舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

2003年の実写映画「ジョゼと虎と魚たち」アニメ映画の前に見てみました。

2020-11-27 00:12:52 | Weblog
11/25(水)に行ったトークイベント「月刊おはなし図鑑」では、ゲストのMXUさんと「生きづらさと映画」というテーマでトークをしました。
トークイベント「月刊おはなし図鑑」第23回、MXUさんとトーク!終了しました!

書き起こしはこちら。
【書き起こし】トークイベント「月刊おはなし図鑑」第23回 ゲスト:MXUさん(自主映画監督)テーマ:生きづらさと映画





「生きづらさと映画」というテーマでトークをするにあたり、MXUさんが例に上げていた中の一作である「ジョゼと虎と魚たち」を、トークの前に予習として見たので、感想を書いていきます。
「ジョゼと虎と魚たち」は田辺聖子さんの小説が原作で、もうすぐアニメ映画も公開されるけど、ここで取り上げるのは2003年の犬童一心監督の方。

妻夫木聡くん演じる地味だけどちょっとチャラい大学生の主人公が、池脇千鶴さん演じる足が不自由で祖母と暮らす「ジョゼ」と名乗る女の子と出会う。
主人公には彼女(上野樹里さん)もいたが、乱暴だが不思議な魅力を持ったジョゼに惹かれていく…という恋愛映画。

高く評価された映画ではあり、MXUさんは好きな映画であると言いつつも、同時に結末には疑問が残るとのこと。
というのも、原作では二人の未来は特に描かずに読者に想像に委ねる結末なのですが、映画では主人公がジョゼと別れる、という結末に意図的に改変しているのです。

健常者である主人公が、障害者であるジョゼと付き合っていくことに限界を感じ、彼女から逃げるという結末は、障害者の問題を分かりやすい感動ポルノにせずに、現実的な結末を描くというものだったのかも知れません。
しかし、別れて元カノと再び付き合うことになった主人公が悲しみ抱えているのに対し、ジョゼは一人になっても力強く生きていくように描かれていて、それが障害者を理想化しているのではないかと、MXUさんは言うわけです。

正直、僕はこの映画の結末は特に疑問を持たずに受け入れてしまった人間なので、MXUさんの指摘にはなるほどと思いました。
ちなみに、僕がこの映画の結末の好きなところは、障害を扱った映画であるながら、ごくごくありふれた恋愛映画として描いたところです。

というのも、障害云々はさておき、恋人がいるのに魅力的な相手に出会い惹かれ合ってしまう、しかし結局うまくいかずに別れてしまい元の恋人と再び付き合う、なんて出来事は、恋愛映画にするまでもないくらい、ごくごく世の中にありふれた出来事だと思うのです。
登場人物が障害者だからと言って障害を特別に描くのではなく、障害者であってもごくごくありふれた普通の恋愛映画を描く、それは障害を当たり前の存在として描くことであり、それを今よりも障害者がセンシティブな存在だった2013年にやったことが画期的だと思ったのですが…どうでしょうか。

トークでも話したんですけど、例えば2001年の行定勲監督の「GO」が、在日朝鮮人の主人公から見た日本の差別問題というセンシティブなテーマを扱っていながらも、あくまで主人公と日本人の少女の恋愛映画として描いていたことにも通じると思うのです。
扱うテーマがその時代ではまだ特別なもの、センシティブなものに思えたとしても、「恋愛」という人間のごくごく普遍的なテーマを描くことはできて、それが世の中の多様性を進めていくのに一役買っているという解釈…どうでしょうか?

まあ、何はともあれ、「ジョゼと虎と魚たち」、いい映画でした。
12月に公開されるアニメ映画がどんな内容になるのか気になりますが、その前に田辺聖子さんの原作も読んでみたいですね。
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