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2008年8月28日(木)2時33分配信 毎日新聞
アフガニスタンで見つかった遺体が伊藤和也さんであることが確認されたことを記者会見で発表する山本一太副外相=東京・霞が関の外務省で2008年8月27日午後10時35分、古本陽荘撮影 [ 拡大 ]
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アフガニスタン東部のジャララバードで26日、非政府組織「ペシャワール会」(福岡市中央区)のスタッフ、伊藤和也さん(31)が拉致された事件で、外務省は27日、ジャララバード近郊で男性の遺体が発見され、伊藤さんと確認したと発表した。反政府武装勢力タリバンは26日、毎日新聞に対し伊藤さんを拉致、殺害したことを認めていた。01年のタリバン政権崩壊後も混乱が続くアフガニスタンで起きた日本人拉致事件は、発生翌日に最悪の結末を迎えた。
外務省によると、27日正午(日本時間同日午後4時半)ごろ、アフガニスタン政府からカブールの日本大使館に「日本人らしい遺体が発見され、ジャララバードに搬送中」との連絡が入った。外務省はジャララバードの病院に大使館員を派遣。同日夕、伊藤さんをよく知るペシャワール会の医師も立ち会い、頭髪やひげ、着衣などから、伊藤さんと確認した。
スパンタ・アフガン外相は高村正彦外相に、「伊藤氏はアフガンの人々を支援している最中に亡くなった。アフガン政府はこの行為を強く非難する」とのメッセージを寄せ、遺族らに弔意を示した。
ペシャワール会の福元満治事務局長によると、遺体が収容されたのは拉致現場のブディアライ村付近の谷間だという。
地元ナンガルハル州警察のタチャ本部長によると26日朝、通報を受けて捜索を開始。間もなく拉致グループを発見し、銃撃戦となった。拉致グループは伊藤さんの左脚に銃弾を撃ち込み、逃走できないようにした後に本格的に応戦。交戦は断続的に27日明け方まで続いた。警察は同日朝、伊藤さんの遺体を収容した。
本部長によると、両脚に銃で撃たれた跡があったほか、後頭部には鈍器のようなもので殴られた跡があり、陥没骨折していた。警察に拘束された拉致グループの一人は「大きな岩で何度も殴りつけた」と供述した。
ペシャワール会の中村哲・現地代表によると、同会の現地スタッフは「頭部と脚部に銃撃の跡があった」としている。
タリバンのザビウッラー報道官は26日、毎日新聞に対し伊藤さんの拉致を認めたうえで、「隠れ家に移動する際、アフガン当局に見つかって交戦となり、手に負えなくなって殺害した」と語った。別の報道官は「日本人は交戦に巻き込まれ死亡した」と述べていた。
ただ、ペシャワール会は拉致グループについて「地元部族住民で、タリバンとの関連は薄い」としている。
同会の中村代表は28日にジャララバード入りし、現地で伊藤さんの葬儀を執り行った後、同日午後に遺体をカブールに移送。検視を経て日本に運ぶ。遺体の日本到着は早くても2、3日後になる見込み。
伊藤さんは26日午前6時(日本時間同10時半)ごろ、アフガン人の運転手とともに、銃で武装した4人の男に拉致された。運転手は交戦中に逃げ出し無事だった。【鵜塚健、村尾哲、カブール栗田慎一】
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(私注:2001年 米軍の空爆がはじまった時に私は毎日ネットを監視していた。いろいろなことが思い出される。タリバンは無駄な抵抗を避け逃亡をはかったが、逃亡しつつ伝言者がペシャワール会に立ち寄り「自分たちは撤退する。あなたがたも気をつけてください」と言いにきていたことなど印象深く記憶に残っている。
当時もカーブルでは餓死寸前の人々がいた。空爆のなかをペシャワール会は小麦粉とサラダオイルを一番餓死の危険性の多い人々に配給した。餓死寸前者の多い中での配給なので混乱がおきてもおかしくない。が、タリバンが(自主的に)協力し、整理係を務め守ってくれたおかげで混乱はおきなかった。それだけに事件の事実究明は中村医師の報告を待ちたい。
それにしても、つい最近、ペシャワール会のHPで「地域に広がり始めた試験農場の成果」という記事を読んだばかりだった。それだけに伊藤さんの死は残念でならない。せめて伊藤さんをしのび、以下の記事を捧げたい。)
.......以下引用出典:ペシャワール会HPの《No.124 農業計画進捗報告
地域に広がり始めた試験農場の成果
2008年6月25日
担当 伊藤和也・進藤陽一郎・山口敦史
農業指導員 高橋修》......
