ちょっと、気持ちを吐き出さずにはいられないことがあったので、何の面白みもないブログを書きます。
僕は、男女問わず、一緒にいて楽しいと思える人、心から好きだと思える人と、依存でも執着でも惰性でもなく、信頼関係を築けたとしたら、それは本当に素晴らしく幸せなことだと思います。
その時の立場や人間関係によって、それは友人だったり恋人だったり家族だったり様々な呼ばれ方をするのでしょうが、本当は呼び方なんてきっとどうでも良くて、とにかく誰かと信頼関係を築けるなんてことは、本当に奇跡のようなことだと思います。
そもそも人間なんて、そう簡単に信頼したり分かり合ったり出来ない、分かり合えないのが当たり前な存在だと、僕は思っています。
言動をどれだけ示そうが、どれだけの過去があろうが、他人の頭の中、心の中を見ることなんて結局は出来ないのだから、本質的に人間と人間は絶対に分かり合えない存在なのだと、僕は思っています。
人間が、唯一見ることが出来るのは自分頭の中だけですから(厳密に言えば、自分の頭の中だって完全に理解しているか怪しいものですが、今その話をするとややこしくなるので割愛します)、人の気持ちが分かったような気がした時も、結局は自分の中で勝手に作り上げた相手の想像図を見ているに過ぎないんだと思います。
それは人間が想像力という能力を持っているからで、絶対に分かり合えない人間同士に、それでもなんとなくコミュニケーションが成立しちゃうのは、人間に想像力があるからですきっと。
でも、それは悲しいことでも何でもなくて、想像力だけが絶対的に分かり合えない人間が、それでもお互い歩み寄っていくための、唯一の手段なんじゃないでしょうか、人間が想像力を忘れたら、今よりもっといじめも戦争も増えてしまうような気がしますし。
なんか話がちょっと逸れましたが、要するに人間と人間の繋がりなんて、お互いの気持ちを想像し合ってるだけで、何となく成立した気になってる危ういものだと、僕は思っているのです。
だから本質的に、人間は誰かと分かり合ったり、信頼関係を気付いたりするのはとても困難な、孤独な存在なんだと思います。
それでも、時々自分は誰かと分かり合いたいと、信頼したいと思ってしまう、矛盾した存在でもあると思っていて、それを考え出すとどうやって生きていけばいいのか、寧ろ今までどうして生きて来られたのか、本当に訳が分からなくなってきます。
そんな時、僕は唯一自分で見ることの出来る部分、つまり、自分の気持ちに、出来るだけ正直になろうと思うようにしています。
具体的に言うと、それは僕の中にある好きという感情です。
好きという気持ちだけは、僕の中に存在する、誰も否定できない絶対的なものです。好きなものは、誰が何と言おうと好きです。
超個人的な気持ちですが、僕は自分の中にある好きだけは否定したくない、誰にも否定させないと思っています。
でも、どんなに好きな人の気持ちだって結局は想像するしかないのだから、どんなに好きでも片想いに過ぎないと思います。全ての好きは片想いです。
好きな人とどんなに仲良くなれたとしても、片想いしか出来ないのが人間なんだと思います。
もし本当に誰かと仲良くなりたい、信頼関係を築きたいなら、出来るだけ自分の考えを正直に伝えて、相手の気持ちも素直に聞いていかないと、きっと無理です。
それでも、相手の考えの中にはどうしても理解できない領域も、もしかしたら知ってしまったら嫌いになるような一面も、あるかも知れません。それは相手にとっても同じことです。
それでも、相手がどう思っていようが、相手のいい部分も悪い部分も含めて、それでも好きだと思えたら、それは本当に奇跡のようなことだと思います。
そんな相手と出会えて、少しでも素直に信頼しようと思えたなら、その時点で、その出会いの時点で、本当に幸せなことなんだと思います。人を好きになるって、こういうことだと思います。
誰が何と言おうと好きだと思える人が、自分には何人か、います。
代表的なところを挙げると、BLUESのメンバーとか、さくらもみぢさんとかです。
BLUESやもんちゃんのことは、僕は本当に好きだし、信頼しています。
