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リーマン・ブラザーズ?

2008年08月25日 11時48分00秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
リーマン・ブラザーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

リーマン・ブラザーズ・ホールディングズ・インク
Lehman Brothers Holdings Inc. 種類 Public company
市場情報 NYSE LEH

略称 リーマン・ブラザーズ
本社所在地 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市セブンス・アベニュー 745
設立 1983年12月29日(創業1850年)
事業内容 株式および債券のセールス、トレーディング及びリサーチ
投資銀行業務
アセット・マネジメント
プライベート投資運用
プライベート・エクイティ
代表者 リチャード・S・ファルド・JR
(会長兼最高経営責任者)
資本金 224億90百万ドル
(2007年11月30日現在)
売上高 590億03百万ドル(2007年度)
総資産 6,910億63百万ドル
(2007年11月30日現在)
従業員数 28,556人(2007年11月30日現在)
決算期 11月30日
主要株主 AXAおよび関連会社 7.2%
ClearBridge Advisors, LLCおよび関連会社 6.53%
FMR LLCおよび関連会社 5.87%
(2008年2月15日現在)

ニューヨーク世界金融センタービル(2001年まで入居)リーマン・ブラザーズ証券株式会社
Lehman Brothers Japan INC. 種類 株式会社
本社所在地 〒106-6131
東京都港区六本木六丁目10番1号
六本木ヒルズ森タワー
電話番号 03-6440-3000(代表)
設立 2006年(平成18年)12月16日
代表者 ジャスジット・S・バタール
(代表取締役社長)
桂木 明夫(代表取締役社長)
資本金 441億33百万円
従業員数 約1,300人
決算期 3月31日

リーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)は、アメリカのニューヨークに本社を置く大手投資銀行である。1850年に創立。


名門投資銀行の一つとされており、最近日本などアジア方面への投資が目立つ。特に有名なのがライブドアへの投資(転換社債型新株予約権付社債)である。日本でのオフィスは六本木ヒルズの29~32階にあり、アジア太平洋地域の統括本部でもある.

歴史

リーマン兄弟による創業
南北戦争では、敗戦後のアラバマ州の復興を資金面で支えた。間もなく本部をニューヨークに移す。1870年にはニューヨーク綿花取引所が開設され、リーマンもこれに協力、エマニュエルは同取引所の取締役を1884年まで務めた。この頃、リーマンは鉄道建設債券市場に参入し、現在の主力業務でもある金融アドバイザリーを開始した。


金融機関への転換
1887年にはニューヨーク証券取引所の会員になる。1899年には、同社初となる社債の引き受け(International Steam Pump Company)を行った。社長のフィリップ・リーマンは、ゴールドマン・サックス(GS)との提携を進め、GSとともに20年間で100社以上の社債を引き受けた。

フィリップは1925年に退任し、その息子ロバートが跡を継いだ。世界恐慌を受けて、一時経営危機に陥ったものの、個人投資家や企業合併を積極的に支援することでこれを乗り切った。現在のリーマンのベンチャーキャピタル業務の原点である。

1929年、リーマン・ブラザーズから投資業務を分社化し、リーマン・コーポレーション(Lehman Corporation)を設立した。もっとも、経営陣の多くはリーマン・ブラザーズとを兼務していた。数年後、リーマン社史上の大きな転換点となる、資産管理業務に参入する。

社長ロバートは、リーマンの更なる成長と拡大を目指すにあたり、それまで続いてきた同族経営の体質を是正しようとした。1924年には、リーマン一族以外では初となる共同経営者ジョン・M・ハンコックを招き入れ、1927年にはモンロー・C・ガットマンとポール・メイザーが加わった。1969年にロバートが死去して以降は、リーマン一族が経営を支配することは無くなった。ところがこの結果、リーマンは社の大きな求心力を失ってしまうこととなる。この事態の打開のため、1973年には、ベル&ハウエル社のCEOピート・ピーターソンが経営に参加した。


改革の失敗
会長兼CEOに就任したピーターソンの主導のもと、アブラハム&カンパニーを1975年に買収。1977年には、当時経営が低迷していたクーン・ローブと合併し、リーマン・ブラザーズ・クーン・ローブ(Lehman Brothers, Kuhn, Loeb Inc.)へ改称。ピーターソンは、多額の赤字経営からリーマンを救済し、投資銀行の中でも特に収益率の高い、記録的な黒字決算を5年連続で実現させた。