《 はじめに ~大盛会の収穫祭~ 》
(中略)
.昨年の11月、ダラエヌールのカライシャヒ・ブディアライ両試験農場で収穫祭を開催しました。
提供した食事のメニューは、現地風に調理された日本米と大豆、サツマイモの菓子とチップスなど、ほとんど試験農場の生産物を使った料理です。
地域の長老達を始め大勢の農家が参加して大盛会となりました.......
現在成功し、力をいれている農作物は、日本米(収穫率が現地品種の1.5倍)、大豆、飼料作物ではエン麦が突出した好成績(引用:これまでの取り組みで夏期にはソルゴー、春から秋にかけてはアルファルファ、また冬期においてはエン麦が有望と認められ、それぞれ昨年から普及に努めてきました。
特にエン麦は、
①飼料が不足する冬期から春先にかけて2~3回の刈り取りが可能であり、
②現地で一般的に栽培されている小麦や牧草と同じ要領で栽培が可能である、
③また容易に自家採種ができる、
という三点で農家の評価が高く、一般農家への普及も順調に進行中です)、
除虫菊
(引用:除虫菊は日本では蚊取り線香の原料として知られていますが、現地ではマラリア蚊防除と農薬の自給という二つの効用が狙える貴重な作物です)
ついに始まった製茶
(引用:今から5年前、2003年の11月にパキスタンの試験場から貰った苗を定植した茶園と、2005年に日本で寄贈頂いた種子から育てた北部集落の茶園で、念願の春一番茶が大々的に摘み取れたことは今年一番のニュースです。
(中略)
それはそれでアッラーの神の見えざる手助けを有り難く頂きながら、お茶好きのアフガン人が毎日飲むお茶を少しずつでも自給できるように頑張っていきます。)
■幻のブドウ・ついに収穫へ
(引用:ブドウはこれまで毎年、実る寸前になるとことごとく近隣の子供達に盗み食いされ、悔しい思いをしながら肝心の食味が分からない幻のブドウの世話を続けてきました。昨年は心を鬼にして子供達を追い散らしましたが、やはり盗み食いが止まらないので本当の鬼になってやろうかというところまできました。今年はついにたわわに実った子実を収穫できる見込みとなりましたので一転気が和み、我々もアッラーの神ならぬ仏の心になりました。この会報が皆様の手に届いている頃には、きっと念願のブドウを「美味しい!」と農家達と一緒に味わっているはずであります。
(中略)
成熟間近の立派なブドウ、泥棒が心配)
■サツマイモを腹一杯食べてもらえるように
(引用:この冬は特に厳しい寒さの中での保存を終え、ようやく苗の芽が出た時にはホッとしました。これで我々の試験農場が2年続けてサツマイモ苗の生産・配布センターとして機能し、普及も軌道に乗ってきました。
(中略)
救荒作物として期待されるサツマイモ)
人材の育成を目標として
(引用)今後農業計画の成果を定着させるためには、作物だけでなく人材の育成がますます重要になってきます。その先頭を行くのはこれまで文字通り我々と共に働き、共に失敗に泣き、共に成功に喜びながら経験を蓄積してきた試験農場の担当農家達です)
(引用:アフガニスタンの農村を取り巻く情勢はあらゆる面で厳しくなっています。しかしそれでも現地の人達は明るく逞しく生活しています。日本でもアフガニスタンでも平穏な生活を求める願いは同じです。我々はアフガニスタンの人々が安心して食べていくために投じた一石が根付くよう、これからも一生懸命活動していく所存です。今後も我々の活動に変わらぬご支援を頂ければ幸いです。どうか皆様も平穏な日々と共にありますように。)
.....引用.出典:ペシャワール会HP
2008年8月28日(木)2時33分配信 毎日新聞
アフガニスタンで見つかった遺体が伊藤和也さんであることが確認されたことを記者会見で発表する山本一太副外相=東京・霞が関の外務省で2008年8月27日午後10時35分、古本陽荘撮影 [ 拡大 ]
