夜中、年末に録画していた「アルマゲドン」を観た。
もっと大衆的な感動号泣超大作みたいなものを予想していたのだが、予想をはるかに裏切る良くも悪くもバカ映画だった。
でも、そんな映画でも観たら少しだけ気持ちが紛れた。
どんなに気持ちが落ち込んでいるときでも映画だけは観ることが出来るのは救いだ。
それから、夜中にTOMOKAさんと連絡を取った。
仕事に行けなくて悩んでいることを相談しようかとも思ったが、しなかった。
結局、アルマゲドンの話になり、TOMOKAさんはアルマゲドンが好きらしかった。
とは言え、仕事に行けない悩みと全然関係ない話をしたら少しだけ気持ちが和んだ。
そんなことをしていたので、結構遅い時間に寝てしまった。
翌日も仕事を休むことにあらかじめ決まっていると、こんなにもプレッシャーがない。
1/16(月)に職場に電話で伝えた通り、1/20(金)までバイトを休ませてもらうことになっていた。
という訳で、今日もバイトに行かない一日だった。
バイトに行かなくていいし、行かないことを電話で伝えなくていい分、気持ちに余裕があった。
それで、お昼を食べながら、今日も両親と仕事の話になった。
自分がいかに仕事が出来ないか、自分の障害がいかに働くという行為に対して不利にばかり働いているか、については、昨日とことん話したつもりだった。
しかし、やっぱり、自分はどうしても、働きたい、仕事がしたいのだ。
自分は昔から夢や目標を持ったことがほとんどないが、今の自分にとって唯一の目標が、ちゃんと働ける人間になることなのだ。
寧ろ、自分の人生、働くこと以外のことはかなり満たされているような気がするし、仮に上手くいかなくても何とでもなりそうな気がする。
唯一上手くいっていないのが働けないことで、こればかりはどうにもならないのだ。
うまく働くことさえ出来れば、自分の人生に対して望むことはもうほとんどないと言っても過言ではない。
自分は発達障害なので、能力にかなりバラつきがある。
学校の勉強などは、得意な部分の能力で出来てきたことだったので、成績は無駄に良かった。
逆に、受験など将来を考えるのは、不得意な部分の能力なので、志望校を決めたりすることはまったく出来なかったし、未だに受験のニュースやCMを見ると具合が悪くなってしまう。
とは言え、受験のことは俺が何も考えなくても両親や学校がそっちに向かうように上手いこと仕向けてくれたし、学校の勉強という自分の得意な部分の能力でなんとかカバーできたので、実は大した努力もせずに大学までは進学できてしまった人間なのだ。
しかし、人生で初めて就職活動というものに直面した時、それは完全に自分の最も能力が低い部分であり、さらに他の高い能力を使っても補うことの出来ないものであった。
はっきり言って、こんなにも自分の能力が足りない分野というのも珍しいと思う。
他のことだったら、どう頑張っても出来ないことならさっさと諦めて最初からやらないと切り捨てることも出来るし、実際そうやってやり過ごしてきているものはたくさんある。
しかし、こればかりは切り捨てる訳にはいかない…人間は働かないと生きていけないのだ!!!!!!
だから、働くことは自分にとって唯一の、今は出来ないけれどいつか何としてでも出来るようになりたいものなのだ!
