とおいひのうた いまというひのうた

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日中戦争

2007年06月13日 08時51分06秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
 (写真は、裏庭の満開の紫陽花です)

日中戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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日中戦争(にっちゅうせんそう)とは、1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)の間に日本と中華民国の間で行われた戦争を指すことが多い。1931年(昭和6年)の満州事変を起点として「日中十五年戦争」ととらえる見方も以前見られたが、最近は少数派である。中国では(中国人民)抗日戦争(【ちゅうごくじんみん】こうにちせんそう)或いは八年抗戦などと呼ばれる。

目次 [非表示]
1 呼称問題
2 日中戦争年表
2.1 1937年(昭和12年)
2.2 1938年(昭和13年)
2.3 1939年(昭和14年)
2.4 1940年(昭和15年)
2.5 1941年(昭和16年)
2.6 1942年(昭和17年)
2.7 1943年(昭和18年)
2.8 1944年(昭和19年)
2.9 1945年(昭和20年)
3 関連項目



呼称問題
当初日本では、支那事変(しなじへん)(最も早期には北支事変)と称しており、新聞等マスコミでは日華事変(にっかじへん)などの表現が使われる場合もあった。現在でも日本政府の正式な呼称は変らず、防衛庁防衛研究所戦史室や厚生労働省援護局、準公式戦史である「戦史叢書」、靖国神社や各県の護国神社では支那事変の呼称を使用している。しかし、マスコミでは日中戦争という呼び方が広く定着している。これは日米開戦(昭和16年12月)とともに、蒋介石政権は日本に宣戦布告し、日本側は「支那事変開時点始に遡って今回の戦争全体を大東亜戦争と称する」と定めたため、おおまかに「戦争」と認識されることが多いからである。さらにマスコミでは「支那」という言葉の使用を嫌って日中戦争と言い換える例が多い。 「事変」という呼称が選ばれたのは、「日本と中国が互いに宣戦布告しておらず公式には戦争状態にない」という状態を、事変の勃発当初から日米戦争の開始までの四年間、日本と蒋介石軍の双方が望んだからである。双方が宣戦布告を避けたのは両国が戦争状態にあるとすると、第三国には戦時国際法上の中立義務が生じ、交戦国に対して軍事的な支援をすることは、中立義務に反する敵対行動となるためである。これ以上の国際的な孤立を避けたい日本側にとっても、外国の支援なしには戦闘継続できない蒋介石側にとっても不利とされたのである。


日中戦争年表
※1936年までの経緯については十五年戦争参照


1937年(昭和12年)
7月7日 盧溝橋事件
7月11日 近衛文麿内閣、対中方針を発表し、天津に二個師団の増派を決定。
7月20日ごろ 盧溝橋付近で衝突再燃
7月25日 郎坊駅事件(鉄道駅での日中軍衝突)
7月26日 広安門事件(北京広安門で日本軍が中国軍より銃撃)
7月29日 通州事件(中国{冀東防共自治政府}保安隊による日本人虐殺)、天津駐留日本軍は中国軍攻撃開始。
8月 中ソ不可侵条約、中国共産党八路軍結成
8月13日 第二次上海事変
8月14日 渡洋爆撃開始
9月 日本海軍、中国大陸沿岸を封鎖
9月 第二次国共合作
9月14日 日本軍、北京・天津より南進を開始。保定攻略。
11月 国民政府(蒋介石)、重慶へ遷都
11月5日 日本軍、杭州湾に上陸。参謀本部は作戦区域を上海西部の蘇州~嘉興のラインまでと指示。
11月19日 日本軍、蘇州攻略。
11月27日 日本軍、指示を無視して戦線を拡大、無錫攻略。
11月29日 日本軍、常州攻略。
12月1日 参謀本部、南京攻略を許可。
12月10日 日本軍、南京攻撃開始。
12月12日 中国(国民党)軍の唐生智大将が南京から逃走。
12月13日 南京攻略、南京事件(規模、性質等を巡って論争あり。南京大虐殺論争参照)
12月17日 日本軍、南京入城式

1938年(昭和13年)
1月 近衛文麿、「国民政府を対手とせず」の声明
3月 南京に中華民国維新政府成立
4月17日 参謀本部、徐州攻略作戦を許可
5月 日本、国家総動員法公布
5月15日 中国軍、徐州放棄(徐州会戦)
5月19日 日本軍、徐州占領
7月~8月 張鼓峰事件(日ソ武力衝突)
10月 日本軍、バイアス湾上陸、広東占領、武漢三鎮を攻略
12月 汪兆銘が重慶を脱出

1939年(昭和14年)
2月 中ソ航空協定締結。日本軍、中国最南の海南島占領
5月~8月 ノモンハン事件(日ソ武力衝突)

1940年(昭和15年)
1月 汪兆銘、南京で親日政府樹立(南京政府)
9月23日 日本軍、仏領インドシナ北部(北部仏印)に進駐
8月~12月 八路軍、日本軍に対して大攻勢(百団大戦)
12月 仏印とタイが武力衝突

1941年(昭和16年)
1月 仏印とタイが講和
4月 米国、国民政府に5千万ドル借款成立、中ソ中立条約成立
5月 米国、対中武器貸与法発動
7月28日 日本軍、仏領インドシナ南部(南部仏印)進駐
10月 マニラで英米蘭中の軍事会談
12月8日 日本、真珠湾攻撃、のちに英米蘭に宣戦布告(太平洋戦争(大東亜戦争)勃発)

1942年(昭和17年)
1月 米国人スティルウィルが中国国民党軍参謀に就任
3月 米国 国民政府に5億ドル借款成立
10月 英米、中国における治外法権を撤廃(不平等条約の廃止)

1943年(昭和18年)
1月 延安で「日本人開放連盟」成立、前線の日本兵へ投降の呼びかけ

1944年(昭和19年)
4月 日本軍、大陸打通作戦開始

1945年(昭和20年)
8月8日 ソ連、日ソ中立条約を破棄し、満州国・朝鮮半島に侵攻
8月14日 葛根廟事件(ソ連軍、日本人避難民を虐殺)
8月15日 玉音放送(終戦の詔)、日本軍無条件降伏
9月2日 日本、連合国への降伏文書に調印
9月中旬 中国戦線の日本軍戦闘停止
1941年から1945年までについては太平洋戦争の年表も参照


関連項目
大東亜戦争
柳条湖事件
上海事変
満州国
731部隊
宋美齢
通州事件
戦史叢書
南京大虐殺
ザ・バトル・オブ・チャイナ
中国之怒吼
ティンパーリー
エドガー・スノー
ジョン・マギー牧師
国共合作
督戦隊
便衣兵
八路軍
中国共産党
中国国民党
この「日中戦争」は、歴史に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(歴史CP/歴史学CP/歴史PJ)

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最終更新 2006年12月17日 (日) 00:07。 All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. (詳細は 著作権 を参照)
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