今年令和7(2025)年3月3日の、家庭連合に対する過料決定で、最高裁は、「人権の砦」の地位を生かさず、信教の自由の見地からは、だいぶ後退した判断を示しました。
判例の動きを追ってみます。
1 平成8(1996)年1月30日
オウム真理教に対する解散命令の最高裁
※ 句読点等を読みやすく修正
「解散命令は、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わないのである。
もっとも、宗教法人の解散命令が確定したときはその清算手続が行われ、その結果、宗教法人に帰属する財産で礼拝施設その他の宗教上の行為の用に供していたものも処分されることになる。
これらの財産を用いて信者らが行っていた宗教上の行為を継続するのに何らかの支障を生ずることがあり得る。
このように、宗教法人に関する法的規制が、信者の宗教上の行為を法的に制約する効果を伴わないとしても、これに何らかの支障を生じさせることがある。
とするならば、憲法の保障する精神的自由の一つとしての信教の自由の重要性に思いを致し、憲法がそのような規制を許容するものであるかどうかを慎重に吟味しなければならない。」
2 令和6(2024)年3月26日
家庭連合田中会長に対する東京地裁の過料決定(鈴木謙也裁判長)
…令和7(2025)年3月3日の最高裁決定の第一審
「宗教法人の解散命令が確定したときは、その清算手続が行われ、当該宗教法人に帰属する財産を用いて信者らが行っていた宗教上の行為を継続するのに何らかの支障を生じさせることがあり得る。
そうだとすれば、憲法が保障する信教の自由の重要性にも鑑みて、当該宗教法人に対して解散命令がされることが、当該宗教法人のした行為に対処するために必要でやむを得ないものであるかという観点からも、法81条1項1号を含む同項所定の解散命令事由の該当性は、慎重かつ厳密に判断されるべきものといえる。」
3 令和7(2025)年3月3日
家庭連合田中会長に対する最高裁の抗告棄却決定
… 上記2事件の最終判断
「解散命令は、宗教法人の法人格を失わせる効力を有するにとどまり、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わない」
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このとおり、29年前1996年も、昨年2024年も、憲法上の基本的人権である信教の自由に配慮した表現がなされました。
しかし、今年3月3日の最高裁は、「一切」という強い言葉を用いて、信者の人権に配慮しないかのような表現を使いました。
不気味な最高裁、、 これは人権的には「後退」したと評価できます。
弁護士と裁判官の間に人事や研修などで一定の交流があるとすれば、全国弁連の息のかかった者が最高裁判事にまで上り詰めても不思議はありません。素人考えですが、、、
あるいは、政府サイドの強い影響下にある判事が最高裁の中にいるのかもしれません。いずれにせよ、念書判決を引っ繰り返して差戻した先の最高裁決定といい、今回の過料判決といい、「家庭連合は悪」との結論ありきが透けて見えます。