今日は昨年脳梗塞で倒れ、今だに意識が戻らない姉を見舞いに寅さんの住む町、葛飾柴又に行きます。
近くの亀有の病院跡地を利用した老人施設に療養しています。 そこで姉の旦那(藤沢の由緒あるお寺の次男さん)。 と待ち合わせ食事をします。
二人ともお寺の跡継ぎの話を断ってしまった境遇からか気が合うので楽しみです。
私の大好きな話しをまた得意気に話してしまうでしょう。(笑)
ゲーテは「自分の心をみつける言葉」の中で 「一人の人を愛する心は、どんな人をも憎むことができません」 と述べています。
子供を含め 本当に恋をしていたり、愛する人がいる人は、誰一人憎むことがないといいます。
皆さんも憎む人がいないのは人を愛しているからです。 また、「人々は愛によって生きているが、自分に対する愛は死の始まりである。 これにひきかえ神と万人とに対する愛は生の始まりである」 とトルストイは述べています。
心を表した言葉です。
私は今は誰も憎む人が いません。 神様と皆様を愛しているからです。
ただし、罪を平気で犯す人がいます。 京都アニメ会社の放火事件など。
人が悲しむ事をする人を憎みます。 自分を愛して悔い改めないからです。
人は罪深きものです。 イエスは罪を犯した女性を罰しようとしていた民衆に、過去に罪を一度も犯した事のない者から石を投げよ! と言ったら長老からその場を去り、誰もいなくなったという。
人は誰しも罪を犯すものですが、神はそれを悔い改めるために懲 (こ)らしめるのです。
罪は神が見ているからです。
もし、お酒を飲むのも罪ならば、私は毎日罪を犯しています。 その罰で人様の手助けをさせられているのだと思っています。
自分の心を見つめる事も心の浄化になるのです。
義兄と姉に会う楽しみと沢山の読者がいる喜びに感謝して 合掌