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アフガニスタン東部のジャララバードで26日、非政府組織「ペシャワール会」(福岡市中央区)のスタッフ、伊藤和也さん(31)が拉致された事件で、外務省は27日、ジャララバード近郊で男性の遺体が発見され、伊藤さんと確認したと発表した。反政府武装勢力タリバンは26日、毎日新聞に対し伊藤さんを拉致、殺害したことを認めていた。01年のタリバン政権崩壊後も混乱が続くアフガニスタンで起きた日本人拉致事件は、発生翌日に最悪の結末を迎えた。
外務省によると、27日正午(日本時間同日午後4時半)ごろ、アフガニスタン政府からカブールの日本大使館に「日本人らしい遺体が発見され、ジャララバードに搬送中」との連絡が入った。外務省はジャララバードの病院に大使館員を派遣。同日夕、伊藤さんをよく知るペシャワール会の医師も立ち会い、頭髪やひげ、着衣などから、伊藤さんと確認した。
スパンタ・アフガン外相は高村正彦外相に、「伊藤氏はアフガンの人々を支援している最中に亡くなった。アフガン政府はこの行為を強く非難する」とのメッセージを寄せ、遺族らに弔意を示した。
ペシャワール会の福元満治事務局長によると、遺体が収容されたのは拉致現場のブディアライ村付近の谷間だという。
地元ナンガルハル州警察のタチャ本部長によると26日朝、通報を受けて捜索を開始。間もなく拉致グループを発見し、銃撃戦となった。拉致グループは伊藤さんの左脚に銃弾を撃ち込み、逃走できないようにした後に本格的に応戦。交戦は断続的に27日明け方まで続いた。警察は同日朝、伊藤さんの遺体を収容した。
本部長によると、両脚に銃で撃たれた跡があったほか、後頭部には鈍器のようなもので殴られた跡があり、陥没骨折していた。警察に拘束された拉致グループの一人は「大きな岩で何度も殴りつけた」と供述した。
ペシャワール会の中村哲・現地代表によると、同会の現地スタッフは「頭部と脚部に銃撃の跡があった」としている。
タリバンのザビウッラー報道官は26日、毎日新聞に対し伊藤さんの拉致を認めたうえで、「隠れ家に移動する際、アフガン当局に見つかって交戦となり、手に負えなくなって殺害した」と語った。別の報道官は「日本人は交戦に巻き込まれ死亡した」と述べていた。
ただ、ペシャワール会は拉致グループについて「地元部族住民で、タリバンとの関連は薄い」としている。
同会の中村代表は28日にジャララバード入りし、現地で伊藤さんの葬儀を執り行った後、同日午後に遺体をカブールに移送。検視を経て日本に運ぶ。遺体の日本到着は早くても2、3日後になる見込み。
伊藤さんは26日午前6時(日本時間同10時半)ごろ、アフガン人の運転手とともに、銃で武装した4人の男に拉致された。運転手は交戦中に逃げ出し無事だった。【鵜塚健、村尾哲、カブール栗田慎一】
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(私注:2001年 米軍の空爆がはじまった時に私は毎日ネットを監視していた。いろいろなことが思い出される。タリバンは無駄な抵抗を避け逃亡をはかったが、逃亡しつつ伝言者がペシャワール会に立ち寄り「自分たちは撤退する。あなたがたも気をつけてください」と言いにきていたことなど印象深く記憶に残っている。
当時もカーブルでは餓死寸前の人々がいた。空爆のなかをペシャワール会は小麦粉とサラダオイルを一番餓死の危険性の多い人々に配給した。餓死寸前者の多い中での配給なので混乱がおきてもおかしくない。が、タリバンが(自主的に)協力し、整理係を務め守ってくれたおかげで混乱はおきなかった。それだけに事件の事実究明は中村医師の報告を待ちたい。
それにしても、つい最近、ペシャワール会のHPで「地域に広がり始めた試験農場の成果」という記事を読んだばかりだった。それだけに伊藤さんの死は残念でならない。せめて伊藤さんをしのび、以下の記事を捧げたい。)
.......以下引用出典:ペシャワール会HPの《No.124 農業計画進捗報告
地域に広がり始めた試験農場の成果
2008年6月25日
担当 伊藤和也・進藤陽一郎・山口敦史
農業指導員 高橋修》......