向こうがどう思ってるかは分かりませんが、僕は勝手に彼らのことが好きです。(もし向こうが自分のことをそんなに好きじゃなかったとしても、あららーって思うだけのことです。そんなもんです。)
BLUESに関しては今更言うまでもないと思います。
一緒に演劇をしたり、悩んだり、遊んだり、バカやったりしてきた仲です。かれこれ5年くらいの付き合いになります。
楽しかったことと同じくらい喧嘩もしましたし、正直に言って、過去にはこいつのこういうとこ嫌いだな、って思ってしまった部分も、あります。
自分がそう思われてる部分も、まあ間違いなくあります。
それでも、今自分はBLUESのメンバーそれぞれの、そういうネガティブな部分も含めて、好きだし、応援しています。本当に、これは本音です。
僕がメンタルを病んでしまい、松本を離れて新潟に帰りたいと言った時、そんな僕をメンバーはそっと肯定してくれたように、僕はBLUESのみんなを全力で肯定したいと、素直にそう思います。
で、もんちゃんとは、新潟に帰ってから出会って、2年半くらいの付き合いなんですけど、正直これだけの時間でここまでの仲になるとは思っていませんでした。
と言うか、BLUES以外で、ここまでの信頼関係を築けた人は、他にいないんじゃないかって思います。
思うに、僕ともんちゃんの関係のすごいところは、マジで、何でも言い合えることだと思います。
しょっちゅう遊んだり、「ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!」をやったりしている僕らですが、実は、意外に思うかもしれませんが、話が合わないことの方が多いんです。
普通、人と仲良くなる時って、話が合うから、っていうのがすごく大きいと思います。
でも、僕ともんちゃんの関係の何が特殊かと言うと、あんまり話が合わないのに、仲がいいってことです。
例えば、僕が演劇の感想を話している時に、もんちゃんが「私はその演劇好きじゃない」とか平気で言ってきたりします。
そう言われたら会話が冷めたりしそうなものですが、僕らの場合は、それで会話が盛り上がるような仲です。
その話がきっかけで、お互いにその演劇について好きなところと嫌いなところを言い合って、それで二人とも何らかの発見があったりします。
それは演劇だけに限ったことではなくて、社会問題から下ネタまで、あらゆることを何でもかんでもぶっちゃけ合う会話を、連日のように繰り返しています。
極端な例を出すと、もんちゃんが「最近ちひろがうざい」、僕が「なんか最近もんちゃんに会うと機嫌悪くて気まずいんだけど」って言い合ったこともあります。
でも、それで関係にひびが入ることもなく、その時は自分達の仲が悪くなったことについてあーだこーだと言い合った気がします。極めて珍しい関係だと思います。
僕ともんちゃんは、お互いが全然違う価値観であることを、意見が噛み合わないことを、良しとして、それがどうしたって思って生きてるんです。
変な話、お互いのことが、適度にどうでもいいんです。
依存も束縛もなく、適度にどうでも良く、心からお互いを全肯定できるのは、きっと人生の中で何人と築けるか分からないくらいの幸せな関係だと思います。
いや、本当にもんちゃんには感謝です。
あ、一応言っておきます。誤解されることが本当に多いのでちゃんと言っておきますが、僕ともんちゃんは別に付き合ってないです。
めちゃくちゃ仲良くてもお互いに一切、恋愛対象じゃないので、これから付き合うことも絶対ないでしょう。(さらに言うなら今までもこれからも肉体関係も皆無です。)
男女の違いや考え方の違いを超越した、この極めて珍しい奇跡のような関係を、僕はソウルメイトと呼んでいます。そう呼ぶのが一番しっくり来ます。
もんちゃんと何でもかんでも正直に言い合っていると、どうしたって自分の気持ちと、もっと言うと自分の人生と、正面から向き合うことになります。
そんな時、僕は自分の魂と対峙しているという感覚に陥ります。
同じように、包み隠さないもんちゃんの本音を聞くと彼女の魂と対峙していると思えてしまう、だからこそのソウルメイトです。
