1/1(月)に発生した石川県を震源とする地震で被災した方に一日も早く安心安全な暮らしが戻ることを願います。
自分の暮らす新潟もかなり揺れたので、記録のためにこの日の自分の体験と、この時点での気持ちを書いておくことにします。
1/1(月)、16:06に地震が発生した時、僕は新潟市中央区の古町にいました。
僕が体験した大きな地震は2004年の中越地震でしたが、2007年の中越沖地震、2011年の東日本大震災の時は長野県にいたので、体感としては今まで自分が体験した中では一番大きな揺れでした。
外を歩いていても揺れているのがすぐに分かり、またスマホの緊急地震速報のアラートも鳴っていたので、直感的にビルの近くにいると倒れてくる危険性があると判断し、信号が青になったタイミングで道路の反対側にあった広場のような場所に移動しました。
そこで揺れが収まるのを待って立ち止まっている家族連れと「大丈夫ですか」と声をかけあって、揺れが収まるのを待ちました。
幸い、僕は怪我もなく、また周囲で怪我をしている人や建物が壊れているようなことも、僕が見た範囲ではありませんでした。
ただ、飲食店にいた人達が慌てて店から出てくるところは見たので、建物の中では物が倒れたりなどの被害は出ているだろうなと思いました。
そして驚いたのが、またすぐにスマホのアラートが鳴り、津波警報が発令されたこと。
すぐにTwitter(X)で地震の情報を検索し、地震の震源地が石川県であること、そして新潟県を含む日本海側の広い範囲に津波警報が発令されていることを知りました。
すぐに高台に避難するべきか、それとも帰宅するべきか、正直しばらく迷っていました。
そこで、ひとまず自宅の方に向かって歩きながら、緊急時に備えて避難できる高い場所を探すことにしました。
帰宅するにしても、この地震では電車が止まっていることは目に見えていました。
そしてバスでの帰宅も考えましたが、バスはバス停沿いの道路にずっと停車したままだったので、運転手の方に聞いてみると、地震を受けて安全が確認できるまで待機しているのでしばらく動くことはないとのことでした。
実家の母に電話をかけてみて、母も家も無事なことが確認できました。
ただ、地震を受けて安全装置が作動してガスが止まったので、その復旧する作業をしていたとのことでした。
そして、母も地震を体験して気持ちが落ち着かないとのことでしたが、落ち着いたらすぐに車で迎えに来てくれることになりました。
古町周辺に車が駐車できる場所がないので、しばらく離れたコンビニで待ち合せることにしました。
待ち合わせ場所のコンビニまで歩く途中で、入り口にテープで✕印を付けて、営業を停止しているコンビニがあり、店内では棚から物が落ちたりしているのだろうと思われました。
また、市役所や色々な学校にたくさんの人が入っていくところも見て、それが避難場所だということ、しかも最上階にばかり明かりがついて人がいたのは津波対策だった、ということに気付きました。
間もなく母が車で迎えに来て、無事に帰宅することができました。
家はどこも壊れておらず、また家具が倒れたり壊れたりすることも幸いなかったのですが、どの部屋でも棚から物が落ちて散乱していたので、しばらくそれを復旧する作業をしました。
それからは地震が心配で何もする気になれず、ひたすらテレビで地震関連の情報を追いながら(どの局も地震の情報だけを放送していた)、石川県の地震の情報や、新潟県でも必要だと思った情報を、ひたすらTwitterで見付けては拡散する作業をしていました。
そこで、石川県の能登半島では津波に襲われた場所があること、そして新潟県内でも避難所で過ごしている人がたくさんいることを知りました。
被害や避難所の情報を少しずつ知る中で、自分は偶然今生きていられているだけという気持ちにさせられるとともに、被災地の方も避難所の方も、どうか無事に過ごしてほしいという気持ちになりました
幸い僕の家は高台にあり家族も無事でしたが、家からすぐの場所でも新潟市西区内で液状化現象が起こったり少し離れた場所でも建物の一部が壊れたりはしていること、断水している場所も多いことも知りましたが、怪我人などの情報はまだ分かりませんでした。
