展覧会で写経が展示されていることがあります。
年末の大掃除の時、畳の下から古新聞と一緒に湿気よけとして使われていた写経が出てきたとしたら、その価値に気づける人はどれだけいるでしょうか?
畳の下に写経を敷いた人には、バチが当たっている事でしょうね。
もちろん肉筆なので、『?』と思う人はそこそこいらっしゃるとは思いますが。
古筆写経の価値は、書き手の立場と高い人間性や品格、それぞれの時代が影響するひっ迫性ある願い事によると思います。
現代日本人の我々は、日本列島に住んできた何千、何万年と言う歴史の中で、一番豊かな時代に生きています。
心が豊かであるかどうかについては異論が多いところですが、人間が生きていく上で最低限必要な、衣食住に関しては誰もが認めるところだと思います。
しかもそこに最先端の医療までプラスされるのですから、無駄であったとしても長生きできます(笑)
私たちはとても幸せな時代に生きているのです。
しかしその分、祖先の苦しみや悩み、不安などを想像することは難しいのです。
飢饉や疫病による、仲間や家族の死、、、
戦乱による荒廃、、、
無知と知ることの恐れが作り出す壁、、、
宗教に救いを求め、そこにすがる祖先の真摯な願いが、写経の一文字一文字に込められています。
お経や宗派の違いはあっても、その楷書一文字一文字の重さに、尊さを感じるのは自然の流れでしょう。
京都国立博物館で見た『国宝』の中にも、写経が展示されていました。
それは表具の技術や紙の出来栄えも特筆されるところなのでしょうが、『仏作って魂入れず』ではない仏像を見た時と同じものを感じました。
仏師の願いも写経を書いた者の願いにも、一点の曇りもないのですから。
展覧会で私は音声ガイダンスを借りません。
自由に動けなくなるからです。
ならば文章で示してほしいとも思いますが、長すぎる説明文は邪魔です(笑)
ざっと見て、感じるものを記憶して、図録を購入して、後から記憶と照らし合わせて楽しんでいます。
ですから自宅にはこの結構分厚い図録がズラッと、、、、
この『図録』、書籍ではありません。
カタログです。
書籍になると著作権料がとられるのですが、カタログや図録となるとそれは免除されるので、書籍より安価な価格設定にできるのです。
そこに問題あり!として、図録からも著作権料を取るべきだとする意見も多いそうですが、『図録ファン』(笑)としては困ります。
古筆はまだしも、絵画系はかなり高くなりそうです。
最近では分厚い『図録』を入れて持ち帰れるサイズのトートバッグも抱き合わせて売っていますが、あれは卑怯だ!
どーしても買ってしまう、、、
しかも、折りたたんで別な袋に入れて渡されることもあって、『図録』の持ち運びとは関係ない事も多いのです。
ま、買った人にとっては記念である事も多いでしょうから仕方ないのかもしれませんね。