で、どうして僕がもんちゃんとここまでソウルメイトになれたのかって考えると、それは結局、本当にたくさんの言葉を交わしたからだと思っています。
言葉がなくても分かり合えるなんてきっと綺麗事です。本当に分かり合うならたくさんの正直な言葉を交わす必要があると思います。
演劇の感想から社会問題から個人的な悩み事から下ネタまで、本当に数え切れないほどの情報量の濃厚な会話を重ねた上で、気付けたことが本当にたくさんあります。
その長い時間と膨大な言葉の積み重ねの上で、僕ともんちゃんのこの奇跡のような関係は成立しています。
…はい、と言うわけで、もんちゃんに対する愛を、長々と書いてしまいました。
正直自分でも気持ち悪いと思います(笑)
でも、どうしても書かずにはいられない理由があったんです。それが何かと言いますと…
と言うわけで、ここに来てようやく本題です!(前振り長すぎだろ!)
先日、僕のブログに知らない人からコメントが来ていました。
内容を要約すると、「Twitterでソウルメイトと言っているのが本当に気持ちが悪い。本人たちがどれほど仲良しなのかは知らないが宗教的な側面を感じて、うわぁ...と思いながら見ている。余計なお世話だがあんまりそういうアピールしないほうがいいと思う。」というものです。
これが、全然内容と関係ない記事のコメントに書かれていました。
それを見て、僕は本当に気分が悪くなりました。いや、本当に、どこから怒ったらいいのかと…
いや、僕らの関係がはたから見たら意味が分からないってのは、まあ分かりますよ。気持ち悪いって思う人がいても仕方ないと思います。どう感じるかはその人の勝手ですから。
でも、それを本人のブログのコメントに書くってのはどうなんでしょう。
いや、百歩譲って面と向かって直接言ってくるなら、まだ話は分かります。
そうまでして言いたいことを言ってこられたら、その分、僕だって言いたいことをその人に言いたいですから。
でもそれを、本人の特定されないブログのコメントに勝手に書くだけ書いて去っていくのは本当に卑怯です。インターネットの使い方として、人間の在り方として、絶対に間違っている。
現実社会あろうとインターネットだろうと、人を傷付けることは絶対に間違っている。
しかもそんな人がTwitterのフォロワーさんの誰かかも知れないと疑ってしまう自分が、僕は本当に気持ち悪いです。
僕だって今までインターネットで色んな発言をしてきた中で、過去に誰かを傷付けてしまったこともあるかも知れないし、人のこと言えないのかも知れませんが、それでも自分たちのインターネットを、人を傷付ける場にはしたくないです。そうならないように出来る限り努力しているつもりです。
インターネットの中で自由に発言させていただいている身ですから、僕のことをどう思おうが、好きになろうが嫌いになろうが、あなたの自由です。あなたの頭の中にまで口出しする権利なんか一つもない。
それでも、こんな卑怯なやり方で、僕の大切な人を否定してこられたら、僕は怒ります。本当に怒っています。
そいつがこんな文章を読んでいるとは到底思えませんが、そいつに対して言ってやりたいことは全部このブログに書きました。ただの自己満足です。
犯人の特定とか、死ぬほど下らないことをするつもりはありませんが、最後に一言、バカにするなと、そいつに言ってやりたい。
気持ち悪い文章ですね。
長々と失礼しました。
僕は、男女問わず、一緒にいて楽しいと思える人、心から好きだと思える人と、依存でも執着でも惰性でもなく、信頼関係を築けたとしたら、それは本当に素晴らしく幸せなことだと思います。
その時の立場や人間関係によって、それは友人だったり恋人だったり家族だったり様々な呼ばれ方をするのでしょうが、本当は呼び方なんてきっとどうでも良くて、とにかく誰かと信頼関係を築けるなんてことは、本当に奇跡のようなことだと思います。
そもそも人間なんて、そう簡単に信頼したり分かり合ったり出来ない、分かり合えないのが当たり前な存在だと、僕は思っています。
言動をどれだけ示そうが、どれだけの過去があろうが、他人の頭の中、心の中を見ることなんて結局は出来ないのだから、本質的に人間と人間は絶対に分かり合えない存在なのだと、僕は思っています。
