とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

ペシャワール会現地代表の中村哲氏の現地報告   3/3

2009年10月04日 23時07分49秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
4.ワーカー派遣

 2008年度は、別表(8頁)のワーカーが事業に参加した。上幸にして伊藤和也君を失ったことは、悔やんでも悔やみきれないが、心からご冥福を祈りたい。予想できなかったのは、ペシャワール側の急速な情勢悪化で、2008年10月までに、ジャララバード・ペシャワール共に全員が現場を離れた(その後松永、村井が会計処理のため、藤田看護師がペシャワール病院問題のため、短期派遣された)。

5.マドラサ建設

 マドラサはアフガン農村共同体の要(かなめ)である。2007年12月鍬(くわ)入れ式を行い、本格的工事が2008年3月から始まった。2009年6月現在、校舎(教室12、図書室1、教員室2)及び付属モスク(800吊収容)の主要工事を終え、内装の段階である(マドラサの備品購入費として、伊藤君のご両親から「伊藤和也アフガン菜の花基金」が寄せられた)。設計と施工はPMSが全て自分で行った。2009年9月に正式に開校する。


    建築中のマドラサ (伝統的な寺子屋)     完成目前のモスク      2009年6月


6.自立定着村の建設

 水路建設事業は小さな民間団体にとっては、大きな仕事であったが、2009年7月を以って完了する。
 しかし、これで終わるわけではない。15万人が生活する用水路の保全は、世代から世代へ、長い年月がかかる。マルワリード用水路建設の主役は近隣農民であり、改修の実を心得ている。幸いと言うべきか、上幸にと言うべきか、水路の恩恵に浴さなかった人々は、まる6年間現場監督や作業員を務めてきた。彼らをガンベリ沙漠開拓に充(あ)てて自活させ、かつ水路保全の役を担ってもらうという構想である。出来あがる直前のマルワリード用水路には、彼らの強い愛着がある。これまでと同様、その送る水で、文字通り生活の糧を得るなら、喜んで役に就くだろう。

 これは2007年度からの構想で、2008年12月、水路開通の見通しが立つや、直ちに居住地の建設が開始された。現在118家族、約1200吊分の住居を建設中である。募集は水路が開通してから行い、早ければ一部の土地にトウモロコシの作付けが開始される。 なお、開拓地は250ヘクタールを確保、ダラエヌール試験農場の実戦版と考えて差し支えない。現在、漠々たる荒野であるが、これが緑の田園に変わるのを疑う職員はいない。

7.2009年度の計画

 事業は基本的にこれまでの連続で、目新しいものはない。年度報告に述べた。医療面ではハンセン病診療の場の確保が懸案で、水路事業は自立定着村の確立が大きな目標である。

   自立定着村 居住区。各戸区画壁建設中
   2009年6月
 建設中の居住区(写真中央)の右に順調に成長しているガズは防砂、防風の為に植えられ、居住区の左に砂漠横断の水路が並行している
 2009年6月



中村 哲


(ペシャワール会報 100号:2009年7月15日発行より)

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