悠翠徒然

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『終わらない人 宮崎駿』

2016-11-13 21:49:12 | Weblog
宮崎駿の特集番組を見ました。

長編をまた手がけて見 みようかな、なんて言ってました。

ドワンゴの社長に対して、叱責に近い強い口調で正論を言ったところは、まだまだ現役バリバリ!

あんな映像を宮崎駿に見せてプレゼンするとは、まさに『ナンセンス!』

ドワンゴは面白けりゃなんでもやる会社なのか!って世間に認知されたでしょうね。

宮崎駿は瞬間湯沸かし器的なのは昔っからだけど、事前にどんな地雷があるのかぐらいは、人工知能で調べておくべきだったと思うけどね(笑)


こりゃ『終わらない人』じゃなくて『終われない人』なんだな。

宮崎駿が頑張るなら、俺も頑張るぞ!って思うオヤジどもは沢山いるんじゃないかなぁ。

世の中的には夢もあってとても良い事です。

でも、若い人を沢山教育しながら、長編だと五年もかけて進んで行くのは、体力的にとても大変そう、、、。

残り火だけでも相当な熱さなのでエネルギーは心配ないんですけどね〜









そこまでシンメトリー好きじゃない

2016-11-13 11:31:13 | Weblog
関係ないですね(笑)

日本にはアジア各国の文化が伝わり、正倉院と言うタイムカプセルにも詰まっていったわけです。

建物や仏像などのほか、漢字も伝わってきました。

漢字が日本に伝わったころ、日本には文字がなかったとされています。

もちろん言葉はあったので、その言葉の『音』と同じ『音』を持つ漢字を当てはめたわけです。

賢い!
偉い!
凄い!

賛辞形容詞三連発であります!

ま、『世露死苦!』みたいなもんですけど(笑)

とにかく漢字は表意文字だったので、言語のちがう国にもどんどん伝わっていったのです。

朝鮮半島や日本だけでなく、ベトナムにも伝わっていきました。

『漢字』と言う文字を見れば、漢字圏に住む人間とってはそれが『漢字』を指している事は分かりますからね。

当たり前のようですが、これが表音文字だとそうはいきません。

『かんじ』が伝わるのは日本だけですからね(笑)

ひらがなとカタカナ、アルファベットは表音文字文字なのです。

表意文字と表音文字文字を何種類も混ぜて使う日本語は、学ぶのに大変だそうです。

日本の子供たちに教えるのもなかなか大変なのですから、外国人の大人が学び直すのはとても大変でしょうね。

なんか話がまとまらなくなっちゃったなぁ〜(笑)

おしまい!



これを見にいきたいのだ。



















やっぱり長生きが一番だよね

2016-11-13 11:13:03 | Weblog
もちろん健康な状態で、ですよ。

日本人の平均寿命が長いのは、日本食のおかげ?
それとも温泉のおかげ?
それとも遺伝子のおかげ?

やっぱり皆保険制度のおかげだとおもうのです。

素人の的外れ発言かもですが、、、、

誰でも気軽に病院に通える皆保険制度は、日本が世界に誇れる制度の一つなのではないでしょうか。

『長生きしたけりゃちょとおいで〜 あ、ドドンノパッ、ドドンノパ〜』

であります。

わかる人には分かる、けれども、わからない人には全くわからないのだ、ワン!




書いてみました

2016-11-13 08:51:04 | Weblog


『字』の篆書体をモチーフに、スピード感出してみました。

世の中的にはちっとも新しい試みではありませんが、こうして遊ぶのは楽しいですよ。

篆書と隷書は静かな書体と言われています。

墨量を一定にし、筆勢を殺し、紙に刻する様に書いて威厳や安定感、存在感を静謐にだすのです。

その真逆で書いてみました。

生命力はでましたが、緩急の差をつけた分、ゆっくり書くべきところの筆遣いが難しかったです。

独自の筆遣いで書いているので、それが完成するまでは、書体も未完と言うことになります。

ま、未完のままで終わるのも、また良し、であります。

あんまりこだわってもねぇ〜(笑)

本当に大切な事は少ししかありません。

それ以外のことはこだわらないのが楽です。

『こだわらない力』

年々増してきている様におもいます(笑)




疲弊する庶民

2016-11-13 07:20:07 | Weblog


やせ細り、ギスギスした感じを出してみました。

もちろん本来望んでいる姿ではありません。

かといって、庶民は富や権力を持つ側になりたいと考えているわけではありません。

庶民は庶民として平静に暮らして行きたいだけなのです。

それなのに、大きな力を持ったマスコミが、『俺たちこそ正義だ!』とか『正解はこれ!』と言わんばかりに庶民を煽ってきます。

煽られた庶民はあたふたするばかりです。

どうすれば平静でいられるのでしょうか。

それは自分を俯瞰の位置において、過去を含めた世界を見下ろす事で実現できると思います。

それには歴史や哲学の知識とそれらに対する独自の見解がなければなりません。

そこに人間の性を見つけることができるでしょう。

一言で言えば『貧すればどんする』のが人間の性です。

貧しきものは富める者から富を奪い取り、富める者は更に富める者から富を奪おうとするのです。

それぞれの国の政策は、それに歯止めをかけるものです。

ですが、その歯止めが効かなくなるほど、世界中で貧富の差が激しくなっていることを、9.11で世界中が衝撃的に思い知らされたのです。



今アメリカは揉めています。

韓国でも揉めています。

日本でもそのエネルギーはマグマ溜りに溜まってきているのではないでしょうか。

築地移転に伴う問題やオリンピックに伴う問題は、その一部にすぎません。

多くの人が納得した解決策になったとしても、それは少しのガス抜きにしかならないとおもいます。

問題の本質はもっと根深いところにあるからです。

70年以上続いてきた戦後レジームは、日本にその歴史上最高の物質的豊かさをもたらしましたが、同時に歴史上最低の精神性の欠除をもたらしたのです。

憲法論議には失われた日本人の精神性が必要です。

それ無くして議論なんかできません。

では日本人としての精神性とはなんでしょうか。

それは何か大きな力によってこの世に生を受け、そして多くの物や仲間のおかげで生かされているという感謝の気持ちから、自然に生まれてくるものではないでしょうか。

森羅万象全てに感謝しながら慎ましく生きることで、日本人としての精神性が復活してくるとおもうのです。

私が慎ましく生きているかと言えば、そこは今後の課題とさせていただきますが(笑)

学校や家庭で教えることはそこが基本でなければならないとおもうのです。

もちろん書道塾でも同様と考えます。

庶民が必要なのは正誤も分からない氾濫する情報ではなく、情報を読み解き分別取捨する方法とその思想です。

情報に右往左往されない庶民になりたいものですね。

庶民が穏やかで平穏に暮らしていくには、知識と教養、そして独自の思想が必要なのです。

自分と異なる意見や思想の存在を認め、話し合いを重ねて、暴力で解決することを避ける姿勢が大切ですね。

『筆は剣よりも強し』

なのであります。