nemo 折々の自然

折に触れて観察した自然などの記録

甲斐花紀行

2013-04-05 00:00:00 | 旅行記
 今年の桜の開花は例年より1~2週間ほど早く、各地で予定されていた ‘ 桜祭り’ は ‘葉桜 ’ 状態での催しとなったようだ。
 ところが、例年どおりのスケジュールで旅行社の〈花見ツアー〉に申込んでいたので、少しばかり自棄気味の気分でJTB主催の日帰りツアー『日
 本三大桜 山高神代桜と身延山久遠寺のしだれ桜』に参加しました。
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 参加者はさぞや少ないだろうと思っていましたが、何と満員のバス2台で出発。
 早速添乗員から桜の開花状況の説明があり、神代桜は見頃だが身延山のしだれ桜は葉桜状態とのこと。
 かねてから日本三大桜で見逃していた神代桜が見られるとあって、一安心。
 バスが中央道八王子JCT付近になると、雲の多い空から一面の青空となり、絶好のお花見日和となりました。
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 事故のあった【笹子トンネル】を過ぎ甲府盆地に入ると,一面のピンク色の世界に車内から
 歓声が上がりました。ちょうど桃の花が満開になっていたのです。
 ツアーの案内では何も触れてなかったのですが、この時期には桃・ぶどう日本一と温泉の郷、
 笛吹市の『桃の花まつり』が 4月1日 ~ 21日の期間、市内各地で開催されていたのです。
 これには思わぬプレゼントになったと、添乗員も生気が戻ったように言葉が弾むほどでしとた。
 一宮御坂 I Cで一般道へ降りると、道路の両側には桃畑が展開し、街路樹の真っ赤な花桃が一
 段と彩りを添えて、まさに春酣の花園に迷い込んだような気分にさせられました。
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 昼食を積み込む予定の『御坂農園』では、予定外の桃畑と菜の花畑の見学をすることになり、我々
 には嬉しいハプニングとなりました。
 腰の高さほどある菜の花が一面に咲き競い,折からの春の日差しに眩しいほど反射し、その間にピンクの桃の花が見られるという色彩の妙に、す
 っかり気分が高揚されるようになりました。
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Img_0021Img_0026  バスは再び中央道に入り、頂上付近に雲がかかる鳳
 凰三山などを眺めながら、車中で『お花見弁当』
 を戴く。
 韮崎 I C で国道20号線に降り、今日の最大の目
 的地、実相寺へと向かう。