何人か県外の知り合いから連絡が来ていて無事だと返信したり、新潟県内の知り合いとも無事を確認し合ったり、中には無事ではあったものの子供が怖がるから避難所に避難したという知り合いもいました。
テレビのリポーターからも、Twitterで流れてくる様々なツイートからも、被災した人達のことを本気で心配する言葉が溢れていました。
ただ、中には地震が起こった直後にネットでよくある「井戸」「毒」などの言葉を使ったヘイトデマもあり、僕は前からそういうものを強く否定してきましたが、実際に大きな揺れを体験するとあらためて「ありえない」と思いました。
一番心配なのは石川県で被災した方々だし、新潟でもかなり揺れて避難をした人も多く、本当に怖い思いをした人も自分を含めこれだけいる中で、ここまで本気で人々が恐怖を感じている時にヘイトデマを流す人間を心の底から軽蔑します。
これからも、もし見つけたら「ヘイト扇動」等で報告をしていきます。
そして被災した方にいう事ではないですが、もしも安全な場所にいる人達には報告を呼び掛けていくことにしました。
こういう緊急時に自分の気持ちをツイートし過ぎるのも迷惑かなと思いつつ、自分から発信する意味があると思った情報や気持ちは、できるだけ言葉を選んだ上でいくつかツイートしていました。
その中で、どうしてもこれだけ言わせてほしいと思ったのは、人間はどんなに平和に生きていてもいつ災害という命の危機に襲われるか分からない、ということ。
必要なのは助け合っていくこと、差別や戦争なんてやっている場合じゃない(現にこの地震が起こる直前まで、僕はガザの即時停戦を求めるスタンディングを行っていた)。
2024年の元日からこんなことになってしまいましたが、今年こそは人と人が助け合っていける世界を心から願います。
こういう時、僕は何かしなければいけない焦りと、でも何をしたらいいか分からない不安に襲われるのですが、正直この時点ではテレビやTwitterで情報を集めることと、重要だと思った情報を拡散することくらいしか思いつきませんでした。
とはいえ、テレビも地震発生直後でまだ報道が追い付いていないと思われ、次第にテレビを見続けていても正直気が滅入るだけであまり新しい情報は得られなくなっていきました。
とはいえ、そこで「心配しないで、不安にならないで、楽しいことを考えて」とか言われても、そんな簡単に気持ちが切り替えられるほど器用な人間ではないんですよね。
なので、自分はちゃんと心配するしちゃんと不安になる、強がらずに、自分の気持ちに嘘はつかないことにします、いつもそうやって生きてきたので。
ただ、どんなに心配しても不意になっても、前だけは向いていようと思いました。
だからこそ、ちゃんと前を向いているためにも、今できることは早く寝てしっかり体を休めて、もしもの時に備えることだと思いました。
ガス、電気は無事だったのですが、水道は断水こそしなかったものの、水が少ししか出なかったので、おそらくどこかで水道管が破裂などしているのだろうと思いました。
そういう状況を鑑みて、この日は入浴せずに、すぐに寝ることにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/b8/870b397a6a1eab09ef564d74b6237646.jpg)
ただ、気持ちが落ち着かなかったので、寝る前に一度近所を散歩してみたのですが、越後線は止まったままでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/81/344995c387f4b6c0ff942506454c4ff3.jpg)
そして、コンビニには営業時間短縮の看板が出ていて、こういう時コンビニ店員さんは本当にお疲れ様です、ちゃんと休んでほしいという気持ちになりました。
余震が落ち着いて一夜明けて情報が明らかになれば、きっと何かできることも分かるはずだと判断し、それまではただ、気持ちと体を休めることにしました。
不安な方もどうか落ち着いて過ごせるように、そして何より、石川県をはじめ今まさに被災している方に一日も早く安心安全な生活が戻りますようにと願いながら、この日は眠ることにしました。