《 はじめに ~大盛会の収穫祭~ 》
(中略)
.昨年の11月、ダラエヌールのカライシャヒ・ブディアライ両試験農場で収穫祭を開催しました。
提供した食事のメニューは、現地風に調理された日本米と大豆、サツマイモの菓子とチップスなど、ほとんど試験農場の生産物を使った料理です。
地域の長老達を始め大勢の農家が参加して大盛会となりました.......
現在成功し、力をいれている農作物は、日本米(収穫率が現地品種の1.5倍)、大豆、飼料作物ではエン麦が突出した好成績(引用:これまでの取り組みで夏期にはソルゴー、春から秋にかけてはアルファルファ、また冬期においてはエン麦が有望と認められ、それぞれ昨年から普及に努めてきました。
特にエン麦は、
①飼料が不足する冬期から春先にかけて2~3回の刈り取りが可能であり、
②現地で一般的に栽培されている小麦や牧草と同じ要領で栽培が可能である、
③また容易に自家採種ができる、
という三点で農家の評価が高く、一般農家への普及も順調に進行中です)、
除虫菊
(引用:除虫菊は日本では蚊取り線香の原料として知られていますが、現地ではマラリア蚊防除と農薬の自給という二つの効用が狙える貴重な作物です)
ついに始まった製茶
(引用:今から5年前、2003年の11月にパキスタンの試験場から貰った苗を定植した茶園と、2005年に日本で寄贈頂いた種子から育てた北部集落の茶園で、念願の春一番茶が大々的に摘み取れたことは今年一番のニュースです。
(中略)
それはそれでアッラーの神の見えざる手助けを有り難く頂きながら、お茶好きのアフガン人が毎日飲むお茶を少しずつでも自給できるように頑張っていきます。)
■幻のブドウ・ついに収穫へ
(引用:ブドウはこれまで毎年、実る寸前になるとことごとく近隣の子供達に盗み食いされ、悔しい思いをしながら肝心の食味が分からない幻のブドウの世話を続けてきました。昨年は心を鬼にして子供達を追い散らしましたが、やはり盗み食いが止まらないので本当の鬼になってやろうかというところまできました。今年はついにたわわに実った子実を収穫できる見込みとなりましたので一転気が和み、我々もアッラーの神ならぬ仏の心になりました。この会報が皆様の手に届いている頃には、きっと念願のブドウを「美味しい!」と農家達と一緒に味わっているはずであります。
(中略)
成熟間近の立派なブドウ、泥棒が心配)
■サツマイモを腹一杯食べてもらえるように
(引用:この冬は特に厳しい寒さの中での保存を終え、ようやく苗の芽が出た時にはホッとしました。これで我々の試験農場が2年続けてサツマイモ苗の生産・配布センターとして機能し、普及も軌道に乗ってきました。
(中略)
救荒作物として期待されるサツマイモ)
人材の育成を目標として
(引用)今後農業計画の成果を定着させるためには、作物だけでなく人材の育成がますます重要になってきます。その先頭を行くのはこれまで文字通り我々と共に働き、共に失敗に泣き、共に成功に喜びながら経験を蓄積してきた試験農場の担当農家達です)
(引用:アフガニスタンの農村を取り巻く情勢はあらゆる面で厳しくなっています。しかしそれでも現地の人達は明るく逞しく生活しています。日本でもアフガニスタンでも平穏な生活を求める願いは同じです。我々はアフガニスタンの人々が安心して食べていくために投じた一石が根付くよう、これからも一生懸命活動していく所存です。今後も我々の活動に変わらぬご支援を頂ければ幸いです。どうか皆様も平穏な日々と共にありますように。)
.....引用.出典:ペシャワール会HP