サステイナブルって東洋的。
今日、そうひらめいた。
亀井勝一郎と執行草舟の本を読んだりして。
西洋では人間中心。人間の自然に対する勝利。聖書でもイエスが「I have overcome the world」(私は世界に勝った)とか言う(ヨハネ16:33)。
ルネサンス以後に蔓延った「ヒューマニズム」(そしてその後の「人権」)も、人間だけ。動物は置き去り。西洋のsoul(魂)は、人間だけが持つ。動物はsoul を持たない。排他的。独善的。これが西洋的考え。
だから、西洋(イギリス)がリードした資本主義社会・工業化社会では、環境破壊をし、自然を踏み台にし、人類だけが発展していく。最近500年は、西洋の勝利。西洋の時代。
しかし。
東洋は違う。東洋では、「一切衆生」という。この一切の衆生には、動物はおろか、山川草木も含まれる(ググると、特にジャイナ教でそうらしい)。一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう) 。山川草木にも「生命」がある。
この辺の呼吸は、手塚治虫の『ブッダ』を読むと体得できます。私は、30年前、『ブッダ』読後、巷の雑草に「こんにちは」って挨拶したい気持ちになった。河合隼雄さんが「あんた、花してはりまんの? わて、河合してまんね」と言った心境だ。こちら
これはすこぶる東洋的。西洋の人は「あんた、花してはりまんの」って発想は出てこない。
かように、
- 西洋=人間が中心=環境破壊
- 東洋=自然と共存=環境保護
って大雑把に言える。コロンブスがアメリカ大陸を発見しなかったら。ポルトガル・スペインが睥睨した大航海時代なんてなかったら… そんなことを想像すれば、東洋的価値観と西洋的価値観の違いが浮かび上がってくる。東洋は鼓腹撃壌的。happy-go-lucky的。
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以上を前提に、歴史を大雑把に見ると、有史以来、東西は拮抗していた。四大文明の東二つ(ガンジス文明と黄河文明)はインドと中国。でも、西暦500年くらいから?西洋の勃興が顕著になって、東洋は被支配地域になった。今に至るまで。
今は、アジアが盛り返している。シンガポール大学の学長のキショール・マブバニが2010年に『アジア半球が世界を動かす』って言ったみたいに。
その、「人間中心の西洋」から、「自然と共存のアジア」へのシフトチェンジ期間にある。だから、私には「サステイナブル」って言葉が、「西洋的な傲慢・強欲な価値観ではなく、東洋的な一切衆生悉有仏性的に、自然と仲良くやろうぜ」って言っているように聞こえる。
東洋人である私の、やや我田引水的な論考なのかもしれませんが、、、
取り急ぎ感じたことを上記のとおりメモしておきます。