
はい、10月6日(水)の帰りの電車の中で途中まで書いた記事を載せます!
この日は、KURITAカンパニー「褌転んで猿のケツ」観て来ました!
いや~!良かった!すごく良かった!
あんなに完成度の高い演劇が、こんな倉庫みたいな建物の中で行われているなんて、一体新潟でどれだけの人が知ってるんだろう。
じゃあ誰がそれを伝えるの?俺でしょ!
という訳で、感想をざっくり書いて行きます!
今回のKURITAカンパニー「褌転んで猿のケツ」は、ある二世帯の家族が暮らす、多分わりと由緒ある家庭を舞台にした人間ドラマです。
そんな家庭の中で、家族やら親戚やらその周りの人々やらを巻き込んで、ちょっとした事件が起きます。
事件と言っても、SFやファンタジーやミステリーのような、突飛なことは起こりません。
どこの家庭に起こってもおかしくないようなありふれた、しかし家族にとってはとても重大な問題です。
それに翻弄される登場人物たちも、それぞれみんな事情を抱えて生きています。
と言っても、どこにいてもおかしくないような、ごく普通の人たちです。
劇中、数ヶ所に小ボケが登場するのと、現代と回送シーンを行ったり来たりする以外は、基本的に家族の会話劇です。
本当にこんな家庭がどこかにあるのかもしれない、それを覗き見ているような感覚です。
で、そんな家族を見ているのが…非常に面白いんですねえ!もうすごく面白い。
この面白さって結局、「家族」というものが本質的に持っている面白さなんじゃないかと思います。
どんな家族にも必ず、滑稽だったりシュールだったり切なかったりする、ドラマがあるんだと思います。
当たり前だけど、同じ家族は二つと存在しないし、だから自分以外の家族って絶対に見ていたらそれだけで面白いんだと思います。
そんな人間模様を(時には人の心の中まで)除き見ることが出来るというのは、まさに演劇の面白さですよね。
家族の誰かに感情移入するもよし、行く末を見守るもよし、人によって色々な楽しみ方が出来る作品だと思います。
そして、もっと言うと、それって「人間」ってものが持っている面白さだと思います。
さっきも書きましたが、この演劇には特別非現実的な人間は一人も出て来ません。
しかし、そんなどこかにいそうな人間を役者が演じるという行為が、いかに面白いか。
役者が自分ではない全然違う人間になり切って舞台上でいきいきと動く様が、いかに面白いか。
そして、そんな「人間」の集合体が「家族」であり、そこで起こる人間同士の化学反応。
これ、普通に考えて面白くない訳がないんですよね。
もちろん、それは簡単なことではないし、すごい努力の積み重ねによって作られるものだと思います。
この演劇も役者さんたちの演技、そして演出、本当に細かいところまで作りこんでいたのが分かりました。
すごい稽古したんだろうなあ…
そうやって一人一人の人間を丁寧に作り込んでいったからこそ、舞台で本当に人間が生きている、この作品が生まれたのでしょう。
舞台上で役者が、物語の中の人間になりきって動けば、絶対に見た人間の心を動かす。
これ、演劇のすごく本質的な部分だと思います。
やはり、人間を感動させるのは人間なんですね。
そんなことを、KURITAカンパニー「褌転んで猿のケツ」を観劇して思いました。
いや、やっぱKURITAカンパニーはすごいっす。
ありがとうございました!
この日は、KURITAカンパニー「褌転んで猿のケツ」観て来ました!
いや~!良かった!すごく良かった!
あんなに完成度の高い演劇が、こんな倉庫みたいな建物の中で行われているなんて、一体新潟でどれだけの人が知ってるんだろう。
じゃあ誰がそれを伝えるの?俺でしょ!
という訳で、感想をざっくり書いて行きます!
今回のKURITAカンパニー「褌転んで猿のケツ」は、ある二世帯の家族が暮らす、多分わりと由緒ある家庭を舞台にした人間ドラマです。
そんな家庭の中で、家族やら親戚やらその周りの人々やらを巻き込んで、ちょっとした事件が起きます。
事件と言っても、SFやファンタジーやミステリーのような、突飛なことは起こりません。
どこの家庭に起こってもおかしくないようなありふれた、しかし家族にとってはとても重大な問題です。
それに翻弄される登場人物たちも、それぞれみんな事情を抱えて生きています。
と言っても、どこにいてもおかしくないような、ごく普通の人たちです。
劇中、数ヶ所に小ボケが登場するのと、現代と回送シーンを行ったり来たりする以外は、基本的に家族の会話劇です。
本当にこんな家庭がどこかにあるのかもしれない、それを覗き見ているような感覚です。
で、そんな家族を見ているのが…非常に面白いんですねえ!もうすごく面白い。
この面白さって結局、「家族」というものが本質的に持っている面白さなんじゃないかと思います。
どんな家族にも必ず、滑稽だったりシュールだったり切なかったりする、ドラマがあるんだと思います。
当たり前だけど、同じ家族は二つと存在しないし、だから自分以外の家族って絶対に見ていたらそれだけで面白いんだと思います。
そんな人間模様を(時には人の心の中まで)除き見ることが出来るというのは、まさに演劇の面白さですよね。
家族の誰かに感情移入するもよし、行く末を見守るもよし、人によって色々な楽しみ方が出来る作品だと思います。
そして、もっと言うと、それって「人間」ってものが持っている面白さだと思います。
さっきも書きましたが、この演劇には特別非現実的な人間は一人も出て来ません。
しかし、そんなどこかにいそうな人間を役者が演じるという行為が、いかに面白いか。
役者が自分ではない全然違う人間になり切って舞台上でいきいきと動く様が、いかに面白いか。
そして、そんな「人間」の集合体が「家族」であり、そこで起こる人間同士の化学反応。
これ、普通に考えて面白くない訳がないんですよね。
もちろん、それは簡単なことではないし、すごい努力の積み重ねによって作られるものだと思います。
この演劇も役者さんたちの演技、そして演出、本当に細かいところまで作りこんでいたのが分かりました。
すごい稽古したんだろうなあ…
そうやって一人一人の人間を丁寧に作り込んでいったからこそ、舞台で本当に人間が生きている、この作品が生まれたのでしょう。
舞台上で役者が、物語の中の人間になりきって動けば、絶対に見た人間の心を動かす。
これ、演劇のすごく本質的な部分だと思います。
やはり、人間を感動させるのは人間なんですね。
そんなことを、KURITAカンパニー「褌転んで猿のケツ」を観劇して思いました。
いや、やっぱKURITAカンパニーはすごいっす。
ありがとうございました!

言葉遊びのセンスと、そこはかとなく感じられる家族の絶妙な空気観の描き方が原田さんぽいなーと思いました。
KURITAカンパニー以外の役者さん含めてキャスティングも絶妙で、ジワジワっと来る面白さと確かな余韻がある素敵な舞台でした。
俺は原田宗則は詩集を読んだことが一回あるだけで、戯曲は初めて見たよ。
KURITAカンパニーの公演は、戯曲も演出も、役者もすごく良かった。
原作も読んでみたいなあ。