本日4月3日は、法相宗の僧・道昭が火葬された(記録上日本初の火葬)日で、エドワード懺悔王がイングランド王として戴冠した日で、天目山の戦いで武田勝頼が織田信長軍に敗れ自害した日で、長谷川宣以の建議により江戸隅田川河口に無宿人の厚生施設・人足寄場が設置された日で、アメリカ連合国・南軍の首都リッチモンドが陥落した日で、日本人790人が佐倉丸でペルーのアンコン港に上陸した日で、日本で最初に全土をカバーした地質図・100万分の1「大日本帝国地質図」が地質調査所から発行された日で、ソビエト連邦共産党書記長にヨシフ・スターリンが選出されてしまった日で、国民革命軍の武漢攻略の際に中国共産党の扇動で一部の無秩序な軍隊と暴民が漢口の日本租界に侵入して掠奪・破壊を行い日本領事館員や居留民に暴行危害を加えた漢口事件が起こった日で、アメリカでマーシャル・プランを実行するための1948年対外援助法が成立した日で、韓国政府を承認しない済州島民が蜂起した(この事件で韓国政府側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして政府軍・警察による粛清を行って島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された)日で、中華人民共和国が中ソ友好同盟相互援助条約の廃棄をソ連に通告した日で、冷泉家秘蔵の古文書等が初めて公開された日で、湾岸戦争で国連案保理決議687が決議された日です。
本日の倉敷は晴れでありましたよ。
最高気温は十二度。最低気温は二度でありました。
明日も予報では倉敷は晴れとなっています。
狐は死ぬのだと思つた。
目の前が暗くなつて周囲の人の啜り泣く声がだんだん遠い所へ消えてしまう。
さうして眼に見えない分銅が足の先へ付いてでもいるように体が下へ下へと沈んで行く……、と思うと急にはつと何かに驚かされて思わず眼を大きく開いた。
すると枕元には依然として、お師匠様が座つている。
お師匠様の炊いでいた芋も、未だに熟さないらしい。
狐は青磁の枕から頭をあげると、眼を擦りながら大きな欠伸をした。
邯鄲の春の午後は、木々の梢を照らす日の光が煌めいている。
「眼が覚めましたね」
お師匠様は笑みを噛み殺すような顔をして云った。
「ええ」
「夢を見ましたね?」
「見ました」
「どんな夢を見ましたか?」
「何でも大変長い夢です。始めは奥深い山奥で生まれこんこんと鳴いていました。街に出てきて街中をうろうろとうろつき職を得ました。そこで讒を受けて追い出され別の町に流れました。其処にかれこれ数年年もいましたろう。やがて冤を雪ぐことはできましたが其の儘その街に住みました」
「それから、どうしました?」
「死にました。確か八十を越していたように覚えています」
お師匠様は「ふむ」と頷きました。
「では寵辱の道も窮達の運も一通りは味わつて来た訳ですね。それは結構な事でした。生きると云う事は、あなたの見た夢といくらも変つているものではありません。これであなたの人生の執着も熱が冷めたでしょう。得喪の理も死生の情も知つて見れば、つまらないものなのです。そうではありませんか?」
狐は、じれつたそうにお師匠様の語を聞いていましたが、相手が念を押すと顔を上げて眼を輝かせながらこう云った。
「夢だから尚生きたいのです。あの夢の醒めたようにこの夢も醒める時が来るでしやう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。お師匠様はそう思いませんか?」
お師匠様は狐の眼を見詰めたが、然りとも否とも答えなかつた。