悠翠徒然

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『ベッケル』と言うスペインのワインを飲んでいます

2016-11-30 19:05:01 | Weblog
てっきりドイツワインかと思ったのに、、、

しっかりしている味で、いい感じ!

美味しいのだ。

周りは何やら外国人ばかりになってきた!

体格差が激しいのだ(笑)

スティングライブ

2016-11-30 10:01:06 | Weblog
40周年バースデーライブの映像を見ました。

スティングが若い!

もう65歳ぐらいなのに、四十代ぐらいにしか見えない!

ゲストで出たアンディサマーズも、ダイエットしたのか昔の面影が復活して(笑)ホッとしました。

『シンクロニシティ2』をビニーカリウタが、スピード感ある演奏で叩いてくれるのを楽しみにしていたのですが、残念ながらラインナップには無し、、、

ま、あれはスチュアートコープランドが叩いてナンボって感じだからでしょうね。

とてもいいライブでした!

スティングカッコいい!

ASKAの再逮捕

2016-11-30 06:58:01 | Weblog
覚醒剤って、人間を壊していくんですね。

どんなに才能に恵まれた人でも、人間が壊れてしまう。
恵まれた才能や多くの人が待っていた未来の創作物だけでなく、彼を支えていてくれた周りの社会も壊してしまう。

とても残念な事です。

シャーロックホームズは、架空の人物ですが、確か覚醒剤を常用していたように思います。

感覚を鋭敏にさせるために使用していたかどうはわかりませんが、シャーロックホームズでさえ覚醒剤の使用をコントロールできないのですから、一般人にコントロールできるはずはないのです。

覚醒剤を撲滅する事は、法治国家に於いて最優先の課題です。
なぜなら法を認識できない状態の者を、法で律した社会生活をさせる事はできないからです。

かといって現在のフィリピン大統領のやり方がベストだとは思いません。
でも、フィリピン国民の大多数からは支持を得ているのも事実。
そこまで人間の尊厳を奪ってしまう薬を、蔓延させてきた歴代責任者の罪は重いでしょうね。

大ナタ振るう前に、撲滅する姿勢で取り組むことが必要です。

オーバードラッグで、才能あるアーティストが死んだり無能になっていく様を見るのは、もうこりごりなのです。











人生は長いようでやっぱり短い

2016-11-30 06:30:02 | Weblog
最終段階に入らないと、中々わからない事ですが、やはり人生は短い。

生まれて30年間は出会いとその取捨育成、人間の基礎づくりに費やしてきたように思います。

30年もかかってしまったのは、わたしの楽観的で計画性の無い性格によるところでしょうね(笑)

そのあとの30年は音楽の仕事に全力で取り組んできました。
30年の間なんとかやってこられたのは、仲間に支えられ、そして運がよかったと言わざるを得ません。
わたしのチカラでなんとかなった事なんて、最初の種まきと、それから30年間の水遣りだけです。

日照りになれば水を多くし、雨降りが続けば土が流れないようにしたぐらいです。

なるようにしかならないし、かといって何もしなければ、別の道へなるようになっていくのです。

結局、思った通りにの結果にはならないけれど、努力をすれば大まかそっちの方向にはなんとか姿勢を変えることぐらいはできる。

姿勢が変われば、波や風、潮目を見極めて、ゆっくりと動き出すこともできますからね。

諦めず、焦らず、結果を急がなければ、多少辛いことはあっても、それを乗り越えるだけの価値があるのが仕事ってもんです。

もし辛いだけなら、別な道を選び直せば良いのです。

それだけです。

でも、短気は損気。

焦ってはいけませんよ。

さて、これからの30年は、基礎づくりの30年間で培ってきた物を、再始動させていく事になります。

60年かけて、ようやく計画的になれました(笑)

これまでの60年間を見つめ直すことで、自分は何をするために生まれてきたのかを、ようやく知る事になったのです。

長っ!

時間かけすぎっ!


これからの30年間も、新しい事にチャレンジしていかねば。

辛い事や悲しい事があったとしても、それを凌駕する素敵な出会いがあるはずですからね。

『出会いを求めて』って文字にすると、なんだか変だなぁ〜(笑)

でもね、人も含めて、何かと出会う事以外に楽しい事なんでありませんからね。










『恩』

2016-11-30 05:44:52 | Weblog
人は沢山の人の愛情や思いやりを受けて育ちます。

それらをまとめると『恩』

その『恩』に報いる事を目標にして、日々生きている人も多いものです。

ではどのように生きれば、その『恩』に報いることができるのでしょうか。

それは人それぞれに違います。

具体的に違うでしょう。


ごく稀に『恩』を受けた事を意識できない人もいるものです。

受けてこなかったはずはないのに、認識できない。

これはもう病気状態です。

重大犯罪の報道を知る度に、犯人や事件を起こした当事者は『恩』を感じることができない人間なのではないか、もしくはそんな状態だったのではないかと考えてしまいます。

社会の中で支えられて生きているのに、その社会を大切にしない。
逆に大切な社会を壊してまで、自分の我を通そうとする。

そんな瞬間に、『恩』と言う文字は吹き飛んでいるのかもしれません。

多くの人から受けた『恩』を常に思い、関わる全ての人に思いやる生き方を心がけたいものです。

それが、受けた『恩』へ報いる事だとわたしは思っています。

先達がカンテラ持って道筋を示さねば、若い人たちは迷ってしまうばかりですからね。

わたしも、先達に進むべき道を示していただいたのですから、その『恩』に報いねばなりません。

悩みながらも、カンテラの『灯』だけは消さないようにしたいものです。