今日、8月16日だ。昨日は終戦記念日だ。いつものようにテレビでは、戦争論、平和論が語られる。平和にどっぷり漬かった日本で戦争論や平和論を語る事にむなしさを感じる。戦争体験をした人は90歳以上の人であろう。戦争を知らない30、40、50代の学者や政治家、評論家が熱く戦争論、平和論を語ったところで私の心に響かない。私自身、戦争を知らない。従軍した事もないし、食い物なく草や葉を食った事もない。多くの日本人は、映画やドラマ、ゲームでしか戦争を理解できないのではないか。日本は平和が長く続いてるので、戦争は起きないと思ってるのかもしれないが、歴史は繰り返すのだ。戦争が起きた時こそ、戦争論、平和論の価値が問われるのだ。言葉の遊びなんかではないのだ。戦時中なら早く戦争が終わって、平和がくればいいと誰でも思うだろう。語れる自由がある国はいいが、多くの国では戦争論議をやらせない雰囲気がある。戦争反対を声高に言う人は、警察に逮捕される事も多い。日本みたいに平和が長く続く国では、平和論も戦争論も声高に語れる。中国やロシアをぼこぼこにしてしまえと叫んだところで、日本では逮捕されない。軍備増強に走る岸田政権を批判したところで逮捕されない。平和だからだ。言論の自由がある国とない国の違いは、国難があると、はっきりしてくる。多くの国で国難の時には言論の自由は制限される。戦争は、人から多くの自由を奪う。戦争に勝つために我慢を強いられる。戦争があるから平和のありがたさがわかるのだ。平和が長く続く日本では、平和のありがたさが薄くなってる。毎年、平和が当然のように平和が更新されてゆく。それでも戦争が毎年更新されてゆくよりはいい。歴史上、イギリス、フランスとの間で100年も戦争が行われた事があるのだ。100年の戦争と100年の平和、どちらを選ぶのかと、問われればほとんどの人は平和を選ぶであろう。日本の平和は78年間続いている。今後も永久的に続いて欲しい。心に響かない戦争論、平和論でも自由に論議できるのはいい事だ。