普通に働ける人間になること以上の目標は、多分自分の人生には存在しない。
よく、不景気って言っても仕事を選ばなければ何だって出来るよ、などという言葉を聞くことがあるが、そんなことは不可能なのだ。
何故なら、自分にとって出来る仕事はかなり限られているので、どうしても仕事を選ぶ必要があるのだ。
まず、そもそも能力的に出来ることが限られている。
フルタイムは不可能だし、営業職、接客業、高い能力や特殊な知識が求められる技術職も不可能、何しろコンビニのバイトでさえ覚えることが多すぎて勤まらなかった人間である。
さらに、自分が何の仕事をやっているのかが把握できない仕事、というものも自分は出来ない。
例えば、以前に確定申告のテレフォンアポイントメントをやろうとしたことがあったが、確定申告が一体どういうものなのかが研修を最後まで受けても理解できず、たとえマニュアル通りに話すだけだったとしても、何に対して何をする職業なのかがまったく把握できない仕事など具合が悪くなってしまうと判断し、研修の時点でやめて帰ってきてしまった。
加えて、何のためにやっているのか意味を見出せない仕事、というものも自分には無理である。
例えば、以前に出口調査のバイトをやろうと思ったことがあったが、自分は選挙の出口調査というものはあんまりやる必要がない、やっても意味がないのではないかだと思っている部分があり、自分が選挙に行っても無視して帰って来るような人間なので、高い給料に引かれて研修を受けたものの、その仕事そのものに意味が見出せず、選挙当日になって具合が悪くなって断ったことがある。
言い換えれば、やりがいが感じられない仕事、その仕事に存在価値を見出せない仕事、というものが出来ないのだ。
例えば、以前に知り合いからパチンコ屋の店員は時給がいいよと言われたこともあるが、パチンコと聞くとどうしてもギャンブル依存症という単語が真っ先に頭に浮かんでしまうような自分には、業務内容がなんであれ給料がどれだけもらえようが不可能な仕事だったのである。
このことは、かつて自分がおそらく詐欺のベンチャービジネスの勧誘を受けた体験が大きく影響しているのかも知れない。
その男は、日本人は金を稼ぐという行為に対しての貪欲さが足りなすぎる、もっと金をたくさん稼ぐ方法を本気で探すべきだ、と言って、俺を勧誘してきた。
その時は、何を言われているのかまったく理解できないまま、とにかく具合が悪くなってしまって、何に対して自分が具合が悪くなっているのかも理解できなかった。
今なら分かるのだが、確かに働くことは金を稼ぐための行為なのだが、金を稼ぐならあらゆる手段が正当化されるとか、金は多ければ多いほどいいとか、金は絶対的な正義だとか、そういう金のことだけが念頭に置かれた仕事の在り方は、絶対に間違っているというのが、自分の考えなのだ。
古い考えかも知れないが、仕事は世の中に役立つことを行うべきだし、給料はその対価として得るべきである。
そして、金もあればあるだけいいというものではないし、働けることにも限界があるから、それに応じて支払われるべきである。
逆を言えば、働ける能力に見合った金をもらえれば、それ以上望む必要はないと思う。
要するに、重要なのは、自分の能力に見合った仕事内容と、それに応じた金額とのバランスであり、必要以上にこだわりすぎるのは無駄だし体調を崩すだけである。
そう考えると、業務時間が長すぎず、自分の能力でも可能な範囲の仕事であり、仕事の仕組みが分かりやすく、確実に世の中に役立っていてやりがいもある、今のスーパーの仕事以上に適した仕事はなかなかないのではないだろうか。
もし、やめたとしても、今以上に適した職場を見つけるまでに相当なストレスがありそうだとも思う。
そしてもう一つ、話は変わるが、これも古い考え方かも知れないが、俺は両親の死に目には会いたいし、両親が死んだらちゃんと葬式を上げたいと、ふと思った。
自分は結婚をするつもりはなく、実際問題この仕事の能力では結婚は不可能だと最初から思っているし、だから両親と暮らしながら、自分に稼げるだけの給料の範囲だけ稼いで、静かに生きていくことが出来ればそれで幸せだと思うのだが、いずれ両親は死ぬ!
