川崎でのヘイトスピーチが過激さを増してる。朝鮮民族に対しての差別感情をむきだしにしたデモが行われてる。草食化した日本で、昭和の激しいデモを思い浮かばせるような事件が起きてる。それに対しての反ヘイトの活動も活発になってる。川崎駅前で罵声が飛び交い双方が衝突し、警官隊が介入する騒動になった。私はヘイトスピーチには断固として反対だ。表現の自由だ、言論の自由だとかの問題ではない。朝鮮人を真綿で絞殺すだとか、ゴキブリ野郎、日本から出ていけだの言葉使いが、在日達の心を著しく傷つけるのか。同じ人間ではないか。もう少し友好の言葉が出てこないもんか。ヘイトスピーチは日本の恥だ。日本すごい国の実態とは、外国人の人権を尊重しない国なのだ。日本人の誰もが差別感情をむき出してるのではない。数からすると、ほんの一部の人間がヘイトをしてるのだ。しかし、ヘイトデモには参加しないが、差別感情を抱いてる日本人は多いのかもしれない。今の日本の閉塞と虚構のクソ溜まりで、モヤモヤした気持ちを社会の弱い人々にぶつけてるのだ。日本人障がい者を差別したり、殺したりするのと同じ構造なのだ。いちおう日本にはヘイトスピーチ規制法はあるが、実行性がない規正法だ。差別はやめましょうでは、ヘイトスピーチはなくならない。表現の自由を尊重するために、強い規制法は作れないとは納得いかない。安倍政権は集団的自衛権の行使だとか、憲法違反の法を次から次へと作っておいて、ヘイトに関しては憲法上作れないとは、なにかおかしい。表現の自由を尊重した少し踏み込んだ規正法を作ったほうがいい。朝鮮人学校や在日が多く住む地域から2KM以内ではデモが出来ないようにする。違反したら多額の罰金を払わすとか、何度も違反したらぶた箱に入ってもらう。以前にも書いたのだが、人権侵害罪を作るのもいいだろう。極度の人権侵害には、法で罰すのだ。子供の頃から学校で人権尊重教育をやるべきだ。道徳教育なんかより人権教育のほうが大切だ。道徳の中に人権尊重を入れるべきなのだ。差別、人権侵害、明日は我が身なのだ。あなたが殺すなんていう言葉で差別されたら、いい気持ちにはならないだろう。他人の心の痛みを感じる人間になってほしい。
東京はいい天気だ。このまま死んでもいいぐらいだ。冗談だ。最近、やたらと小泉進次郎が話題になる。次の次の総理大臣だとか、マスコミもちやほやし過ぎだ。自民党の50代、60代議員まで年下の37歳の進次郎にさんずけ呼びしている。今から忖度か。本人も私はまだバッターボックスに立ってないとコメントを発してる。サラブレットの政治家である事には変わりがないが、まだレースには出走してはない。大臣になった経験はないし、自民党の三役の経験もない。父親が元総理でサラブレットであるが、期待が強すぎるのではないか。進次郎の人間性はいかなるものか。私からすればおぼっちやまだ。普通の人々の生活を知らないのではないか。だからか、進次郎の発言の隅々に、社会的弱者に対しての思いやりに欠けるのを感じる。65歳は高齢者ではないとか、議員年金の復活には反対だとか、もし、進次郎が総理大臣になったら安部以上に社会保障を改悪するのではないか。年金は減らされる、健康保険も自己負担増し、生活保護は廃止、障害者年金も廃止、アメリカ的な自己責任の社会保障になるのではないか。生活に苦しんでる人々に対して、思いやりの欠ける政治が行われるのではないかと、心配だ。進次郎はマスコミが作り出した偶像、虚構だ。政治家系の血統正しき男に、国民は依存したいだけなのだ。芸能アイドルに依存する若い人々みたいだ。日本には戦国武将のような強さを感じる政治家がいない。女性化した日本では血筋とか、見た目が受ける要素なのだ。政治力とは関係なところで政治家の価値が決定づけられてるようだ。政治界ばかりでなく、日本ではすべてが嘘くさい。ちゃらさと虚構に満ちた社会なのだ。それでも日本は維持されてる。嘘はいずればれる。嘘に満ちた国は崩壊するであろう。日本政治とは、おぼっちゃま、お嬢様のまま事政治だ。進次郎も発言内容では、人気が落ちる可能性がある。私は進次郎には何も期待してない。平和ぼけの時代だから、受けるのだ。厳しい時代になったら、別のタイプの政治家が現れるであろう。ままごと政治は終わりだ。