人間が、唯一見ることが出来るのは自分頭の中だけですから(厳密に言えば、自分の頭の中だって完全に理解しているか怪しいものですが、今その話をするとややこしくなるので割愛します)、人の気持ちが分かったような気がした時も、結局は自分の中で勝手に作り上げた相手の想像図を見ているに過ぎないんだと思います。
それは人間が想像力という能力を持っているからで、絶対に分かり合えない人間同士に、それでもなんとなくコミュニケーションが成立しちゃうのは、人間に想像力があるからですきっと。
でも、それは悲しいことでも何でもなくて、想像力だけが絶対的に分かり合えない人間が、それでもお互い歩み寄っていくための、唯一の手段なんじゃないでしょうか、人間が想像力を忘れたら、今よりもっといじめも戦争も増えてしまうような気がしますし。
なんか話がちょっと逸れましたが、要するに人間と人間の繋がりなんて、お互いの気持ちを想像し合ってるだけで、何となく成立した気になってる危ういものだと、僕は思っているのです。
だから本質的に、人間は誰かと分かり合ったり、信頼関係を気付いたりするのはとても困難な、孤独な存在なんだと思います。
それでも、時々自分は誰かと分かり合いたいと、信頼したいと思ってしまう、矛盾した存在でもあると思っていて、それを考え出すとどうやって生きていけばいいのか、寧ろ今までどうして生きて来られたのか、本当に訳が分からなくなってきます。
そんな時、僕は唯一自分で見ることの出来る部分、つまり、自分の気持ちに、出来るだけ正直になろうと思うようにしています。
具体的に言うと、それは僕の中にある好きという感情です。
好きという気持ちだけは、僕の中に存在する、誰も否定できない絶対的なものです。好きなものは、誰が何と言おうと好きです。
超個人的な気持ちですが、僕は自分の中にある好きだけは否定したくない、誰にも否定させないと思っています。
でも、どんなに好きな人の気持ちだって結局は想像するしかないのだから、どんなに好きでも片想いに過ぎないと思います。全ての好きは片想いです。
好きな人とどんなに仲良くなれたとしても、片想いしか出来ないのが人間なんだと思います。
もし本当に誰かと仲良くなりたい、信頼関係を築きたいなら、出来るだけ自分の考えを正直に伝えて、相手の気持ちも素直に聞いていかないと、きっと無理です。
それでも、相手の考えの中にはどうしても理解できない領域も、もしかしたら知ってしまったら嫌いになるような一面も、あるかも知れません。それは相手にとっても同じことです。
それでも、相手がどう思っていようが、相手のいい部分も悪い部分も含めて、それでも好きだと思えたら、それは本当に奇跡のようなことだと思います。
そんな相手と出会えて、少しでも素直に信頼しようと思えたなら、その時点で、その出会いの時点で、本当に幸せなことなんだと思います。人を好きになるって、こういうことだと思います。
誰が何と言おうと好きだと思える人が、自分には何人か、います。
代表的なところを挙げると、BLUESのメンバーとか、さくらもみぢさんとかです。
BLUESやもんちゃんのことは、僕は本当に好きだし、信頼しています。
向こうがどう思ってるかは分かりませんが、僕は勝手に彼らのことが好きです。(もし向こうが自分のことをそんなに好きじゃなかったとしても、あららーって思うだけのことです。そんなもんです。)
BLUESに関しては今更言うまでもないと思います。
一緒に演劇をしたり、悩んだり、遊んだり、バカやったりしてきた仲です。かれこれ5年くらいの付き合いになります。
楽しかったことと同じくらい喧嘩もしましたし、正直に言って、過去にはこいつのこういうとこ嫌いだな、って思ってしまった部分も、あります。
自分がそう思われてる部分も、まあ間違いなくあります。
それでも、今自分はBLUESのメンバーそれぞれの、そういうネガティブな部分も含めて、好きだし、応援しています。本当に、これは本音です。
