大人になってから命令されるような事ではないけれど、大人にら常に意識しなければならない事ではあります。
では、なぜ器を広げなければならないのでしょうか?
それは、その中には器の小さい人がたくさん居て、そんな人達からの防衛本能的な攻撃に屈することのないようするのが半分。
もう半分は、そのような人が防衛本能を発動させなくても済むような環境を作ってあげるのが半分。
前者は自分の為ですが、後者は利他的な思想であって、両者は相反する様でいて、実は表裏一体だと思うのです。
親が子を思う気持ちに似ているかもしれませんね。
当たり前ですが、成長過程にある子供は心身ともに器が小さい。
それを親が保護者となって、責任を持って教育し、社会性のある大人にした後も、その関係性は永遠に続くのですから、こりゃもう大変(^○^)
無償の愛がなければ親は務まりません。
器、広いですよね。
他人に対してそこまでできる人は、聖人の域に達している希少な存在。
社会の宝です。
ごく一般的な我々がそこまで器を広げる事は、とても難しい事です。
しかし、しっかりと生きてきたご老人には、そんなご褒美が待っていると思うのです。
つまり、対人だけではなく、生きとし生けるもの全てに対して、無償の愛を感じる『老人力』です。
年齢重ねて動物だけでなく植物にも興味が湧いてきたら、それはもう『老人力』の芽が出てきた事なのです。
つまり、器が広がっている状態になっている。
無理やり広げようとしなくても、しっかりと生きる事の積み重ねをしていけば、自然に無理なく器を広げる事ができるのです。
意識すべきは『器を広げる事』ではなく、
『しっかり生きる事』だと思うのです。
今器が小さくても、狭くても、それは仕方のない事です。
しっかり生きていけば、必ず身につく『老人力』は信じて間違いなしです。
なぜ?
そりゃ周りのご老人全てにそう感じるからですよ。
素晴らしきかな、老人力!
無理やり器を広げようとすると、こんな器になさなっちゃいますよ(^○^)
『無理なく自然に、が一番!』
ですよね。