悠翠徒然

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ありがとう!

2019-06-24 11:43:57 | Weblog


二日フライングだけれど、rinkydinkstudioの諸君からケーキをいただきました〰

いくつになっても嬉しいものですねぇ

ありがとう!

最高にカッコよかったライブ!

2019-06-24 06:26:15 | Weblog
1970年後半、学生会館大ホール最前列でかぶりついて見た、RCサクセションだと思う。

自分も立った事のある学館大ホールのしょぼい音響と照明なのに、なんでこいつらこんなにカッコいいんだ!!!

腕の違いに愕然とすることも忘れて大興奮!(^○^)

なぜ今朝、忌野清志郎の事を思い出したのだろう、、、

不思議、、、。


今自分の立っているステージを見て、同じような衝撃を受ける人がいるだろうか?

居ないだろう、、、

反省、、、。


紙と格闘するROCKスピリッツを見せる必要があるの無いのか。

それを求めている人はいないかもしれない。

けれど、記憶の片隅に残して、壁にぶち当たった時に思い出してくれたら、少しは役に立つ事もあるかもしれない、、、。

鵞敬先生や鵞翠先生の姿勢、筆遣い、呼吸、身体の使い方、そして言葉、、、

思い返せば色々な映像や音声、そして空気とそこの匂いが蘇ってくる、、、。


ROCKスピリッツで書道している者は、世界で私一人だけだろう。

その自覚と自負を忘れてはいけない。

『唯一無二の書を目指せ』

二人の恩師にそう言われているようでならない。

勝手な思い込みですらエネルギーに変える事ができるものだ。

それを私はROCKで経験し、知っているのだから。
















器を広げよ!

2019-06-24 05:30:03 | Weblog
大人になってから命令されるような事ではないけれど、大人にら常に意識しなければならない事ではあります。

では、なぜ器を広げなければならないのでしょうか?

それは、その中には器の小さい人がたくさん居て、そんな人達からの防衛本能的な攻撃に屈することのないようするのが半分。

もう半分は、そのような人が防衛本能を発動させなくても済むような環境を作ってあげるのが半分。

前者は自分の為ですが、後者は利他的な思想であって、両者は相反する様でいて、実は表裏一体だと思うのです。

親が子を思う気持ちに似ているかもしれませんね。

当たり前ですが、成長過程にある子供は心身ともに器が小さい。
それを親が保護者となって、責任を持って教育し、社会性のある大人にした後も、その関係性は永遠に続くのですから、こりゃもう大変(^○^)

無償の愛がなければ親は務まりません。

器、広いですよね。

他人に対してそこまでできる人は、聖人の域に達している希少な存在。

社会の宝です。

ごく一般的な我々がそこまで器を広げる事は、とても難しい事です。

しかし、しっかりと生きてきたご老人には、そんなご褒美が待っていると思うのです。

つまり、対人だけではなく、生きとし生けるもの全てに対して、無償の愛を感じる『老人力』です。

年齢重ねて動物だけでなく植物にも興味が湧いてきたら、それはもう『老人力』の芽が出てきた事なのです。

つまり、器が広がっている状態になっている。

無理やり広げようとしなくても、しっかりと生きる事の積み重ねをしていけば、自然に無理なく器を広げる事ができるのです。

意識すべきは『器を広げる事』ではなく、
『しっかり生きる事』だと思うのです。

今器が小さくても、狭くても、それは仕方のない事です。
しっかり生きていけば、必ず身につく『老人力』は信じて間違いなしです。

なぜ?

そりゃ周りのご老人全てにそう感じるからですよ。

素晴らしきかな、老人力!



無理やり器を広げようとすると、こんな器になさなっちゃいますよ(^○^)



『無理なく自然に、が一番!』

ですよね。