東京は曇りだ。今にも雨が降りそうだ。日本人の心も空のように曇り空だ。日本の空気は重くて流れない。虚構と閉塞のくそ溜まりで腐るばかりだ。今日も、芸能人ほれた、はれた、不倫した、テレビは朝から深夜まで食い物番組のオンパレードだ。世界はどんどん変化してゆく。日本は変わらず、世界の流れから取り残されてゆく。多くの日本人は、自分達が世界の流れから遅れてゆくのに自覚がない。日本ファーストとは、内こもりのひとりよがりだ。最近の日本すごいの大合唱は、閉塞感と落ちてゆく太陽の悲しみのようだ。ヒットラーも安部も、自信と誇りを持てと強調するが、裏を返さば自信のなさなのだ。有効求人倍率は高止まりだが、人口減少、少子化で労働人口が減ってるから高いのだ。高層ビルもどんどん建てられてるが、東京のような大都市だけの話だ。地方は人口減少で空き家だらけだ。撮影所のセットみたいだ。表向きの巨大な城、裏に回れば、べニア板がべたべたと張ってるだけなのだ。日本人の心は方向性もなくさまよってる。どこに向かってるのだ。羊飼いのない群れは墓場にむかってゆく。100年後の日本は中国に乗っ取られてかもしれない。中国の勢いはすごい。すでに中国は経済力でも軍事力でも日本を超えてる。すごいの大合唱は、から元気なのだ。空虚な叫び声にしか聞こえない。オリンピックのような派手な演出と芸能の派手さで、日本は見た目で勝負している。実態は惨たるものだ。格差、子供の虐待13万件、多くの人権侵害、心を病む者が多い。肉体を病む者も多い。日本は落ちぶれてゆく虚構大国なのだ。本当の意味ですごい国にしなければならないのだ。あなたがいい日本を作るのだ。あなたが日本をダメにするのだ。ひとりひとりの自覚と責任が日本を良くし、明るい未来の日本をつくるのだ。ひとり、ひとりを大切にしなければならない。ひとり、ひとりを大切にしてくれる国、政府でなければならない。
安部が内閣改造を行った。12人が初入閣した。女性はひとりだ。安部は何を目指してるのだ。つまらない面々だ。倉庫からほこりのかぶった商品を取り出してきた感じだ。女性ひとりとは、安部の本姓が見え隠れしている。女性の登用とは口ばかりで最初から女性政治家を軽く考えてるようだ。その女性、片山さつきは貧困者バッシングで有名だ。写真撮影で何を着てゆくか、マスコミに公開するとはチャラい、こんなチャラい女が地方創生相とは今の日本を象徴している。地方は被弊している。人口減少、空き家、シャター商店街、活力のない街が多い。片山さつきが地方を再生できるのかは、疑問だ。社会的弱者に思いやりのない発言をしてきた政治家は失言でやめるのがいいところだ。安部が言う全員野球内閣とは、全員無責任内閣と言えるだろう。日本は閉塞と虚構のくそ溜まりで腐るだけだ。日本には山ほどの人間としての尊厳を得られない人間がいるのだ。政治は彼らを救わなければならない。政治が目指すものは、人間に多くの幸福を与える事であろう。安部は逆に傷口に塩を塗るような事ばかりしている。こんな男が日本の権力者とは、日本の悲劇だ。悲劇を悲劇と感じてない国民の意識も問題だ。安部の支持率は、高い。多くの日本人は漠然とした不安を感じてる。何かにすがりたいのだ。安部が強くて守ってくれる人に見えてしまうようだ。安部はやさしくもないし、温かみにも欠ける。虚構の政治家だ。日本の未来は暗い。100年後には消えてるかもしれない。語るのも疲れる。やめた。くそして運動に行く。
立憲民主党の存在感がなさすぎる。メディアが取り上げるのはいつも安部だ。自民党ばかりが存在感を放つ。立憲民主党の支持率もさがり、5、6%だ。枝野代表って、誰だ。国民の多くは枝野代表を忘れつつある。野党の中核として、しっかりしてもらわなければならない。歌でも、踊り、祭りでも目立つ事をしないと、忘れられてしまう。今の日本政治は中東みたいな激しい内戦状況ではないのだ。ままごと政治なのだ。権力闘争に負けても、命まで奪われる事はない。芸能の宣伝みたいな政治活動で政治が左右されてるのだ。安部が日本の政治家で一番目立つ。安部が正義、正当に見えてきてしまうのだ。私からすると、安部はさほどすごい政治家には見えない。小心者のお坊ちゃまだ。こんな男に多くの政治家や官僚が忖度、萎縮とは、情けない。安部が強いのではない。回りが弱すぎるのだ。自己保身のために、安部にごまする。かつての自民党の激しい権力闘争がなつかしい。政治とは本来、殺し合いの闘争なのだ。戦国時代を見ればわかるだろう。今でも多くの国、民族では激しい権力闘争を繰り広げてる。大衆は強い政治家、正当を求めてる。安部の強さとは相対的な強さだ。他に強い政治家がいないから安部に多くの国民が依存するのだ。枝野代表も強さをアッピールしたほうがいい。芝居をするのだ。戦国時代の武将みたいな恰好して、街宣活動するのだ。マイクパフォーマンスをするのだ。かなり受けるだろう。難しい政治論の話しより、おもしろさを国民はもとめてるのだ。今の日本は女の感性で社会が動いてる。演劇、芝居は女の趣向だ。派手なパフォーマンスは大衆に受けるだろう。立憲民主党は今の日本の雰囲気を感じなければならない。国民に関心を持ってもらわなければならない。政治論議より、歌、踊りの芸能パフォーマンスで支持率を回復したらいいだろう。ちゃらい演出が案外効果をだすのだ。がんばれ、立憲民主党。政権を奪え!