私はこの場所を開いて15年。
皆様に言葉を綴っていたのは前の東京オリンピックの頃からです。ガード下でゴザを敷いてやっていました。
警察に保護されたり…。
代々木体育館前、新宿三越前、池袋西武百貨店の横で手相、占いをしながら言葉を添えていました。
三越では社員食堂で占いをやらせて頂きました。
あの時の体験は何だったのか?
意味が分かりました。
神の声に従ったからだと。
不自然に何度も現れた窮地や天災に救われた意味。
その見返りに人を救う努力をしなさいとのメッセージ。
私のミスで5000人のメンバーを残して退会してしまったこと。
同じ管理者の村上様が私を復帰させた命の恩人のこと。
またスタッフに恵まれたこと。
これも神の力と感じています。
感謝しています。
皆様の力になればとこれからもスタッフ一同頑張っていきます。
合掌 アーメン
空海を始め、多くの僧が仏教を学ぶ為に、唐に渡りました。
時を経て、私は書の原典を求めて、長安(唐)の石碑林を訪ねて先人達の書風を学んで来ました。
長安はシルクロードの出発地なので、古代から旅立つ人に柳の枝を折って渡す習慣がありました。
きっと空海も多くの僧達も柳の枝をもらったに違いありません。
仏の修業とは、「何事も耐え忍ぶ修業」といわれています。
欲や嫉妬や怒りに降り回されたり、風が吹いても、雪に押し倒されても再び芽を出す柳のようになれとの願いから。
『冬は永遠に続かない
苦しみも永遠に続かない。
春がそっとやってくるように、知らぬまに辛い冬は立ち去り輝くばかりの春があなたを包んでくれる。
耐え忍んだ時に柳の心が分かるのだ』。
(昔詠んだ私の言葉)
柳の願いあなたに贈ります。
『日なたぼっこ』
古代では「日なたぼこり」と呼ばれていました。
平安時代の今昔物語に
『春の節になりて、日うららかにて、日なたぼこりもせむ』とあります。
日なたは「日向」と書きひのあたる方向、場所を表す言葉です。
ぼこりは「誇り」のことですが、当時は心が浮き浮きする、心が晴れ晴れする時にも使われていました。
日が当たる場所で、心が晴れ晴れした時に「日なたぼっこ」と使われたようです。
お年寄りには縁側でのんびり日なたぼっこして欲しいものです。
皆様はここで日なたぼっこしてください。
「頭のいい友は、人より先にまだ見ぬ所へ行ってしまった。
私はのんびり歩むためか、道ばたの見落としそうなものと出会っている。」
人の生き方は大きな浪漫を力に生きる旅人と、自然と共に生きる旅人に別れるのかもしれない。
私はさらに、わき道も行こうとしている旅人です。
『花がしぼんで木に影もなし』という言葉があります。
冬のあいだ花をつけない木は、死んでしまったのではなく、次の春に向けて花を咲かせるエネルギーを蓄えているのだという意味です。
だから焦らず、今は
『花がしぼんで木に影もなし』。
花を咲かせる為の準備をしているのだと自分に勇気をつけて下さい。
その信念が花を咲かせる栄養になるのです。
『明日は貴方の為にある』のです。
生きる力になりますように。