昨日は、初めて「大蛇の唄」を書き写してみました。
これは、学生運動が盛んな頃に彗星のごとく現れ、すぐに解散して個別活動に入っていったフォークソンググループ、によって歌われたものです。
フォーク・クルセイダーズは反体制の「抵抗の歌」にしても、非常に洗練された感覚で歌った京都発信のグループでした。
「大蛇の唄」は、一見ふざけていますが、じっとみつめていたら「恐い唄」に見えてきました。
北山修は知識のある人です。もしかすると早々とサン=テグジュペリの作品の情報を握っていたかもしれませんし、第二次大戦のナチに関する資料を読んでいたかもしれません。あるいは、サン=テグジュペリと同じ発想で、感覚的にオリジナルに「大蛇」を思いついたのかもしれません。結局、何を思って「大蛇の唄」を書いたのかは分かりませんが、一日経ってみたら、こわ~い、こわ~い唄に見えてきました。
オラはょ、あのグループの唄を、無邪気に聞きすぎてたべ。ボケてるだべ。
これは、学生運動が盛んな頃に彗星のごとく現れ、すぐに解散して個別活動に入っていったフォークソンググループ、によって歌われたものです。
フォーク・クルセイダーズは反体制の「抵抗の歌」にしても、非常に洗練された感覚で歌った京都発信のグループでした。
「大蛇の唄」は、一見ふざけていますが、じっとみつめていたら「恐い唄」に見えてきました。
北山修は知識のある人です。もしかすると早々とサン=テグジュペリの作品の情報を握っていたかもしれませんし、第二次大戦のナチに関する資料を読んでいたかもしれません。あるいは、サン=テグジュペリと同じ発想で、感覚的にオリジナルに「大蛇」を思いついたのかもしれません。結局、何を思って「大蛇の唄」を書いたのかは分かりませんが、一日経ってみたら、こわ~い、こわ~い唄に見えてきました。
オラはょ、あのグループの唄を、無邪気に聞きすぎてたべ。ボケてるだべ。