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そこかしこに前衛書、、、
『前衛書あたり』しました、、、(笑)
墨の香りは、額に入っていても、大量になると独特な匂いになって漂います。
それは前衛書も古典も同じように思われますが、ちょっと違います。
体験しないと分からない匂い、、、
でも、『前衛書あたり』の原因は独特な墨の匂いではありません。
『むき出しの渇望とそのエネルギー』にあてられたのです。
丸裸になってでも、吐き出したり晒したい気持ちや訴えたい事が、多くの大人にある事実に胸がしめつけられました。
私にもあるのかもしれないけれど、平和な時代に、こんな露出のさせ方はできないだろうと思うからです。
もちろん、ポーズや形として『前衛書』と言うスタイルで書いた人もいるでしょう。
でも多くの作品は、やり場のない何か凄いものを表しているように感じました。
それは『精神の安定を求める書』としての機能を果たしていましたが、芸術とは異質の部分が多いようにも感じたのです。
山下洋輔の『肘打ち鍵盤』や、ジミヘンの『火祭りギター』をいきなり見せられ続けている感覚です。
ピークだけを捉えている作品ばかりでしたが、好きな人にはがっちりヒットするのでしょうね。
わたしにもよい刺激になりました。