僕がメンタルを病んでしまい、松本を離れて新潟に帰りたいと言った時、そんな僕をメンバーはそっと肯定してくれたように、僕はBLUESのみんなを全力で肯定したいと、素直にそう思います。
で、もんちゃんとは、新潟に帰ってから出会って、2年半くらいの付き合いなんですけど、正直これだけの時間でここまでの仲になるとは思っていませんでした。
と言うか、BLUES以外で、ここまでの信頼関係を築けた人は、他にいないんじゃないかって思います。
思うに、僕ともんちゃんの関係のすごいところは、マジで、何でも言い合えることだと思います。
しょっちゅう遊んだり、「ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!」をやったりしている僕らですが、実は、意外に思うかもしれませんが、話が合わないことの方が多いんです。
普通、人と仲良くなる時って、話が合うから、っていうのがすごく大きいと思います。
でも、僕ともんちゃんの関係の何が特殊かと言うと、あんまり話が合わないのに、仲がいいってことです。
例えば、僕が演劇の感想を話している時に、もんちゃんが「私はその演劇好きじゃない」とか平気で言ってきたりします。
そう言われたら会話が冷めたりしそうなものですが、僕らの場合は、それで会話が盛り上がるような仲です。
その話がきっかけで、お互いにその演劇について好きなところと嫌いなところを言い合って、それで二人とも何らかの発見があったりします。
それは演劇だけに限ったことではなくて、社会問題から下ネタまで、あらゆることを何でもかんでもぶっちゃけ合う会話を、連日のように繰り返しています。
極端な例を出すと、もんちゃんが「最近ちひろがうざい」、僕が「なんか最近もんちゃんに会うと機嫌悪くて気まずいんだけど」って言い合ったこともあります。
でも、それで関係にひびが入ることもなく、その時は自分達の仲が悪くなったことについてあーだこーだと言い合った気がします。極めて珍しい関係だと思います。
僕ともんちゃんは、お互いが全然違う価値観であることを、意見が噛み合わないことを、良しとして、それがどうしたって思って生きてるんです。
変な話、お互いのことが、適度にどうでもいいんです。
依存も束縛もなく、適度にどうでも良く、心からお互いを全肯定できるのは、きっと人生の中で何人と築けるか分からないくらいの幸せな関係だと思います。
いや、本当にもんちゃんには感謝です。
あ、一応言っておきます。誤解されることが本当に多いのでちゃんと言っておきますが、僕ともんちゃんは別に付き合ってないです。
めちゃくちゃ仲良くてもお互いに一切、恋愛対象じゃないので、これから付き合うことも絶対ないでしょう。(さらに言うなら今までもこれからも肉体関係も皆無です。)
男女の違いや考え方の違いを超越した、この極めて珍しい奇跡のような関係を、僕はソウルメイトと呼んでいます。そう呼ぶのが一番しっくり来ます。
もんちゃんと何でもかんでも正直に言い合っていると、どうしたって自分の気持ちと、もっと言うと自分の人生と、正面から向き合うことになります。
そんな時、僕は自分の魂と対峙しているという感覚に陥ります。
同じように、包み隠さないもんちゃんの本音を聞くと彼女の魂と対峙していると思えてしまう、だからこそのソウルメイトです。
で、どうして僕がもんちゃんとここまでソウルメイトになれたのかって考えると、それは結局、本当にたくさんの言葉を交わしたからだと思っています。
言葉がなくても分かり合えるなんてきっと綺麗事です。本当に分かり合うならたくさんの正直な言葉を交わす必要があると思います。
演劇の感想から社会問題から個人的な悩み事から下ネタまで、本当に数え切れないほどの情報量の濃厚な会話を重ねた上で、気付けたことが本当にたくさんあります。
その長い時間と膨大な言葉の積み重ねの上で、僕ともんちゃんのこの奇跡のような関係は成立しています。
…はい、と言うわけで、もんちゃんに対する愛を、長々と書いてしまいました。
正直自分でも気持ち悪いと思います(笑)
でも、どうしても書かずにはいられない理由があったんです。それが何かと言いますと…
と言うわけで、ここに来てようやく本題です!(前振り長すぎだろ!)
