『不安のメカニズム』クレア・ウイークス 高木信久氏訳 ブルーバックス
―心の病から脱出するために
「訳者まえがき」
感情とか、情緒とか呼ばれるものは、人間生活の重要な一側面を形成している。とりわけ、それは、幸福をめざして進むように創造されている人間に、目標に向かって進む”推進力”を与えるものとして、きわめて大切なものである。
愛と憎しみ、欲望と嫌悪、喜びと悲しみ、希望と恐怖、奮発と絶望、そして、怒り―これらを要素とする感情生活において、いったん、バランスが崩れ、健全さが失われると、日々の生活は、苦渋に満ちたものと化し、本人にとっても、また周囲の人々にとっても、耐え難い重荷となる。それが、いかにきびしく、また、つらいものであるか。実際に経験した者でなければ、本当のところよくわからないのではなかろうか。
この訳書は、日本国内のあちこちで、人知れずに苦しみ、闘っておられる家族の方々、知人、友人、職場の同僚、上司の方々に、好奇心を満足させる一個の書物としてではなく、実際に効力(ききめ)のある”特効薬”として、捧げるものである。さらに言わせていただけるとすれば、この”薬”は、何々誘導体といった化学薬品ではなく、ドクター・クレア・ウイークスという、オーストラリアのすぐれた女流臨床医を、生き身のままそっくり”缶詰”にしてお届けしようとするものである。(中略)シドニーにて、カトリック信徒の結社の書籍部で、この本を手にいれた。
p160~p161
《われわれは、自分自身の幸福について完全に他人に依存しているものではない。このことはしっかり念頭に刻んでおくべきことである。われわれが自分自身の中に感ずる愛情の深さは、われわれが愛する相手によるものではない。それは、われわれ自身の愛する能力にかかっている。それは、どんな不幸に見舞われようとも、われわれから去ってしまうものではない。
従って、愛する人があなたを棄て去っても世の終わりだ、などと考えてはならない。あなたには人を愛する大きな能力が残っており、別の人を同じくらいに、あるいはそれ以上に深く愛することができるのである。時間が経って行くのにまかせなさい。そして、時間のもつ治癒力に満空の信頼を寄せることをためらってはならない。
恨みをいだかない
あなたの心を踏みにじり、さんざん傷つけたからといって、その相手に意趣をいだき、いつか思い知らせやろうとあなたの心の火を燃やしてはならない。仕返しができたら、あるいは、相手が報いを受けて何らかの不幸に見舞われるのを見たら、さぞかし気は晴れ、平静さがもどってくるなどと考えたら間違いである。永遠的な心の平和を得るためには、復讐心を棄て去らなくてはならない。このことについては、聖書の中に多くの良い助言がある。
けしからん相手が、罰に当たったように、何らかの災いに見舞われたとき、期待したような痛快感を味わうのはまれである。これはあまりにもたしかな真実であって、実際そのような場合に直面するとき、われわれは眼をそむけてしまうか、むしろ、かえって同情してしまうのが人情である。
相手の不幸を願うのではなく、むしろ相手にこれ以上親切なやり方はないと思われるようなコースを取ることができたならば、克服不可能だと思われていた障害が、たちまち解消し、驚いてしまうことがある。いつまでも憎しみをいだいて、心を苦渋でみたし、報復の日を待ちながら絶えず緊張するよりは、今述べたコースをたどった方が、どれだけ平和的で健全であるかはかり知れない。》
★この本は、残念ながら、現在絶版となっている。名著がどんどん絶版になるのは悲しい。
―心の病から脱出するために
「訳者まえがき」
感情とか、情緒とか呼ばれるものは、人間生活の重要な一側面を形成している。とりわけ、それは、幸福をめざして進むように創造されている人間に、目標に向かって進む”推進力”を与えるものとして、きわめて大切なものである。
愛と憎しみ、欲望と嫌悪、喜びと悲しみ、希望と恐怖、奮発と絶望、そして、怒り―これらを要素とする感情生活において、いったん、バランスが崩れ、健全さが失われると、日々の生活は、苦渋に満ちたものと化し、本人にとっても、また周囲の人々にとっても、耐え難い重荷となる。それが、いかにきびしく、また、つらいものであるか。実際に経験した者でなければ、本当のところよくわからないのではなかろうか。
この訳書は、日本国内のあちこちで、人知れずに苦しみ、闘っておられる家族の方々、知人、友人、職場の同僚、上司の方々に、好奇心を満足させる一個の書物としてではなく、実際に効力(ききめ)のある”特効薬”として、捧げるものである。さらに言わせていただけるとすれば、この”薬”は、何々誘導体といった化学薬品ではなく、ドクター・クレア・ウイークスという、オーストラリアのすぐれた女流臨床医を、生き身のままそっくり”缶詰”にしてお届けしようとするものである。(中略)シドニーにて、カトリック信徒の結社の書籍部で、この本を手にいれた。
p160~p161
《われわれは、自分自身の幸福について完全に他人に依存しているものではない。このことはしっかり念頭に刻んでおくべきことである。われわれが自分自身の中に感ずる愛情の深さは、われわれが愛する相手によるものではない。それは、われわれ自身の愛する能力にかかっている。それは、どんな不幸に見舞われようとも、われわれから去ってしまうものではない。
従って、愛する人があなたを棄て去っても世の終わりだ、などと考えてはならない。あなたには人を愛する大きな能力が残っており、別の人を同じくらいに、あるいはそれ以上に深く愛することができるのである。時間が経って行くのにまかせなさい。そして、時間のもつ治癒力に満空の信頼を寄せることをためらってはならない。
恨みをいだかない
あなたの心を踏みにじり、さんざん傷つけたからといって、その相手に意趣をいだき、いつか思い知らせやろうとあなたの心の火を燃やしてはならない。仕返しができたら、あるいは、相手が報いを受けて何らかの不幸に見舞われるのを見たら、さぞかし気は晴れ、平静さがもどってくるなどと考えたら間違いである。永遠的な心の平和を得るためには、復讐心を棄て去らなくてはならない。このことについては、聖書の中に多くの良い助言がある。
けしからん相手が、罰に当たったように、何らかの災いに見舞われたとき、期待したような痛快感を味わうのはまれである。これはあまりにもたしかな真実であって、実際そのような場合に直面するとき、われわれは眼をそむけてしまうか、むしろ、かえって同情してしまうのが人情である。
相手の不幸を願うのではなく、むしろ相手にこれ以上親切なやり方はないと思われるようなコースを取ることができたならば、克服不可能だと思われていた障害が、たちまち解消し、驚いてしまうことがある。いつまでも憎しみをいだいて、心を苦渋でみたし、報復の日を待ちながら絶えず緊張するよりは、今述べたコースをたどった方が、どれだけ平和的で健全であるかはかり知れない。》
★この本は、残念ながら、現在絶版となっている。名著がどんどん絶版になるのは悲しい。