別に結婚しないことが親不孝だなどという気持ちは一つもないのだが、両親にはだいぶ助けられているのだから、両親の老後に介護が必要になったら介護がしたいし、死んだらちゃんと葬式を上げたいという気持ちがある。
働けるようになって、両親と平和に最後まで暮らすことが出来たら、それ以上人生に望むものは何もない気がする。
もっと大衆的な感動号泣超大作みたいなものを予想していたのだが、予想をはるかに裏切る良くも悪くもバカ映画だった。
でも、そんな映画でも観たら少しだけ気持ちが紛れた。
どんなに気持ちが落ち込んでいるときでも映画だけは観ることが出来るのは救いだ。
それから、夜中にTOMOKAさんと連絡を取った。
仕事に行けなくて悩んでいることを相談しようかとも思ったが、しなかった。
結局、アルマゲドンの話になり、TOMOKAさんはアルマゲドンが好きらしかった。
とは言え、仕事に行けない悩みと全然関係ない話をしたら少しだけ気持ちが和んだ。
そんなことをしていたので、結構遅い時間に寝てしまった。
翌日も仕事を休むことにあらかじめ決まっていると、こんなにもプレッシャーがない。
1/16(月)に職場に電話で伝えた通り、1/20(金)までバイトを休ませてもらうことになっていた。
という訳で、今日もバイトに行かない一日だった。
バイトに行かなくていいし、行かないことを電話で伝えなくていい分、気持ちに余裕があった。
それで、お昼を食べながら、今日も両親と仕事の話になった。
自分がいかに仕事が出来ないか、自分の障害がいかに働くという行為に対して不利にばかり働いているか、については、昨日とことん話したつもりだった。
しかし、やっぱり、自分はどうしても、働きたい、仕事がしたいのだ。
自分は昔から夢や目標を持ったことがほとんどないが、今の自分にとって唯一の目標が、ちゃんと働ける人間になることなのだ。
寧ろ、自分の人生、働くこと以外のことはかなり満たされているような気がするし、仮に上手くいかなくても何とでもなりそうな気がする。
唯一上手くいっていないのが働けないことで、こればかりはどうにもならないのだ。
うまく働くことさえ出来れば、自分の人生に対して望むことはもうほとんどないと言っても過言ではない。
自分は発達障害なので、能力にかなりバラつきがある。
学校の勉強などは、得意な部分の能力で出来てきたことだったので、成績は無駄に良かった。
逆に、受験など将来を考えるのは、不得意な部分の能力なので、志望校を決めたりすることはまったく出来なかったし、未だに受験のニュースやCMを見ると具合が悪くなってしまう。
とは言え、受験のことは俺が何も考えなくても両親や学校がそっちに向かうように上手いこと仕向けてくれたし、学校の勉強という自分の得意な部分の能力でなんとかカバーできたので、実は大した努力もせずに大学までは進学できてしまった人間なのだ。
しかし、人生で初めて就職活動というものに直面した時、それは完全に自分の最も能力が低い部分であり、さらに他の高い能力を使っても補うことの出来ないものであった。
はっきり言って、こんなにも自分の能力が足りない分野というのも珍しいと思う。
他のことだったら、どう頑張っても出来ないことならさっさと諦めて最初からやらないと切り捨てることも出来るし、実際そうやってやり過ごしてきているものはたくさんある。
しかし、こればかりは切り捨てる訳にはいかない…人間は働かないと生きていけないのだ!!!!!!
だから、働くことは自分にとって唯一の、今は出来ないけれどいつか何としてでも出来るようになりたいものなのだ!
普通に働ける人間になること以上の目標は、多分自分の人生には存在しない。
よく、不景気って言っても仕事を選ばなければ何だって出来るよ、などという言葉を聞くことがあるが、そんなことは不可能なのだ。
何故なら、自分にとって出来る仕事はかなり限られているので、どうしても仕事を選ぶ必要があるのだ。
まず、そもそも能力的に出来ることが限られている。
フルタイムは不可能だし、営業職、接客業、高い能力や特殊な知識が求められる技術職も不可能、何しろコンビニのバイトでさえ覚えることが多すぎて勤まらなかった人間である。
さらに、自分が何の仕事をやっているのかが把握できない仕事、というものも自分は出来ない。
例えば、以前に確定申告のテレフォンアポイントメントをやろうとしたことがあったが、確定申告が一体どういうものなのかが研修を最後まで受けても理解できず、たとえマニュアル通りに話すだけだったとしても、何に対して何をする職業なのかがまったく把握できない仕事など具合が悪くなってしまうと判断し、研修の時点でやめて帰ってきてしまった。