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Img_0030Img_0052Img_0051 実相寺
 日蓮を身延山に招いた波木井六郎実長の四代後の
 伊豆守実氏が、身延山第五世鏡円阿闍利日台上人
 の弟子となり、実相院日応と名乗った。
 この日応上人が永和元年(1375)、同村大津にあっ
 た真言宗の寺を訪れ、住んでいた真理法印と法義
 を論じ合い、論破して寺を譲り受けた。この時日
 蓮宗に改宗して大津山実相寺と称した。
 その後、永禄4年(1561)、川中島の合戦にあたって、武田信玄は蔦木越前守を遣わし武運長久の祈願を命じ永代祈願所として、一条次郎忠頼の城址
 であった山高の現在地を寄進、移転して現在に至っている。
 白壁の塀で四方を囲まれた境内は約 3000坪と広く、山門をくぐると花畑の中を参道が続く。
 花畑にはラッパ水仙やチューリップが約10万本、 植えられている。      【実相寺資料による】
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 この付近の桜は 3月28日に満開となったそうだが、その後低温が続いたためか未だ充分見頃になっている。折からの強い日差しを浴びて一面の桜
 が眩しく輝いて見える。
 山門を潜ると右手には満開の桜、左手には水仙の花が咲き競い、我々の目を楽しませてくれる。
 その本堂の左手に、日本三大桜の一つ山高の神代桜が満開の姿を見せてくれている。
     *Img_0036_2
【神代桜】
 同寺は創建以来2度の火災にあって歴史的建造物や寺宝等は残っていないが、境内の「神代桜」が有名。
 日本三大桜の一つであり、日本武尊がお手植えされ、日蓮聖人が蘇生を祈られたという。
 国指定の天然記念物の神代桜は、樹齢 2000年以上といわれ、その大きさは最盛期で高さ13.6m、根本幹周13.5m、枝張りも東西27.0m、南北30.6m
 というエドヒガンの巨樹を誇っていた。
 近年、主幹部保護のため若干小振りとなったが、毎年4月10日前後の開花期には見事な花をつけ花見客の目を楽しませている。  
 また神代桜ばかりでなく、樹齢50年から100年の桜が30本ほどある。    【実相寺資料による】 
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 根本の幹回りのがっしりとした姿が,樹齢 2000年を超える重みを受け止めているように感じられ、この樹の保護に携わる方々の努力もあって、
  現在も見事に花を咲かせているという悠久の姿に感動を覚える。
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 またこの実相寺の境内には、神代桜の子桜が育てられている他、根尾の薄墨桜,三春の滝桜、それに久遠寺のしだれ桜のそれぞれの子桜が植えら
 れており、何れも満開で見事な姿を見せてくれていました。
 この思わぬプレゼントに、すっかり花酔いの気分にさせられました。
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 神代桜の見物で大満足した後、バスは再び韮崎 I C から中央道に入り、双葉JCTから中部横断自動車道に入り、現在までの開通区間の増穂 I C
  で降り、富士川沿いの道を大法師公園へと向かう。
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大法師公園
 甲府盆地南西端、富士川町市街地に隣接した大法師山の小高い山頂にサトザクラ、シダレザクラ約2000本が植えられており、毎年3月下旬から4
 月上旬にかけて大法師さくらまつりが開催される。
 園内からは甲府盆地越しに八ヶ岳や奥秩父山地、さらに富士山を望むことが出来る見晴らしのよい公園である。『財団法人 日本さくらの会』の
 【桜100選】に選ばれている。 【富士川町資料による】
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 富士川町が準備したバスの駐車場からは、無料のマイクロバスが公園までピストン輸送してくれる。
 その運転手さんの話では、桜は残念ながら散り始めており、僅かに3~4分程度残っている樹もある程度とのこと。
 『さくら祭り会場』ヘ向かう途中の桜は既に葉桜になっており、マイクロバスを降りて会場への上り道の両側の桜も僅かに花が残っている状態。
 屋台が並ぶ会場には広いテントとテーブルが用意されているが、花見客も疎ら。これはもう長く居る場所ではないと、祭り本部のある建物の屋上
 から、雲の間に僅かに頭を覗かせている富士山を眺めて会場を後にする。下右の画像は、満開時の富士川町参考写真。
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 ツアーの最後は、国道52号線の富士川沿いの道を静岡方面に進み身延山久遠寺へ。
 バスは久遠寺の大きな総門を潜り、身延川沿いの狭い一方通行の道を進む。
 この対岸の所々には、まだ若い散り始めのしだれ桜が見られる。
 道路沿いには点々と『しだれ桜祭り』の幟が目に付く。
 ほぼ満員の駐車場からは、30人乗りの『斜行エレベーター』を利用する。
 平成21年度に完成したというこのエレベーターが無ければ、高低差104mの『菩提梯』(覚りに至
 る階段のこと)の287段の急な階段を利用するか、男坂か女坂を上がらなければならなかったので
 大助かりだ。
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 エレベーターを降り、広い台地に出ると身延山久遠寺の諸堂が立ち並び、その規模の大きさに驚か
 される。事前に知らされていたが、期待の祖師堂前のしだれ桜は完全に葉桜になっているのが残念
 だ。
 先ず本堂で拝礼の後、堂内に入る。総坪数970坪(3,201�)、間口17間半(32m)、奥行28間 (51m)とその広さに圧倒される。その外陣の天井
