戦争が産んだ傑作は、たとえばスペイン内戦(実は、クセジュ文庫積読未読)では絵本「はなのすきなうし」、ナチが暴れた第二次世界大戦では、フランクルの『夜と霧』、サン=テグジュペリの『小さな王子さま』や『闘う操縦士』(未読、アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』と、いつかセットで読みたいと思ううち、時間だけがどんどん経っていく。本はゲットしてあるのですが、積読もここまでくるとホラすれすれになりますね。手がまわらない自分が悲しい。)
(気をとりなおし)、『小さな王子さま』は傑作だと思うけれど、冒頭のボアがゾウを飲みこんだ帽子の絵を見ると、隠し絵的なことをこれから語りますよ、というメッセージも感じる。けれども、どうしても笑いをこらえきれない私だ。く、苦しい。
それは、フォーク・クルセイダーズの「大蛇の唄」を思い出してしまうからなのだ。ご存知ない若い方々のために、北山修作詞の歌詞を書いておきますね。(くくくくっ.....ああ、おかしい。苦しい)
「大蛇の唄」
なあみんな聞いてけろ
こわい こわい話だべ
ある日 オラはょ
森の中で 蛇にあっただ
ああ大変だ えらいこった
オラは蛇に食われちまうだ
助けておくれよ
蛇に食われて死んじまうだ
一口目(一口目)
ズボンがない(足もない)
二口目(二口目)
......................
三口目(三口目)
オナカがない(ヘソもない)
アーア(ウーウー)
首が(頭もない )
最後に 全部ないヨ ゴクン!
★えっ?おかしくない?笑いをこらえきれない私の気持ち、伝わらない?....曲がつかないと伝わらないかもしれない.....ナチの悲劇を笑うなんて不謹慎なのは、承知しています。(うなだれ)
おわびに『戦う操縦士』の裏表紙:
「ポーラよ、奇妙な戦争だねえ。淋しい。深いブルーの戦争だねえ。わたしはちょっと迷ってしまった。年を取ってこの奇妙な国を見つけたんだもの....。いいや、こわくなんかない。ちょっぴり悲しいだけさ」
第二次大戦下の1940年5月23日、サン=テグジュペリは、アラスに集結したドイツ戦車部隊の所在を確認すべく、偵察飛行に出撃した。風防ごしの地上に見たものは、諸世紀をつうじて獲得されてきた信仰と習慣と認識の遺産である文明が崩壊し、関係の結び目をほどかれて、避難民として流浪する人々の姿だった。
高射砲の弾幕の中で、作者は飛行の物語を絶えず中断し、過去の思い出の世界へ、おのれの存在の根へとおりてゆく。学院の教室へ、幼い日をすごした城館の暗い玄関ホールへ、チロル生まれの家政婦ポーラの姿へ....、生と死の狭間でのかずかずの省察を経て、やがて人間の再興と、文明の再生の条件が語られる。
亡命中の1942年2月にニューヨークで出版された本書は、フランス本国で出版許可を与えられたあと、賛同・抗議の論戦を巻き起こし、占領軍によって禁書処分に付された経緯をもつ。ヒトラーの『わが闘争』への民主主義陣営の最大の解答と評され、敗戦国フランスにたいするアメリカの国民感情の好転に大きく貢献した。
特別付録 ジョン・フィリップス
「アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、その最後の日々」
(裏表紙)
山崎庸一郎氏訳
(あとがき より)
英語版の原題は”Flight to Arras" 仏語版は”Pilote de guerre"。 本来は民間機パイロット(pilote civil)に対する軍用機パイロットの意味だが、定着した既訳の題名を踏襲する。1942年2月、亡命中のアメリカで英語版、仏語版ともに同時出版される。
★ああ オラは早く読みたいだべ
そのまえに資本主義 社会ダーウィニズムに食われちまうだ
(気をとりなおし)、『小さな王子さま』は傑作だと思うけれど、冒頭のボアがゾウを飲みこんだ帽子の絵を見ると、隠し絵的なことをこれから語りますよ、というメッセージも感じる。けれども、どうしても笑いをこらえきれない私だ。く、苦しい。
それは、フォーク・クルセイダーズの「大蛇の唄」を思い出してしまうからなのだ。ご存知ない若い方々のために、北山修作詞の歌詞を書いておきますね。(くくくくっ.....ああ、おかしい。苦しい)
「大蛇の唄」
なあみんな聞いてけろ
こわい こわい話だべ
ある日 オラはょ
森の中で 蛇にあっただ
ああ大変だ えらいこった
オラは蛇に食われちまうだ
助けておくれよ
蛇に食われて死んじまうだ
一口目(一口目)
ズボンがない(足もない)
二口目(二口目)
......................
三口目(三口目)
オナカがない(ヘソもない)
アーア(ウーウー)
首が(頭もない )
最後に 全部ないヨ ゴクン!
★えっ?おかしくない?笑いをこらえきれない私の気持ち、伝わらない?....曲がつかないと伝わらないかもしれない.....ナチの悲劇を笑うなんて不謹慎なのは、承知しています。(うなだれ)
おわびに『戦う操縦士』の裏表紙:
「ポーラよ、奇妙な戦争だねえ。淋しい。深いブルーの戦争だねえ。わたしはちょっと迷ってしまった。年を取ってこの奇妙な国を見つけたんだもの....。いいや、こわくなんかない。ちょっぴり悲しいだけさ」
第二次大戦下の1940年5月23日、サン=テグジュペリは、アラスに集結したドイツ戦車部隊の所在を確認すべく、偵察飛行に出撃した。風防ごしの地上に見たものは、諸世紀をつうじて獲得されてきた信仰と習慣と認識の遺産である文明が崩壊し、関係の結び目をほどかれて、避難民として流浪する人々の姿だった。
高射砲の弾幕の中で、作者は飛行の物語を絶えず中断し、過去の思い出の世界へ、おのれの存在の根へとおりてゆく。学院の教室へ、幼い日をすごした城館の暗い玄関ホールへ、チロル生まれの家政婦ポーラの姿へ....、生と死の狭間でのかずかずの省察を経て、やがて人間の再興と、文明の再生の条件が語られる。
亡命中の1942年2月にニューヨークで出版された本書は、フランス本国で出版許可を与えられたあと、賛同・抗議の論戦を巻き起こし、占領軍によって禁書処分に付された経緯をもつ。ヒトラーの『わが闘争』への民主主義陣営の最大の解答と評され、敗戦国フランスにたいするアメリカの国民感情の好転に大きく貢献した。
特別付録 ジョン・フィリップス
「アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、その最後の日々」
(裏表紙)
山崎庸一郎氏訳
(あとがき より)
英語版の原題は”Flight to Arras" 仏語版は”Pilote de guerre"。 本来は民間機パイロット(pilote civil)に対する軍用機パイロットの意味だが、定着した既訳の題名を踏襲する。1942年2月、亡命中のアメリカで英語版、仏語版ともに同時出版される。
★ああ オラは早く読みたいだべ
そのまえに資本主義 社会ダーウィニズムに食われちまうだ