1982年24歳、
日本人初、BALI島でのガムランとの競演の奇跡のピアノ体験!
それは『パリ万博』でクラシック音楽の「印象派」ドヴュッシー達に影響を与えたチームで。
3歳よりピアノを弾き始めるも、10歳で早くも作曲と電気楽器への興味からピアノからは遠ざかり、
その14年後、このインドネシアツアーで再びピアノワールドに引き戻された事から数年はピアノ活動が復活するも、
再び電子音楽の世界へ。
それでもその私へのピアノワールドへの導きは終焉することなく、
さらに長い年月を経てその23年後の今から13年前2005年、
再び私にピアノを弾かせる機会が訪れる!
そして、ヒーリングピアノ1st.アルバム『赤いルン』は誕生し、
このアルバムに収録されている「ホピの夢」が降りた直後に前回のセドナ行が決まる。
さらに13年を経て、
機を熟しての今回のセドナ、世界進出へ!
『ヒーリングピアノ』の真価が問われる。