ、お地蔵さんに頼んで恨みを捨てましょう。

これからは、皆に喜んでもらうために、

おばあさんができる事をしましょう。

それがお布施なのですから。

これから、辛いことがあったらここに来て拝んで下さい。

もう一人でないと気づきますよ。


おばあさんは


にっこり


うなずきました。


(自作品)



今日の佳き日に


合掌
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