僕が書の作品や日記を書くとき、自分の力以上に書ける時がります。 神が書かせてくれた気がします。 音楽家からもよく聞きます。 考えずに作曲できたとか神が降りて来たとか。 一心不乱に集中すると力を貰えるものだと思います。 以前、松本幸四郎さんも『ドン・キホーテラマンチャの男』のお芝居について話していました。 その中で、大仏様の前でお芝居をした時、後ろから大仏様の声が聴こえて来たと言ってました。 大仏様の力を借りて演技に力が入ったようです。 また、『悲しみを希望に。苦しみを勇気に』 変えるよう演技を通じて観衆に訴えているそうです。 観ている人達が涙を流していたのを観ると、その気持ちが伝わっていると思ったと話していました。 あるトーク番組でスピルバーグ監督に 『あなたが、死んだあと、天国で神になんと言って迎えてもらいたいですか?』の質問に 『よく耳を傾けてくれたね』と神様に迎えてもらいたいそうです。 その気持ち分かります。 この小さな日記すら、書かされている、 神様の声が聴こえて来る気がしていますので。 「僕もよく耳を傾けてくれたね」と言われたいですね。 よく最後に合掌と書いているのは 神様から沢山のお言葉を頂いた感謝の気持ちを表しているのです。 神様ありがとうございました。 合掌
私が8月によく使う言葉に真帆片帆(まほかたほ)があります。 大海原を渡る風に真帆(順風の時、帆をいっぱいに張り、追い風で走ること)や片帆(横風の時、帆を一方に片寄らせて走ること)で操作しながら大海原を帆走する。 「涼しさや 淡路をめぐる 真帆片帆」 (正岡子規) 人生も順風の時ばかりではありません。 逆風の時、風向きの悪い時は、まともに受けず帆を半分にたたんで受け流していくことも必要です。 その内、追い風が吹いてくるから。 「人生の 大海原を 真帆片帆」 合掌