平成22年2月25日(木)晴
朝日が大島をバックに昇ると聞いて,日の出前から部屋の窓から見ていたが,残念ながら東の空に雲が多く,期待のような日の出とはならなかった。
この付近にはカモメが多く飛び交っていたが,それも定置網のあることが原因のようだった。
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熱川温泉にあるホテルで、旧ホテル大東館といえば、かってのTVドラマ『細腕繁盛記』を思い出す方もおられるだろうか ? その旅館が現在の
『ホテル セタスロイヤル』ということだ。
初代女将「加代さん」が、30人収容の旅館を一代で550人収容の熱川温泉一の旅館にするまでの物語を,原作者の花登筐が宿に滞在して、先
代の話を聞きながら書いたのが『銭の花』で、旅館名は『山水館』だった。
1970年1月から始まったドラマでは、加代役の新珠三千代に夫の妹役の冨士真奈美が憎まれ役として出演し,
「加代 ! おみゃーの言うとおりにゃさせにゃーで ! 」
と静岡弁でまくしたてたことなとが強烈な印象として残っている。
ドラマは視聴率も上がり,第2、第3シリーズとして1974年2月まで続けられた。
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この熱川温泉はその昔、江戸城を築いた太田道灌により狩りの途中で発見されたと伝えられているとか。
下賀茂
今日も昨日に引き続いて好天に恵まれた。
バスは熱川温泉から伊豆半島を南下して,下田から南伊豆町の下賀茂へ向かう。
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南伊豆町は『伊豆の小京都』といわれ、のどかな田園風景の中に自噴泉の湯煙が立ち上る温泉場で、一条、二条,上賀茂、
下賀茂と、京の街を偲ばせる地名が多くある。
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南伊豆町は『伊豆の小京都』といわれ、のどかな田園風景の中に自噴泉の湯煙が立ち上る温泉場で、一条、二条,上賀茂、
下賀茂と、京の街を偲ばせる地名が多くある。
長い歴史の中で都から追われた人々が流人として生活した遠流の地である。
流人とは言っても、その人々は高い文化と教養を持った公家,公達と呼ばれる階層の人たちで、里人の中に埋もれていった
都人の望郷の思いが南伊豆町に地名を生んでいったと伝えられているとのことだ。
流人とは言っても、その人々は高い文化と教養を持った公家,公達と呼ばれる階層の人たちで、里人の中に埋もれていった
都人の望郷の思いが南伊豆町に地名を生んでいったと伝えられているとのことだ。
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今日は朝一番で『河津桜』見物の第二弾として『みなみの桜と菜の花まつり』が開かれている、青野川沿いの両岸約2km
にわたり約千本の桜並木と菜の花が見られる下賀茂へと到着。
今日は朝一番で『河津桜』見物の第二弾として『みなみの桜と菜の花まつり』が開かれている、青野川沿いの両岸約2km
にわたり約千本の桜並木と菜の花が見られる下賀茂へと到着。
昨日とは異なり朝早いので,観光客も少なくゆったりとした気分で桜を愛でることとなった。
青野川の堤防には菜の花が植えられ,ピンクと黄色のコンビネーションが優しく目に入ってくる。
青野川の堤防には菜の花が植えられ,ピンクと黄色のコンビネーションが優しく目に入ってくる。
ここの河津桜も満開で,少し散り始めている樹もあった。
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対岸では源泉が流れ出していたり,河津桜と白梅が良いコントラストを見せてくれたりしていた。
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ここでも鳥見の際に問題になっている、カメラマンの独りよがりの行動に出会う。
私が撮っている前に立ちふさがり,声をかけても我関せずとシャツターを切っているおじさん、撮影会のリーダーが同じく
私の前を平然と横切っていく,しかも大勢のカメラマンを引き連れて。
私が撮っている前に立ちふさがり,声をかけても我関せずとシャツターを切っているおじさん、撮影会のリーダーが同じく
私の前を平然と横切っていく,しかも大勢のカメラマンを引き連れて。
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1時間30分を有効に利用して,上流まで桜並木をゆっくりと往復。
このパステルカラーの風景は何に例えたらよいのだろうか ?
ゆったりと絵筆を揮う人もいる。
遠くではウグイスのさえずりも聞こえている。
のんびりと馬車に揺られている人もいる。
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1時間30分を有効に利用して,上流まで桜並木をゆっくりと往復。
このパステルカラーの風景は何に例えたらよいのだろうか ?
