nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

長岡まつり

2014-08-02 00:00:00 | 旅行記
平成26年8月2日(土

 日本三大花火大会の一つである『長岡まつり大花火大会』に参加すべく、クラブツーリズム社主催の
 ツアー『優雅なる長岡まつり大花火大会』に参加しました。
 上野駅を正午頃の新幹線で越後湯沢駅に行き、『NASPAニューオータニ』で一休みした後現地へ
 向かい間ました。
 途中石打付近から猛烈な雷雨となりましたが、それも越後川口S.A.でトイレ休憩する頃にはスッキ
 リと晴れ上がり、真夏の太陽がギラギラと照り付けるようになりました。
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 ここの展望所(上の右の画像)からは、大きく蛇行する信濃川が見下ろせます。
 長岡の花火大会はこの信濃川の下流域で行われます。
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 バスは関越道をスムースに走っていましたが、長岡に近づくにつれて渋滞が始まりました。
 市内に入ると大変な混雑で、夕食用のお弁当を積み込んで陸上競技場脇の駐車場に着いたのは6時近
 くになってしまいました。
 バスの車中で渡された指定席のカードを首に掛けて堤防に上がり、信濃川左岸の河原に用意された指
 定のイス席に着くまでに 20分ほどかかりました。
 堤防は勿論、河原に設けられた桟敷席などには既に多くの観客が来ていました。
 我々も大会が始まるまでに急いでお弁当を食べ、開会を待ちます。
 幸いに風は川上から川下に吹いており、太陽も雲に隠されて暑さも和らいでいました。
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長岡まつり
 今から69年前の昭和20年8月1日。B29大型爆撃機が来襲し、午後10時30分から1時間40分もの間に
 わたって市街地を爆撃。
 旧市街地の 8割が焼け野原と変貌し、燃え盛る炎の中に1,485名の尊い命が失われました。
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 空襲から1年後の21年8月1日に開催されたのが、長岡まつりの前身である「長岡復興祭」です。
 この祭によって長岡市民は心を慰められ、励まされ、固く手を取り合いながら、不撓不屈の精神でまち
 の復興に臨んだのでした。
 今年も8月1日がやってきます。空襲で亡くなられた方々への慰霊の念や、長岡再興に尽力した先人への
 感謝、また恒久平和への願いを、私たちはいつまでも、この長岡まつりで伝えてまいります。
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 69年前の長岡空襲の始まった時刻、8月1日午後10時30分にあわせて慰霊の花火を打ち上げます。
 空襲で亡くなられた方々への慰霊、復興に尽力した先人への感謝、恒久平和への願いを込めて、白一色の
 尺玉3発を打ち上げるとともに、市内寺院の協力を得て同時刻に慰霊の鐘を鳴らします。
 是非この趣旨をご理解いただき、慰霊の花火打上げに合わせお祈りをいただければ幸いです。    
                                【長岡まつり協議会】
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 7時15分、長岡市長と友好都市ホノルル市長の歓迎と感謝の挨拶があり、『慰霊と平和への祈り』を込めて
 10号5発の花火が打上げられて、長岡まつり大花火大会が始まりました。
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 プログラムの第1番は、『長岡の大花火』というタイトルで、信濃川に架かる大手大橋を利用したナイアガラ
 と超スターマインの打上という、いきなり豪華絢爛たる大花火に、我々を驚かせ喜ばしてくれました。
 この後はこれに勝る花火があるのではと、大いに期待を抱かせる第1号でもありました。
                         【花火の画像は長岡市観光企画課による】
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 その後は2~3分おきに次々と各スポンサー提供の超大型のスターマインなどが打上げられました
 が、中には多数の協賛企業で『この空の花』『天地人花火』というタイトルで打上げられた作品もありました     *
 
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 スケジュールの中程に、復興祈願花火・フェニックスとして『フェニックス10』というタイトルの打上があり
 ました。
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復興祈願花火・フェニックス 
 2004年10月の新潟県中越大震災は、長岡市を含め中越地方に甚大なる被害をもたらし、多くの方々が被災し ました。また、中越地方に限らず新潟県全体においても、観光産業をはじめとした各種産業に多大な被害を及 ぼしました。
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 フェニックス花火の打ち上げは、大震災に負けずに頑張っている中越地方をはじめとする新潟県全体の大勢の 人々を元気付けるために、また、一日も早い復興を祈願して、世界一の誇れるような壮大な花火を打ち上げた い、という思いからスタートしました。
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 更に、世界中の人々の復興とご支援頂いた多くの方々への感謝のシンボルとして、「新潟県中越大震災復興祈 願花火フェニックス」を、戦災からの復興を起源とした「長岡まつり」にて打上げているもので、今年は10周 年となりました。今年も全国から届けられた協賛金によって例年より多い 2,000発の超ワイドスターマイン  『フェニックス10』として打上げます。                  【長岡まつり協議会】
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 5分間の『フェニツクス10』の黄金の不死鳥が連なって舞い上がるその姿は、我々観客の魂を揺さぶられまし た。
 打上げが終わった後の観客の歓声と拍手がしばし鳴り止みませんでした。
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 その後も各社提供のスターマインが続きましたが、長岡花火のもう一つの目玉である『正三尺玉』の打上が上 流に架かる長生橋に仕掛けた『ナイアガラ』に続いてありました。
 この打上の前には場内のアナウンスの後サイレンが鳴り響き、観客もこの音を聞いて拍手が起こりました。
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正三尺玉
 直径 90cm、重さ300�の巨玉が 600m上空で直径 650mもの大輪を咲かせ、その破裂音が夜空に響き渡りま す。
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 この後もスターマインなどの打上が続き、数々の大型花火の打上に酔い痴れましたが、9時を過ぎて再び『正 三尺玉』の打上があり、頭上に覆い被さるような輪の中に入っている自分に大いに興奮させられました。
 最後の画像としてミラクルスターマイン『スプラッシュファイヤー 炎の舞』と、ラス前に上がった『米百俵花 火・尺玉100連発』を載せることにします。
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 問題はその後にありました。観客が一斉に引き上げるので,バスは駐車場から動くことが出来ず,待つこと2 時間近く、どうにか動き出したのが11時を過ぎていました。それも北陸道へ入るまでノロノロ運転が続き、ホ テルへ着いたのは翌日の1時半になってしまいました。

8月3日(日)

 眠いのを無理して7時過ぎに起床,バイキングスタイルの朝食、お菜が多いので食べ過ぎてしまう。
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 10時半ホテル発。湯沢は泊まるだけの場所でした。
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 バスは越後湯沢 I.C.から関越道に入り、水上 I.C.で降り,水上温泉郷を通り『水上高原ホテル200』に到着。
 高度約 1,000mの高原にある総合レジャー施設で,ゴルフ,プール,カヌー等か゜利用できる。
 ここの11階の展望レストランで昼食となる。
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 早めに食事を済ませ,ホテルの外へ出る。気温は29℃あるが、木陰に入ると涼しい。
 山の展望も谷川連峰の一部と,旭岳が見える程度。
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 帰りは上毛高原駅から上越新幹線で帰京した。
 





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