加えて、何のためにやっているのか意味を見出せない仕事、というものも自分には無理である。
例えば、以前に出口調査のバイトをやろうと思ったことがあったが、自分は選挙の出口調査というものはあんまりやる必要がない、やっても意味がないのではないかだと思っている部分があり、自分が選挙に行っても無視して帰って来るような人間なので、高い給料に引かれて研修を受けたものの、その仕事そのものに意味が見出せず、選挙当日になって具合が悪くなって断ったことがある。
言い換えれば、やりがいが感じられない仕事、その仕事に存在価値を見出せない仕事、というものが出来ないのだ。
例えば、以前に知り合いからパチンコ屋の店員は時給がいいよと言われたこともあるが、パチンコと聞くとどうしてもギャンブル依存症という単語が真っ先に頭に浮かんでしまうような自分には、業務内容がなんであれ給料がどれだけもらえようが不可能な仕事だったのである。
このことは、かつて自分がおそらく詐欺のベンチャービジネスの勧誘を受けた体験が大きく影響しているのかも知れない。
その男は、日本人は金を稼ぐという行為に対しての貪欲さが足りなすぎる、もっと金をたくさん稼ぐ方法を本気で探すべきだ、と言って、俺を勧誘してきた。
その時は、何を言われているのかまったく理解できないまま、とにかく具合が悪くなってしまって、何に対して自分が具合が悪くなっているのかも理解できなかった。
今なら分かるのだが、確かに働くことは金を稼ぐための行為なのだが、金を稼ぐならあらゆる手段が正当化されるとか、金は多ければ多いほどいいとか、金は絶対的な正義だとか、そういう金のことだけが念頭に置かれた仕事の在り方は、絶対に間違っているというのが、自分の考えなのだ。
古い考えかも知れないが、仕事は世の中に役立つことを行うべきだし、給料はその対価として得るべきである。
そして、金もあればあるだけいいというものではないし、働けることにも限界があるから、それに応じて支払われるべきである。
逆を言えば、働ける能力に見合った金をもらえれば、それ以上望む必要はないと思う。
要するに、重要なのは、自分の能力に見合った仕事内容と、それに応じた金額とのバランスであり、必要以上にこだわりすぎるのは無駄だし体調を崩すだけである。
そう考えると、業務時間が長すぎず、自分の能力でも可能な範囲の仕事であり、仕事の仕組みが分かりやすく、確実に世の中に役立っていてやりがいもある、今のスーパーの仕事以上に適した仕事はなかなかないのではないだろうか。
もし、やめたとしても、今以上に適した職場を見つけるまでに相当なストレスがありそうだとも思う。
そしてもう一つ、話は変わるが、これも古い考え方かも知れないが、俺は両親の死に目には会いたいし、両親が死んだらちゃんと葬式を上げたいと、ふと思った。
自分は結婚をするつもりはなく、実際問題この仕事の能力では結婚は不可能だと最初から思っているし、だから両親と暮らしながら、自分に稼げるだけの給料の範囲だけ稼いで、静かに生きていくことが出来ればそれで幸せだと思うのだが、いずれ両親は死ぬ!
別に結婚しないことが親不孝だなどという気持ちは一つもないのだが、両親にはだいぶ助けられているのだから、両親の老後に介護が必要になったら介護がしたいし、死んだらちゃんと葬式を上げたいという気持ちがある。
働けるようになって、両親と平和に最後まで暮らすことが出来たら、それ以上人生に望むものは何もない気がする。
鬱病と不安神経症で通院しており、長い間働いていません。
ブログのラスト3行、今の私の気持ちと限りなく同じようなことが書かれていてドキっとしました。
私も早く普通に働けるようになりたいです。
思わずコメントしてしまいました。
乱文失礼しました。
この記事はもともと自分の気持ちを整理するために書いたもので公開するつもりはなかったのですが、一つの自分の記録としての価値があると思い、公開することにしました。
今はこうして読んでコメントをいただくことができて、やっぱり公開して良かったなと思っています。
僕は今30歳で、双極性障害と発達障害で通院しています。
仕事は、この記事に書いてある時期は休んでいましたが、このコメントを書いている今は復帰しています。
しかし、続けていけるかには不安があります。
これからも、色んな気持ちをブログに書いていこうと思うので、よかったらまたブログに遊びに来てください。