ゆったりと絵筆を揮う人もいる。
遠くではウグイスのさえずりも聞こえている。
のんびりと馬車に揺られている人もいる。
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カメラを回すことに気を遣っている自分が、この自然に対して何か悪いことでもしているような気がして,途中からはこの
景色に溶け込むことにして,ただのんびりと歩くことにする。
景色に溶け込むことにして,ただのんびりと歩くことにする。
この往復に気温も上昇してすっかり汗をかかされる。久し振りに良い汗をかいた。
浄蓮の滝
下賀茂での『河津桜』見物を終えて、バスは下田から河津町へと戻り,昨日見物した河津川の桜並木を右手に見ながら,
国道414号線を北上する。
国道414号線を北上する。
このルートでは『河津七滝ループ橋』を通る。
この橋は地震による土砂崩れの教訓を生かして採用された工法で,昭和56年(1981年)に開通したとのこと。
この橋は地震による土砂崩れの教訓を生かして採用された工法で,昭和56年(1981年)に開通したとのこと。
総延長1.1km,高さ45m,直径80mの巨大な二重ループ橋となっている。
さらに『天城トンネル』を通過して、浄蓮の滝にあるレストランで昼食となる。
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さらに『天城トンネル』を通過して、浄蓮の滝にあるレストランで昼食となる。
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『浄蓮の滝』は静岡県伊豆市湯ヶ島にある滝で、かって滝の付近に『浄蓮寺』という寺院があったことから『浄蓮の滝』という名称がついたといわれる。
『浄蓮の滝』は静岡県伊豆市湯ヶ島にある滝で、かって滝の付近に『浄蓮寺』という寺院があったことから『浄蓮の滝』という名称がついたといわれる。
狩野川の上流部の本谷川にかかる滝で,鉢窪山の噴火により作られたとのことだ。
高さ25m,幅7mで、日本の滝100選の一つとされる。
周囲には珍しい『ジョウレンシダ(ハイコモチシダ)』の群生地があり,静岡県指定の天然記念物にもなっている。
高さ25m,幅7mで、日本の滝100選の一つとされる。
周囲には珍しい『ジョウレンシダ(ハイコモチシダ)』の群生地があり,静岡県指定の天然記念物にもなっている。
上の左の写真が浄蓮の滝,右の写真がジョウレンシダ。
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滝の見物には急な石段を5分ほど下る。帰りは15分かかるといわれているが,なるほど上ってくる方々は大分息を弾ませている。
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滝の見物には急な石段を5分ほど下る。帰りは15分かかるといわれているが,なるほど上ってくる方々は大分息を弾ませている。
滝の高さはさほどでもないが,水量が多く堂々とした滝だ。その滝の左側に『ジョウレンシダ』が多く見られる。
またここには石川さゆりの『天城越え』の歌碑がある。
河原にはセグロセキレイが餌を求めて飛び回っている。
川の右岸の狭い場所にわさび田もある。
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河原にはセグロセキレイが餌を求めて飛び回っている。
川の右岸の狭い場所にわさび田もある。
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左の写真が『天城越え』の歌碑,右の写真は滝への降り口にある『伊豆の踊り子像』。
江 間(イチゴ狩り)
バスは修善寺道路から伊豆中央道を通り,ツアー最後の観光となる,江間にある農園でのイチゴ狩り、いわゆる食べ放題の場所へ。
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江間は、静岡県伊豆の国市北西部にある一地区。
旧江間村で、狩野川下流左岸に位置し,古くは依馬郷(えまごう)と称した。
1954年(昭和29年)に伊豆長岡町と合併,2005年(平成17年)に伊豆長岡町は韮山、大仁2町と合併し,伊豆の国市となった。
農業を主産業とし、特にイチゴ栽培が盛んで,観光イチゴ狩りも行われている。
江間は、静岡県伊豆の国市北西部にある一地区。
旧江間村で、狩野川下流左岸に位置し,古くは依馬郷(えまごう)と称した。
1954年(昭和29年)に伊豆長岡町と合併,2005年(平成17年)に伊豆長岡町は韮山、大仁2町と合併し,伊豆の国市となった。
農業を主産業とし、特にイチゴ栽培が盛んで,観光イチゴ狩りも行われている。
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その農家・岩田さんの先導で、バスが右の写真のハウス前まで案内される。
ここでハウス内の3列の畦に別れて,食べながら前へ歩いていき、帰りはその隣の畦を同じようにして何回でも繰り返して食べるようにと説明される。
ここの品種は『紅ほっぺ』。練乳入りの小さなビニール製の容器を持ちながら,赤く熟れたイチゴを摘んで食べる。
甘い,爽やかな甘さが口一杯に広がる。
何個食べたろうか,昼食後それほど時間が経っていないが,別腹といったところで充分食べた。
ここでハウス内の3列の畦に別れて,食べながら前へ歩いていき、帰りはその隣の畦を同じようにして何回でも繰り返して食べるようにと説明される。
ここの品種は『紅ほっぺ』。練乳入りの小さなビニール製の容器を持ちながら,赤く熟れたイチゴを摘んで食べる。
甘い,爽やかな甘さが口一杯に広がる。
何個食べたろうか,昼食後それほど時間が経っていないが,別腹といったところで充分食べた。
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バスは再びセンターへ戻り,ここでお土産を購入するやら,前面の畑に植えられた菜の花の摘み取りをするやらして、このツアーを終える。
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バスは熱海駅に戻り,帰りも特急『踊り子号』で帰京した。
バスは熱海駅に戻り,帰りも特急『踊り子号』で帰京した。
熱海駅 16時26分発 特急・踊り子号 116号 → 東京駅 17時44分着
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