nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

瀬戸内紀行3

2019-04-15 10:08:57 | 旅行記

平成30年4月2日(火)晴

 冷んやりとした朝、今日も晴天に恵まれました。下の画像はベランダから庭を眺めたものです。

  

 朝食は昨晩と同じく、1 階の食事処『二十三夜』で和食膳でした。

 烏賊刺しに湯豆腐やちりめんじゃこなど具沢山のお菜に、お粥と御飯が用意されていました。

  

 部屋へ戻り、出発の準備して、部屋の様子をカメラに収めました。部屋の入り口の座敷とその奥右の洗面所とその左に浴槽があります。

  

 また昨日発表された新元号の記事が載っている愛媛新聞が届けられていました。バスで出発する際には従業員の見送りを受けました。

  

 バスは市内の道後公園の脇を通り、松山城のロープウエイ乗り場近くの駐車場に着き、5分ほど歩いてロープウエイ乗り場へ。

  

 ロープウエイとリフトが並行して運転していましたが、往路はロープウエイに乗り『長者ケ平』に着きました。

  

 ここから『本丸』まで緩い登りの道を進みます。 

   

松山城

 松山城は、松山市の中心部である標高 132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園)、三之丸(堀之内)

 がある、広大な平山城です。 

 加藤嘉明公が 1602年から築城を開始し、わが国の築城史上、最長の歳月(四半世紀)を完成までに要した四国最大の城郭で、「現存12

 天守」の中では、姫路城と並ぶ連立式の天守を有しています。加藤氏は、城の完成前に会津藩へ転封となり、蒲生氏を経て1635年から

 明治維新までの 235年間に渡り、親藩大名であった松平家の居城となりました。 

 わが国最後の完全な城郭建築と言われている大天守の最上階からは、360度眺望がひらけ、松山平野や瀬戸内海などを見渡すことができ

 ます。 

 日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓や、「現存12天守」の城郭では松山城と彦根城しか存在が確認されていない、韓国の

 倭城の防備手法である「登り石垣」が二之丸から本丸にかけてあり、また、堀之内を含む城山公園全体が国の史跡で、「日本さくら名所

 100選(平成元年)」や「日本の歴史公園100選(平成18年)」の指定も受けています。         【松山市】

     *

 松山城の石垣は、倭城の経験がある加藤嘉明により、ほとんどのものが築かれており、特に本丸の高さ14mを超える屏風折の石垣などは

 壮大なもので、軍事目的を超えた芸術性をも楽しむことができます。 

  

 この城壁の外側にある濃いピンクの桜が目立っていましたが〔ヨウコウ・陽光〕という種類でした。(左の画像の奥に見えます)

    

 左の城壁の上は『太鼓櫓』と遠く『天守』が望め、右の画像は桜の後ろに『太鼓門西塀』があります。

 石垣の西端の太鼓櫓と太鼓門との間にある24.41mの渡塀には狭間 21ヵ所、石落 2ヵ所が設けられています。

  

 左は『筒井門』と『筒井門東続櫓』、右は『太鼓』と『巽櫓』です。

 城の防備を固める上で、最も重要堅固な意味合いを持つのが筒井門と隠門です。戸無門を通過して、目に付くのは筒井門で、その奥にあ

 る隠門は分かり難くしています。これは、侵入者の注意を筒井門に向けさせ、そこを破ろうとする敵を隠門から打ち出て、背後から襲う

 戦略とみられています。これら門の上には続櫓があり、松山城の守りの堅牢さを象徴するものとなっています。

  

 左は『太鼓門』の前にある場所からの松山市内の展望で、右が『太鼓門』になります。

 太鼓門・同南北続櫓・太鼓櫓・巽櫓は1つの防御単位を構成し、高さ約5mの石垣に一線に構築され、筒井門から本丸南腰郭に侵入して

 くる敵に備えています。

  

 ようやく『本丸広場』へ上がってきました。広場から『松山市内』の一部を見下ろしています。

  

