7年前の2006年、
静岡のSBSラジオのディレクターの方から出演オファーを戴きました。
私のこの「富士山が世界遺産に!」の一連の流れはここから始まる事になります。
その頃は、静岡主導の「自然世界遺産登録」が頓挫した後で、山梨側への賛同を得る為の動きが始まっていたと想われます。
その後・何度かラジオ局での出演の機会を戴きました。
その都度、不思議な事に富士山周辺の古代の聖地へ私を案内してくれる方が顕れました。
古代の磐座の前や、「富士王朝」といわれている場所に向けて、簡単なセットでの音出しが始まりました。
そしてそれも暫く、一旦納まったかの様に想われましたが、
再び3年前に河口湖町の「長内山荘」さんでの演奏のオファーが届く事になります!
一回目の演奏会では、ガスって1センチ先が真っ白で観えなくなった道でナビが磁気でバグって樹海に迷い込み、主催者の方に連絡を取って救出してもらいました!
それからもその場所では再び演奏会が実現し、
別件で富士市のホールでもピアノのコンサートの話が舞い込み演奏させてもらいました。
ポニーキャニオンさんからも、偶然にこの直後に富士山のDVDの音楽のオファーが届き、DVD BOXの仕事をさせて戴きました。
そして今年も、「癒しの富士山」2タイトルがリリースされています!
そして今回の、「富士山世界遺産登録」の河口湖町での演奏会に至ります。
でも・この話が、
我故郷、「熊野」が世界遺産になった時とそっくりなんです。
忘れもしません!
「高野熊野世界遺産登録」7年前和歌山の幼馴染から、
「松尾は熊野に入らなあかん!」の連絡で、
熊野本宮の民宿「小栗屋」さんに宿をとってもらう事となります。
それから何年観光で何度訪れた事でしょう。
いつの間にか気が付くと、世界遺産が決まる3年前から「熊野本宮大社」で奉納演奏をさせてもらっている事に・・・。
「高野熊野の参詣道」が文化遺産として決まった直後に、「熊野本宮大社」の宮司様から「世界遺産奉告祭」での演奏のオファーが届く事になります。
熊野も古い場所です。
何の文献も残っていませんが、
日本書紀や記紀に示されている神武天皇の元となる、アマテラスやイザナギ・イザナミの遥か以前の歴史を持ちます。
この時代の歴史は、支配する者によって改ざんされ残されているといわれていますが、
今も熊野三山では、それら源日本人の「ムスビノカミ」や「ケツミコノカミ」「ハヤタマノカミ」をしっかりと本殿に祀っていて、
日本を代表する「伊勢神宮」をはじめ、今の日本には何処にもない形態でこれが熊野の一番強力な魅力の根源です!
そして、富士の山梨側にも「宮下文書」というものが存在し、源日本人の9000年の歴史が辛うじて残されていて、
真偽の程は何も判りませんが、当時の熊野との交流も記載されたりしています。
どちらが古いかは今となっては計り知れませんが、
「縄文時代」と呼ばれている何千年前の古い時代に、この日本列島で人の営みがあった事は否めません。
熊野にも富士にも色んな祭儀があった事でしょう。
でもそれは古すぎて何にも残っていません。
ただ・その磐座だけは今も忽然と現れ、
私達に何かを問いかけています。
今回も、「富士山世界遺産」が決まった直後での「河口湖円形ホール」での演奏会!
日本列島がまだまだ大陸とツナガッていた頃、マンモスと一緒に遥か遠国から訪れた民・源日本人(縄文人)に敬意を称します。
それがなかったら・・・
今の私達はここに居ないのですから。