日本は、自粛解除後、普通の日常を取り戻したように見えるが、依然、東京では15人前後の感染者が出てる。コロナは終わってない。見せかけの日常だ。そして、いつもの日本のぐたぐたした日常が戻ってる。詐欺、幼児虐待、家族をホーガンで殺す猟奇的殺人事件、貧困格差、政府の不正、政治家の不正、大食い競争、食い物幻想、バラエティー番組ゲラゲラ笑いなどだ。閉塞と虚構のくそ溜まりで腐るような日常だ。しかし、考え方によれば、日本は平和だし、コロナの感染者数も欧米に比べれば一桁少ない。支払いが遅れてるが、支援の様々な支給金システムがある。町の中に死体がゴロゴロ転がってる状況ではない。ネガティブとポジティブを比べれば、日本はポジティブな部分が多い。いい国だ。日頃、日本の悪口ばかり書いてるが、全体としてはいい国なのだ。どこの国でも、いいところと悪いところがある。それが普通なのだ。いいところしかない国はない。日本では、コロナ危機でも革命は起きない。国民はかなり不平、不満を持ってるが暴動を起こすような爆発力はない。ネットでぶつぶつこぼし、時には誹謗中傷が激しくなる、外には向かわないのが、日本の特徴だ。劇的変化が起こらないのは、いい事だろうか。私は、劇的変化があったほうがいいと思う。水は流れないと腐るのだ。流れが起きず、溜まり水の中では悪性のバクテリアが発生する。流れがあれば悪性バクテリアは流され、きれいな水を維持できるのだ。今の日本、悪性バクテリアが溜まり続けてる。水を浄化するには、日本人の心の変化が必要だ。自覚しないと日本は変われない。腐敗を腐敗と感じてない日本人が多すぎる。悪臭を美臭と感じてる日本人が多いのだ。50年後の日本、どうなってるのだ。それが心配だ。