 広場の桜は七分咲き程度になっていました。また、〔オオシマザクラ〕の白と薄いピンクの花が並んで咲いていました。

  

 『天守』と『小天守』右手に『一ノ門南櫓』が見えます。

 天守は三重三階地下一階の層塔型天守で、黒船来航の翌年落成した江戸時代最後の完全な城郭建築です。 

 小天守は、二重櫓、小天守東櫓とも呼ばれ、大手(正面)の二之丸・三之丸方面を監視防衛する重要な位置にあります。天守、小天守、

 隅櫓を渡櫓で互いに結び、武備に徹したこの天守建造物群は、わが国の代表的な連立式天守を備えた城郭といわれています。

  

 天守の左側に回ると『小天守』がはっきりと見えてきました。右は『乾櫓』と『乾門西塀』、『乾門』、『乾門東続櫓』です。 

 乾櫓は築城当初の二重の隅櫓で、本丸の乾(北西)の隅の鈍角の石垣の上に鈍角の櫓が建っています。乾門・同東続櫓とともに搦手

 (裏側)を防衛する重要な構えです。弾丸が壁を貫けないように壁の中に小石や瓦を詰めて厚くする、太鼓壁構造となっています。 

  

 ここまでで松山城の見学を終え、長者ヶ原へ戻ることにしました。右は『太鼓櫓』と遠く『天守』が見える場所でした。

  

 長者ヶ原からの下りは、リフトを利用しましたが、途中の桜が目を楽しませてくれました。

  

 松山城の見学を終え、駐車場に戻りバスで昼食場所の瀬戸内風仏蘭西料理・レストラン『門田』へと向かいました。

 『前菜』は、ハマチの薄切り みかんソース、鴨のロースト、菜の花とイカの生ハム巻き ビーツソースの盛り合わせでした。

  

 『スープ』はジャガイモのスープ、『メインデッシュ』は鯛のワイン蒸し 白ワインソースと、

  

 門田特製ローストビーフ ジュ・ド・ブッフソースでした。この他に『デザート』、『パン』、『コーヒー』を戴きました。

  

レストラン門田(昼食)

 東京の一流ホテル(ホテルオークラ)で腕をみがき、愛媛に戻った時、とても感動したのは、一級品の素材が手軽に揃う環境でした。

 瀬戸内海の素晴らしい素材にこだわって誕生した「瀬戸内風仏蘭西料理・レストラン門田」は、おかげさまで今年 25周年を祝うことに

 なりました。                【門田 征吾

     *

 これで観光は終わり、バスは松山自動車道を経て高松自動車道に入り、『豊浜S A』でトイレ休憩の後、瀬戸大橋を経由して『岡山駅』

 に到着しました。画像は道後公園豊浜SAの様子です。

  

 岡山駅ではお弁当を購入して、のぞみ42号に乗車しました。

  

 途中、お弁当の岡山名物『桃太郎の祭りずし』とよこづなの『おむすびころりん』を戴いて、無事東京へと戻りました。

  

    

     *

 9.00.別邸 朧月夜発(バス)→ 9.15.松山城 (ロープウエイ … 城内見物 … リフト)11.15.(バス)→ 11.30.昼食(レストラン門田)13.15.

 (バス)→ 松山自動車道 → 高松自動車道 → 14.20. 豊浜S A 14.45.→ 瀬戸大橋 → 15.45.岡山駅 16.53.(のぞみ42号)→ 20.13.東京駅着

【観察した野鳥】  22種類

 1.カワウ    2.ダイサギ    3.コサギ     4.アオサギ    5.ヒドリガモ   6.ホシハジロ   7.キンクロハジロ

 8.ト ビ    9.キ ジ    10.ユリカモメ   11.セグロカモメ  12.キジバト   13.コゲラ     14.ツバメ

  15.セグロセキレイ16.ヒヨドリ  17.イソヒヨドリ  18.ウグイス    19.ホオジロ    20.スズメ    22.ハシブトガラス



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