自分の暮らす新潟もかなり揺れたので、記録のためにこの日の自分の体験と、この時点での気持ちを書いておくことにします。
1/1(月)、16:06に地震が発生した時、僕は新潟市中央区の古町にいました。
僕が体験した大きな地震は2004年の中越地震でしたが、2007年の中越沖地震、2011年の東日本大震災の時は長野県にいたので、体感としては今まで自分が体験した中では一番大きな揺れでした。
外を歩いていても揺れているのがすぐに分かり、またスマホの緊急地震速報のアラートも鳴っていたので、直感的にビルの近くにいると倒れてくる危険性があると判断し、信号が青になったタイミングで道路の反対側にあった広場のような場所に移動しました。
そこで揺れが収まるのを待って立ち止まっている家族連れと「大丈夫ですか」と声をかけあって、揺れが収まるのを待ちました。
幸い、僕は怪我もなく、また周囲で怪我をしている人や建物が壊れているようなことも、僕が見た範囲ではありませんでした。
ただ、飲食店にいた人達が慌てて店から出てくるところは見たので、建物の中では物が倒れたりなどの被害は出ているだろうなと思いました。
そして驚いたのが、またすぐにスマホのアラートが鳴り、津波警報が発令されたこと。
すぐにTwitter(X)で地震の情報を検索し、地震の震源地が石川県であること、そして新潟県を含む日本海側の広い範囲に津波警報が発令されていることを知りました。
すぐに高台に避難するべきか、それとも帰宅するべきか、正直しばらく迷っていました。
そこで、ひとまず自宅の方に向かって歩きながら、緊急時に備えて避難できる高い場所を探すことにしました。
帰宅するにしても、この地震では電車が止まっていることは目に見えていました。
そしてバスでの帰宅も考えましたが、バスはバス停沿いの道路にずっと停車したままだったので、運転手の方に聞いてみると、地震を受けて安全が確認できるまで待機しているのでしばらく動くことはないとのことでした。
実家の母に電話をかけてみて、母も家も無事なことが確認できました。
ただ、地震を受けて安全装置が作動してガスが止まったので、その復旧する作業をしていたとのことでした。
そして、母も地震を体験して気持ちが落ち着かないとのことでしたが、落ち着いたらすぐに車で迎えに来てくれることになりました。
古町周辺に車が駐車できる場所がないので、しばらく離れたコンビニで待ち合せることにしました。
待ち合わせ場所のコンビニまで歩く途中で、入り口にテープで✕印を付けて、営業を停止しているコンビニがあり、店内では棚から物が落ちたりしているのだろうと思われました。
また、市役所や色々な学校にたくさんの人が入っていくところも見て、それが避難場所だということ、しかも最上階にばかり明かりがついて人がいたのは津波対策だった、ということに気付きました。
間もなく母が車で迎えに来て、無事に帰宅することができました。
家はどこも壊れておらず、また家具が倒れたり壊れたりすることも幸いなかったのですが、どの部屋でも棚から物が落ちて散乱していたので、しばらくそれを復旧する作業をしました。
それからは地震が心配で何もする気になれず、ひたすらテレビで地震関連の情報を追いながら(どの局も地震の情報だけを放送していた)、石川県の地震の情報や、新潟県でも必要だと思った情報を、ひたすらTwitterで見付けては拡散する作業をしていました。
そこで、石川県の能登半島では津波に襲われた場所があること、そして新潟県内でも避難所で過ごしている人がたくさんいることを知りました。
被害や避難所の情報を少しずつ知る中で、自分は偶然今生きていられているだけという気持ちにさせられるとともに、被災地の方も避難所の方も、どうか無事に過ごしてほしいという気持ちになりました
幸い僕の家は高台にあり家族も無事でしたが、家からすぐの場所でも新潟市西区内で液状化現象が起こったり少し離れた場所でも建物の一部が壊れたりはしていること、断水している場所も多いことも知りましたが、怪我人などの情報はまだ分かりませんでした。
