こんなこともあったのです。
家内は2012年9月に喉頭がん治療で入院をしました。
経過もよく日常生活では声が出にくいのを除けば大体のことはできるようになりました。
私が今回の裁判の発端となる2013年の4月に事故を起こしてしまい入院することになり、リハビリを重ねて順調に回復に向かって行きました。
家内の言葉は、事故を起こしてからは「もう一生バイクはダメ!」ときついお叱りで、なんともはや自業自得だとあきらめるしかない状況でした。
そんな中で再入院の話と並行して、再雇用の約束をしての退職届の話があり、心配ながらも仕方ないから総務部長の言葉を信用しましょう、と言うことになり、その後私は入院生活を送ることになりました。
退院してからのことは皆さんもよくご存じいただいていると思いますが、総務部長からの電話で人生が狂いだしたのです。
信じたものが裏切られる、こんなつらいことはありません、まして生活の糧となる仕事を奪われたのですから。
そして家内といろいろ話をしました、そのことで今までにない気苦労をさせてしまい、今年になってガンの治療後の定期検査で食道がんと胃がんの疑いがあると言われてしまい、家内は泣き崩れてしばらくは取りつく間のないほどのショックを受けていました。
もちろん原因がなにかなんて医学的にも解明されていないかもしれませんが、今回の裁判で心底心配と苦労をかけた事が原因の一つとなっていると感じています。
先行き見えません、どうすれば良いのか路頭に迷うしかない今ですが、ただひたすらに今回の裁判では、石長に対して恨みつらみで戦うことでしか今は考えられません。
そんな今を一生懸命に生きる様に勇気を与えていただいているのが、応援いただいているユニオンの方々と仲間の一人一人です。
本当に感謝でしかありません、早く裁判に勝って石長に対して謝罪を求め、すっきりとした気分になりたいものです。
来月には胃がんの手術で入院することになっています。
いつまで続くのでしょうか戦いは。
家内は2012年9月に喉頭がん治療で入院をしました。
経過もよく日常生活では声が出にくいのを除けば大体のことはできるようになりました。
私が今回の裁判の発端となる2013年の4月に事故を起こしてしまい入院することになり、リハビリを重ねて順調に回復に向かって行きました。
家内の言葉は、事故を起こしてからは「もう一生バイクはダメ!」ときついお叱りで、なんともはや自業自得だとあきらめるしかない状況でした。
そんな中で再入院の話と並行して、再雇用の約束をしての退職届の話があり、心配ながらも仕方ないから総務部長の言葉を信用しましょう、と言うことになり、その後私は入院生活を送ることになりました。
退院してからのことは皆さんもよくご存じいただいていると思いますが、総務部長からの電話で人生が狂いだしたのです。
信じたものが裏切られる、こんなつらいことはありません、まして生活の糧となる仕事を奪われたのですから。
そして家内といろいろ話をしました、そのことで今までにない気苦労をさせてしまい、今年になってガンの治療後の定期検査で食道がんと胃がんの疑いがあると言われてしまい、家内は泣き崩れてしばらくは取りつく間のないほどのショックを受けていました。
もちろん原因がなにかなんて医学的にも解明されていないかもしれませんが、今回の裁判で心底心配と苦労をかけた事が原因の一つとなっていると感じています。
先行き見えません、どうすれば良いのか路頭に迷うしかない今ですが、ただひたすらに今回の裁判では、石長に対して恨みつらみで戦うことでしか今は考えられません。
そんな今を一生懸命に生きる様に勇気を与えていただいているのが、応援いただいているユニオンの方々と仲間の一人一人です。
本当に感謝でしかありません、早く裁判に勝って石長に対して謝罪を求め、すっきりとした気分になりたいものです。
来月には胃がんの手術で入院することになっています。
いつまで続くのでしょうか戦いは。