
小林秀雄を論じる文脈で、若松英輔さんが言う。


自分を信じる、ってことは、信仰を持つことに近い。
信仰とは、心の炎を燃やし続けること。
胸に炎を燃やし続けること。

宗教に属さなくても、信仰を生きることができる。
小林秀雄は、めちゃ親孝行で、母親が入った宗教にいくつも入信した。
これは拙著『笑って死ねる人生論』に書きました。
それはさておき、信仰を堂々と肯定した小林秀雄。

言下に、信仰を公言した小林秀雄。
以下の本でも詳しく書かれていた。
自分を信じる、ってことは、信仰を持つことに近い。
そんな文脈で書かれていた。
いつ何時でも、どんな不遇でも、どんな逆境でも、どんな悲惨な境地でも、自分と、人生と、運命と、生命(いのち)の意味を信じる。
そうなさしめるのは、信念とも言えるけど、信仰とも言える。
信念と信仰は紙一重。
強い信念が、天(神、造物主)との関係で成り立っていると言えるのなら、それはもはや信仰と言って差し支えあるまい。
って考えると、私にも信仰は、ある。
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クールな批評家で、宗教を斜に構えても良さそうな小林秀雄が、
言下に
信仰を持っていると答えた。
令和日本では、信仰を持たぬ者が9割を超えるのでは。
言下に信仰を持っていると答える者は1割もいないのでは。
日本のみならず、世界は非宗教化している。
しかし。
戦後最大の知性とも目される小林秀雄が、言下に信仰を肯定した。
その重い事実をどう受け止めるか。