生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

神と皆様に感謝

2019-08-29 01:40:21 | 日々の暮らし

今日は昨年脳梗塞で倒れ、今だに意識が戻らない姉を見舞いに寅さんの住む町、葛飾柴又に行きます。

近くの亀有の病院跡地を利用した老人施設に療養しています。 そこで姉の旦那(藤沢の由緒あるお寺の次男さん)。 と待ち合わせ食事をします。

二人ともお寺の跡継ぎの話を断ってしまった境遇からか気が合うので楽しみです。

私の大好きな話しをまた得意気に話してしまうでしょう。(笑)

 

ゲーテは「自分の心をみつける言葉」の中で 「一人の人を愛する心は、どんな人をも憎むことができません」 と述べています。

子供を含め 本当に恋をしていたり、愛する人がいる人は、誰一人憎むことがないといいます。

皆さんも憎む人がいないのは人を愛しているからです。 また、「人々は愛によって生きているが、自分に対する愛は死の始まりである。 これにひきかえ神と万人とに対する愛は生の始まりである」 とトルストイは述べています。

心を表した言葉です。

私は今は誰も憎む人が いません。 神様と皆様を愛しているからです。

ただし、罪を平気で犯す人がいます。 京都アニメ会社の放火事件など。

人が悲しむ事をする人を憎みます。 自分を愛して悔い改めないからです。

人は罪深きものです。 イエスは罪を犯した女性を罰しようとしていた民衆に、過去に罪を一度も犯した事のない者から石を投げよ! と言ったら長老からその場を去り、誰もいなくなったという。

人は誰しも罪を犯すものですが、神はそれを悔い改めるために懲 (こ)らしめるのです。

罪は神が見ているからです。

 

もし、お酒を飲むのも罪ならば、私は毎日罪を犯しています。 その罰で人様の手助けをさせられているのだと思っています。

自分の心を見つめる事も心の浄化になるのです。

 

義兄と姉に会う楽しみと沢山の読者がいる喜びに感謝して        合掌

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神の国

2019-08-28 00:20:48 | 日々の暮らし

「神の国は君たちの中にあるんだよ」 (聖書ルカ17-21) 神の国はいつ来るのかとパリサイ人に尋ねられた時、イエスは答えて言われた言葉。

神の国とは、神の思いが実現するところ。

それは、夢のような特別の場所にあるのではなく、私たちの中にもうすでにあるんだよという言葉です。

苦しむ人、悲しむ人、助けを求める人に自分ができることをしていくこと。

お互いのあやまちを許し、受け入れてそれぞれみんな中にいる神の存在に気づくこと。

その時そこにもう神の国はあるんだよというメッセージです。

 

空海も同じような事を言ってました。

「仏は外にいるのではなく、丹田(たんでん)にいる。」と

丹田とはへそ下で気力が集中する所です。

 

神の国に    合掌

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神様からのプレゼント

2019-08-26 14:43:45 | 日々の暮らし

私は神様からたくさんのプレゼントを頂いています。

困ったなあと思う時に、誰も発想できない知恵(ひらめき)を頂きます。

鈍感な私がすぐに解決できる知恵などでるわけがないから分かるのです。

また、たくさんの言葉を頂いています。

迷っている人にタイムリーな言葉となり感謝されています。

そして神様からの重要な贈り物が誕生日です。

一日一日を生きる命は神様からのプレゼントなのてす。

神様もういりませんという方もいるかも知れません。

欲しくても貰えない人が多いのですからありがたく頂きましょう。

1日1年を精一杯生きたご褒美が誕生日なのです。

たくさんの神様からのプレゼントに感謝

                 合掌

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救いの言葉

2019-08-25 00:58:20 | 日々の暮らし

今日は般若心経より 『依般若波羅蜜多故』 (えはんにゃはらみったこ) という言葉を紹介します。

直訳すれば心に妨げるものがなくなったという意味です。

例えば何かどじな失敗をしても相手の気づかいで気持ちが救われたということなどです。

作家の向田邦子さんが 『言葉が怖い』という講演で述べたというエピソードがあります。

渋谷で映画を観た帰り住まいの祐天寺まで切符を買うのを、間違えて渋谷までと言ってしまいました。

すると駅員さんが 『ただですよ』と笑って言ったそうです。

向田さんは、温かいユーモアで包んでくれた駅員さんに惚れてしまったそうです。

似たような言葉で 関西の人が東京に来て気がついた言葉に、 『ここにゴミを捨てる な!地主』 という看板をよく見ると指摘しました。

関西での看板では 『あんたがいらんもん は、わしもいらん』 だそうです。

 

依般若波羅蜜多故とは まさに、般若(智恵)と慈悲(やさしさ)が 含まれている言葉だと思います。

心掛けて ユーモアな言葉で人を 救いたいものです。       

                 合掌

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魔法の言葉

2019-08-24 03:40:25 | 日々の暮らし

私の能力は魂の声を聞くことです。

娘がいろんな友達から悩みを相談されているようです。

もしかして娘も知らぬ間に感じているのかも知れません。

霊感の強い女性が私の廻りにもいます。

私がそばに行くだけで空気が替わるといいます。 穏やかで悪い魂が消えるようだとか、見えていた霊が消えたとか安心すると。

ボランティア先の初めてのお年寄りからも言われます。 偶然だと思いますが、嬉しいです。

最近は霊の事を積極的に言わないようにしています。 認知症の症状があるのではと疑われる年齢になって来ましたので。

霊感の強い人には話しますが。

例えば教会に行ったときにオルガンを弾いている男性の背中に顔が張り付いていました。 隣の女性が背中に何か見えますか? と聞いて来ました。

彼女も見えるのだ。 はい! 魂が付いていますね。

何故でしょうね?

お寺の僧侶にも付いている人がいました。

あおり運転して報道された僧侶にもいたのでしょう。 悪い霊は神のしもべに使える人に誘惑の声を囁きにくるからでしょうか。

または、助けて下さい!と浮かばれない霊が寄ってくるからでしょうか?

霊感が強い人にもついてくる現象があります。

私は常に自分は力不足だから「神のお力をお借りしたい」と念じています。

「分かっているよ」と聴こえます。

毎日が事故と紙一重の所に生きているものです。

どちらに転んでも不思議ではないのです。

無事に過ぎたならば神のお力なんだと感謝しています。

これからも生きる力になる「魔法の言葉」を沢山たくさん賜りますようにと念じて。                  合掌

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