 画、加山又造画伯の[墨龍]が我々を見下ろしている。
 この本堂は1985年(昭和60年)落慶。本尊は日蓮聖人真筆大曼荼羅本尊を木造形式にしたものという。
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 本堂の回廊伝いに祖師堂へ。明治14年に再建され、中央の宮殿には 日蓮聖人像が安置されており、内陣虹梁には昭和天皇より下賜された「立正」
 の勅額がある。
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 さらに回廊を伝って報恩閣へ。平成14年に立教開宗750年を記念し、信徒の受付業務、接待所として建立された。
 ここの入口前庭に樹齢400年を経たしだれ桜があるが、残念ながら既に葉桜となっている。
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 報恩閣から回廊を伝わって本堂へ戻り、地上へ降りる。
 目の前に間口三間四面、高さ39mの新しい五重塔がある。
  現在の五重塔は3代目で平成 20年竣工、明治 8年以来133年ぶりに、創建当時の姿で復元建立されたという。 平成21年に落慶法要が行われたが
 初代の塔は加賀前田利家の側室寿福院の建立によるとのことだ。下の画像は左から本堂、祖師堂、五重塔。
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 祖師堂前のしだれ桜はこの3月28日には満開となったとのこと、その時の画像を久遠寺の画像で……。
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 境内の一番奥にしだれ桜が一本だけ咲き残っているのが目に入ったので、そこまで行くことにする。
 そこは日蓮を身延に招いた波木井実長を祀っている開基堂の前で、その反対側、報恩閣の続きには拝殿の奥に日蓮の〈御真骨〉を安置している御真骨
 堂
があり、さらにその右手に夕方3時からの勤行と特別法要を営む仏殿がある。
 境内には咲いているしだれ桜がこの一本なので、皆さんが集まっているので写真を撮るのに苦労する。
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Img_0065Img_0066 身延山久遠寺
 鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「法華経」をもってすべ
 ての人々を救おうとした日蓮聖人は三度にわたり幕府に諫言を行い
 ましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。
 当時、身延山は甲斐の国波木井郷を治める地頭の南部実長の領地で
 した。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永
 11)年5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山のふ
 もとの西谷に構えた草庵を住処としました。
 このことにより、1274年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年
 6月17日を身延山開闢の日としています。日蓮聖人は、これ以来
 足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦と門弟たちの教導に終始
 し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら身延山久遠寺と命名されました。
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 翌1282(弘安5)年9月8日、日蓮聖人は病身を養うためと、両親の墓参のためにひとまず山を下り常陸の国に向かいましたが、同年10月13日
 その途上の武蔵の国池上にてその61年の生涯を閉じられました。そして「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という日蓮聖
 人のご遺言のとおり、そのご遺骨は身延山に奉ぜられ、心霊とともに祀られました。
     *
 その後、身延山久遠寺は日蓮聖人の本弟子である六老僧の一人、日向上人とその門流によって継承され約200年後の1475(文明7)年、第11世
 日朝上人により、狭く湿気の多い西谷から現在の地へと移転され、伽藍の整備がすすめられました。
 後に、武田氏や徳川家の崇拝、外護を受けて栄え、1706(宝永3)年には、皇室勅願所ともなっています。
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 日蓮聖人のご入滅以来実に700有余年、法灯は綿々と絶えることなく、廟墓は歴代住職によって守護され、今日におよんでいます。日蓮聖人が法
 華経を読誦し、法華経に命をささげた霊境、身延山久遠寺。
 総本山として門下の厚い信仰を集め、広く日蓮聖人を仰ぐ人々の心の聖地として、日々参詣が絶えることがありません。                                                             【身延山久遠寺資料による】
     *1304051
 かくして長い1日の観光を終え、元の道を戻ることになったが、斜行エレベーターで駐車場へ降り
 る際係の方から身延の町を見下ろしながら、しだれ桜の満開の時のここからの眺めが最高であるこ
 とを説明され、是非またその時期にいらっしゃいと言われる。
 この身延の町はまさに『しだれ桜』の町なのだ。
 バスの車窓から西谷に残るしだれ桜を見ながら、また機会があったらここに来たいものだと思って
 いました。



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