何人か県外の知り合いから連絡が来ていて無事だと返信したり、新潟県内の知り合いとも無事を確認し合ったり、中には無事ではあったものの子供が怖がるから避難所に避難したという知り合いもいました。
テレビのリポーターからも、Twitterで流れてくる様々なツイートからも、被災した人達のことを本気で心配する言葉が溢れていました。
ただ、中には地震が起こった直後にネットでよくある「井戸」「毒」などの言葉を使ったヘイトデマもあり、僕は前からそういうものを強く否定してきましたが、実際に大きな揺れを体験するとあらためて「ありえない」と思いました。
一番心配なのは石川県で被災した方々だし、新潟でもかなり揺れて避難をした人も多く、本当に怖い思いをした人も自分を含めこれだけいる中で、ここまで本気で人々が恐怖を感じている時にヘイトデマを流す人間を心の底から軽蔑します。
これからも、もし見つけたら「ヘイト扇動」等で報告をしていきます。
そして被災した方にいう事ではないですが、もしも安全な場所にいる人達には報告を呼び掛けていくことにしました。
こういう緊急時に自分の気持ちをツイートし過ぎるのも迷惑かなと思いつつ、自分から発信する意味があると思った情報や気持ちは、できるだけ言葉を選んだ上でいくつかツイートしていました。
その中で、どうしてもこれだけ言わせてほしいと思ったのは、人間はどんなに平和に生きていてもいつ災害という命の危機に襲われるか分からない、ということ。
必要なのは助け合っていくこと、差別や戦争なんてやっている場合じゃない(現にこの地震が起こる直前まで、僕はガザの即時停戦を求めるスタンディングを行っていた)。
2024年の元日からこんなことになってしまいましたが、今年こそは人と人が助け合っていける世界を心から願います。
こういう時、僕は何かしなければいけない焦りと、でも何をしたらいいか分からない不安に襲われるのですが、正直この時点ではテレビやTwitterで情報を集めることと、重要だと思った情報を拡散することくらいしか思いつきませんでした。
とはいえ、テレビも地震発生直後でまだ報道が追い付いていないと思われ、次第にテレビを見続けていても正直気が滅入るだけであまり新しい情報は得られなくなっていきました。
とはいえ、そこで「心配しないで、不安にならないで、楽しいことを考えて」とか言われても、そんな簡単に気持ちが切り替えられるほど器用な人間ではないんですよね。
なので、自分はちゃんと心配するしちゃんと不安になる、強がらずに、自分の気持ちに嘘はつかないことにします、いつもそうやって生きてきたので。
ただ、どんなに心配しても不意になっても、前だけは向いていようと思いました。
だからこそ、ちゃんと前を向いているためにも、今できることは早く寝てしっかり体を休めて、もしもの時に備えることだと思いました。
ガス、電気は無事だったのですが、水道は断水こそしなかったものの、水が少ししか出なかったので、おそらくどこかで水道管が破裂などしているのだろうと思いました。
そういう状況を鑑みて、この日は入浴せずに、すぐに寝ることにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/b8/870b397a6a1eab09ef564d74b6237646.jpg)
ただ、気持ちが落ち着かなかったので、寝る前に一度近所を散歩してみたのですが、越後線は止まったままでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/81/344995c387f4b6c0ff942506454c4ff3.jpg)
そして、コンビニには営業時間短縮の看板が出ていて、こういう時コンビニ店員さんは本当にお疲れ様です、ちゃんと休んでほしいという気持ちになりました。
余震が落ち着いて一夜明けて情報が明らかになれば、きっと何かできることも分かるはずだと判断し、それまではただ、気持ちと体を休めることにしました。
不安な方もどうか落ち着いて過ごせるように、そして何より、石川県をはじめ今まさに被災している方に一日も早く安心安全な生活が戻りますようにと願いながら、この日は眠ることにしました。