日本や先進国が「ヨコ」化したのは、Democracyを「民主主義」って訳したことに元凶がある。
民主主義って言葉からは、それが至上の至高であり、批判を許さない、って排他的なニュアンスを伴っちゃう。少なくとも、戦後80年を経て、そう解釈されている。
今の日本に必要なのは、「あるべきdemocracy はどんな形態か」ではないか。兵庫県知事とか石破首相云々の体たらくを見るにつけ、、、、
そこで、ChatGPTに訊いてみた:
democracy を「民主主義」と訳したのは誰ですか。
「大衆支配」がdemocracyの語源に近い翻訳だと思うのですが。
ChatGPT
**「democracy」を「民主主義」と訳したのは、西周(にし あまね)**とされています。
明治時代、日本が西洋の概念を積極的に取り入れる中で、西周は哲学や政治学の基礎用語を漢語に翻訳し、日本語として定着させる役割を果たしました。
西周による翻訳の背景
• 西周は、19世紀後半にヨーロッパに留学し、西洋の政治思想や哲学を学びました。
• 「democracy」を「民主主義」と訳したのは、古代ギリシャのデモクラシーが「demos(人民)」と「kratos(支配)」に由来し、「人民の支配」を意味している点を考慮した結果です。
「大衆支配」との比較
「democracy」を「大衆支配」と訳すのは、語源的に正確ではあるものの、ニュアンスが異なります。
1. democracy の語源的意味
• 古代ギリシャ語の「demos」は「人民」、「kratos」は「支配」または「力」を意味します。
• そのため、語源的には「人民による支配」という意味が近いです。
2. 「大衆支配」が避けられた理由
• 「大衆支配」という表現は、多数派による暴力的な支配や専制を連想させる可能性があります(いわゆる「衆愚政治」)。
• 一方、「民主主義」は、人民の権利や平等を強調し、近代的な政治思想に適したニュアンスを持たせています。
結論
「民主主義」と訳した背景には、日本語として受け入れやすくし、概念の肯定的な側面を強調する意図がありました。
語源に忠実な「大衆支配」ではなく、「民主主義」としたことで、より近代的な政治の理念を伝えることに成功したといえます。
ただし、「大衆支配」という訳が、語源的には近い点も一理あります。