私は毎日のランニング時、そして今は自転車通勤ですがその通勤時、常に、中島敦『李陵』をAudibleで聴いている。何度も何度も。もう2年とかそれくらい。
なぜ私がそんなに李陵を毎日聴くか。
それは、弱いから。
自分が弱いから。
李陵みたいな、しっかりした古典に触れていないと、自分がダメになるから。
スケベだから。俗物だから。「縦」こちら を感じさせる古典に触れていないと、横野郎の、俗物に成り下がるから。
「ヨコ野郎」にならないため、李陵を毎日、毎日、毎日、聴いている。飽きもせず。
李陵に出てくる、特に蘇武の、「天は見ている」という「タテ」を、受け取っている。話・ストーリーの内容を聴いているのではない。
李陵とか司馬遷の「タテの精神」を、受け取っている。
世俗の欲望と、肉体の蠱惑と、物質の誘惑に、負けないために、毎日、毎日、『李陵』を聴いています。
いい小説には、そういう力がある。偉大なり、中島敦。