とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

本を積む女

2006年11月29日 06時06分18秒 | 私のこと(日記)
 私は、本当に積読派だ(見よ、この図々しくも恥ずかしげもない発言)。言い方を変えます。私は、自分の部屋に、たくさんの本が雑多に散らばっているとうれしくなる。たくさんの人間に囲まれているようで。憧れの「引きこもり」。すれた「ニート」「オタク」

しかし、私は常に尊大に本の中心にいる。読書は、自分の考えを推し進めるための、ただのダシだ。

その時々に囚われているあらぬ考えに、つっこみをいれるための奴隷だ。

まず生活していく。生きていく。それが大重要だ(要するに生活に追われている凡人)。憧れの凡人。常に凡人が基本。 生きていくと悩みが生まれる。疑問がおきる。困り果てる。そうすると、ひっくりかえってなが~くボーっとしている。あらぬことを考えている。本を読むなんて嘘っぱちかもしれない。ひっくりかえってボーとしている時間が長い。それからおもむろに、その時々の興味にまかせ、奴隷をひっぱりだす。

奴隷は、たくさんのほうがいい。ぶっつけあうと、思わぬ発想がおきる。といって、自分が欲する必要以上の奴隷はいらない。本当に必要な奴隷しか用はない。

奴隷は、また人生の師匠でもあり、足元にもおよばぬ天才たちだ。

ばらばらに散らばった本。それは、私が興味をもった事柄たちでもある。

とんでもない分野ちがいの本たち。それをみると私はうれしくなる。憧れの「分裂病」「強迫神経症」

あれと、これと、ぶっつけたら、どんな発想になるのだろうか?昔から非効率的な勉強方法を好む。課題ばかりに集中していると衰弱する。憧れの退却神経症。解離(乖離?)性人格障害

まず生きる。そして本を読む。どのくらいの読書家だって?読書家なんていえるほど読んでいないじゃないか、だって?数は関係ないじゃあないか。興味だ。好奇心だ。素朴な疑問だ。それだけが重要だ。

あっち、こっちと話題を飛ばすな、だって?とんでもないよ。あっち、こっちと目がどれくらいまわって、トンボのような目になるかが大事なんだ。憧れの「誇大妄想狂」

無名のままでいい。それより楽しむことが重要だ。素朴な子供の質問。それは、非常に本質をつていて大人は答えられない。少しでも答えられるようになりたい。こどもの素朴な質問が基本。でもあまりに素朴な質問にかかわっているので、バカにされたり、あざわられているように感じる。落ち込む時も、ハッスルする時もある。憧れの「躁鬱病」「関係障害」

PCのデスプレイも、かき集めた情報で散らかり放題。それが目で見えることが大事だ。そうじゃないと、せっかく思い浮かべたことを失念してしまう。

ああ、それなのに、それなのに。私は、あまり散らかっているので新規フォルダーを作って分類して整理してしまった。画面が淋しくなって、せっかく思いついたことが目に見えなくなってしまって、私は、急に元気がなくなった。憧れのアパシー。

本の整理は、気をつけよう。自分の目に見えるように、観察射程距離に置くようにしなくては。

以上は、ただ大掃除をしないという、単なる言い訳だろうか?掃除とは、あまりにも不便になった時にするものだ。(すごい開き直り)掃除しようにも体が動かない。たぶん不安神経症なのだろう。

数々の精神疾患名を聞いただけでゾットする人は、精神科医のなかのヤブ医者と精神分析と軽薄なマスコミの通俗心理学と闘う事ができない。壁のようにつったって、冷静な判断を示し続けていきたいものですよね。

この文明とやらで成り立っている表社会を支えている裏側は、実は荒涼とした「砂漠」であるというイメージが、私は好きだ。死と常に対峙している脆弱な人間が、砂漠に倒れ、満天の星が降り注いでいるイメージ。不毛な砂漠。砂漠以上に迫力のある真実は、他に何もない。
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