こうして会社全体としては成長を続けたものの、花形である投資銀行業務を担当する社員と、その一方で実際の収益拡大にはより貢献していたトレーダー社員との間で確執が生じるようになった。このためピーターソンは1983年、社長兼COOでトレーダー出身のルイス・グラックスマンを共同CEOに就任させた。グラックスマンは賞与制度などの改革により、競争的な社風を築こうと試みたが、かえって社員の精神的ストレスの原因を作ることとなった。経営方針を巡り2人のCEOも対立するようになり、ピーターソンが追い出される形で、グラックスマンが単独CEOとなった。

こうした社内の混乱を嫌った社員はリーマンを去っていき、リーマンは崩壊の危機に瀕する。1984年4月、グラックスマンはリーマンの身売りを迫られ、同社をアメリカン・エキスプレスに3億6,000万ドルで売却。持株会社シアーソン・リーマン・アメリカン・エキスプレス(Shearson Lehman/American Express)を設立したのち、1988年、シアーソン・リーマン・アメリカン・エキスプレスはさらにE・F・ハットン&カンパニーを吸収、シアーソン・リーマン・ハットン(Shearson Lehman Hutton Inc.)となった。


再独立から現在
1993年に就任した新CEOハーベイ・ゴルブのもと、アメリカン・エキスプレスは事業の集中と選択を進め、リテール分野と資産管理業務をプライメリカに売却。1994年、さらにプライメリカが同事業を分離し、リーマン・ブラザーズ・ホールディングス(Lehman Brothers Holdings Inc.)として株式をニューヨーク証券取引所に再上場させた。

この再上場の後も、たびたび買収の対象として噂されたが、リーマンはこれを重ねて否定。実際、業績の推移は順調で、収益を拡大させていた。

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件での世界貿易センタービル崩壊により、隣接する世界金融センタービルに入居していたリーマンも影響を受ける。社員1名が死亡し、瓦礫でビルは使用不能。リーマンは事件後48時間で、インターネットの不動産サイトでニュージャージー州の施設を購入。間に合わせのトレーディングルームが設置され、6,500名の社員が移動した。9月17日にニューヨーク証券取引所が再開されると、リーマンはすぐに取引に復帰し、損失を最小限に抑えた。

その後数ヶ月をかけて、拠点をニューヨークに復帰させるも、未だ臨時であり、40以上の別々の建物に分かれて業務を行っていた。特に、投資銀行部門はシェラトン・マンハッタン・ホテルに入居し、1階のラウンジ、レストランから665の全客室までを改造して利用していた。フレックスタイム制の導入やVPNの活用など、新しい試みも見られた。10月にはマンハッタンのミッドタウン(745 Seventh Avenue, New York)にある竣工間も無い32階建てのビルを、ライバルのモルガン・スタンレーから7億ドルで買収。モルガン・スタンレーは2ブロック離れたブロードウェイに移転した。リーマンが以前の世界金融センターやロウアー・マンハッタンに戻らなかったことには批判もあったが、リーマン自身はニューヨークに拠点を残すことに腐心していた。新拠点は同社に取って理想的な環境であったし、モルガン・スタンレー側も売却先を積極的に求めていた。2002年5月の世界金融センター再開まで待っていられなかったということもある。世界金融センターに残った企業としては、ドイツ銀行、ゴールドマン・サックス、メリルリンチなどがある。

2008年3月に同じく大手証券会社で財務基盤に問題はないと繰り返し発表してきたベア・スターンズが事実上破綻(JPモルガン・チェースによる救済買収)した際に、株価が2日間で一時54%以上も暴落。財務基盤が盤石であったはずのリーマンブラザーズの流動性も心配される事態とまでなったが、その後、FRBによる証券会社への窓口貸出アクセス等の報道により株価は落着きを取り戻す。


関係者
岩崎日出俊
大久保清和
桂木明夫
川崎研一
木嶋謙吾
ポール・シェアード
保田隆明
横手信一
島尻安伊子 元社員。自由民主党参議院議員

関連項目
TSK・CCCターミナルビル

外部リンク
Lehman Brothers(英語版)
リーマン・ブラザーズ・ジャパン・インコーポレーテッド 採用セクション日本語サイト
この項目「リーマン・ブラザーズ」は企業関連の書きかけ項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 経済)。

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(後略)

最終更新 2008年6月9日 (月) 09:56。
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