先日、僕のブログに知らない人からコメントが来ていました。
内容を要約すると、「Twitterでソウルメイトと言っているのが本当に気持ちが悪い。本人たちがどれほど仲良しなのかは知らないが宗教的な側面を感じて、うわぁ...と思いながら見ている。余計なお世話だがあんまりそういうアピールしないほうがいいと思う。」というものです。
これが、全然内容と関係ない記事のコメントに書かれていました。
それを見て、僕は本当に気分が悪くなりました。いや、本当に、どこから怒ったらいいのかと…
いや、僕らの関係がはたから見たら意味が分からないってのは、まあ分かりますよ。気持ち悪いって思う人がいても仕方ないと思います。どう感じるかはその人の勝手ですから。
でも、それを本人のブログのコメントに書くってのはどうなんでしょう。
いや、百歩譲って面と向かって直接言ってくるなら、まだ話は分かります。
そうまでして言いたいことを言ってこられたら、その分、僕だって言いたいことをその人に言いたいですから。
でもそれを、本人の特定されないブログのコメントに勝手に書くだけ書いて去っていくのは本当に卑怯です。インターネットの使い方として、人間の在り方として、絶対に間違っている。
現実社会あろうとインターネットだろうと、人を傷付けることは絶対に間違っている。
しかもそんな人がTwitterのフォロワーさんの誰かかも知れないと疑ってしまう自分が、僕は本当に気持ち悪いです。
僕だって今までインターネットで色んな発言をしてきた中で、過去に誰かを傷付けてしまったこともあるかも知れないし、人のこと言えないのかも知れませんが、それでも自分たちのインターネットを、人を傷付ける場にはしたくないです。そうならないように出来る限り努力しているつもりです。
インターネットの中で自由に発言させていただいている身ですから、僕のことをどう思おうが、好きになろうが嫌いになろうが、あなたの自由です。あなたの頭の中にまで口出しする権利なんか一つもない。
それでも、こんな卑怯なやり方で、僕の大切な人を否定してこられたら、僕は怒ります。本当に怒っています。
そいつがこんな文章を読んでいるとは到底思えませんが、そいつに対して言ってやりたいことは全部このブログに書きました。ただの自己満足です。
犯人の特定とか、死ぬほど下らないことをするつもりはありませんが、最後に一言、バカにするなと、そいつに言ってやりたい。
気持ち悪い文章ですね。
長々と失礼しました。
宗教的な側面というのなら、その方自身にもそういった宗教的な面が見え隠れするような気が…。
僕は、出来るだけ見た人を傷付けない表現を心がけているつもりなんですが、それでも自分の意見に反論する人がいても仕方ないと思っています。
僕もインターネットで気に入らない意見に出会うことはありますが、本当に許せないもの(あからさまな差別など)を除けば、ただ見ないようにするだけで、わざわざ見に行ったり絡んだりはしませんね。
だから、嫉妬なのか何なのか、余程僕に対して執着しているのではないかと思います。
宗教的な側面というのは、僕は考えてもみなかったのですが・・・特に深い意味はなくて、僕のことをバカにしたくて適当に言っただけなのじゃないかなと・・・