先崎彰容氏が、西郷隆盛の死と西南戦争の意味をこうぶった斬る。
150年後に生きる我々一人ひとりが、どう、その「体当たり」を受け止めるか。
日本から正義と道徳的偉大さが失われることを嫌った結果,国を糺すために,城山の地で死をを選んだのである。
つまり,死をもって近代日本に体当たりをして異を唱えたのである。
言えてる。
死をもって近代日本に体当たりをして異を唱えた
この表現がいい。
実際に西郷はそう思っていただろう。西南戦争でほとんどの軍議において意見を述べなかったことから,そう窺われる。
150年後に生きる我々一人ひとりが、どう、その「体当たり」を受け止めるか。
私は誰よりも重く受け止めたいので、この6月に、1人で、西郷が流されて、沈思黙想した、沖永良部島に行って参りました。