昔から瞬発的な集中力には自信があったのだけれど、集中力の持続には全く自信がない、、、
多分それを親も分かっていて、小学生一年生の私の手を引いて、近所の書道塾に通わせたのだと思う。
まさかその書道塾を継ぐとは思わなかったけれど、、、、
人生は全く予想不可能、、、
この先も?
そう思うと、少し不安も湧いてくるけれど、新しい出会いへの楽しみの方が増してきたのはありがたい。
入塾してからかれこれ半世紀以上経ったわけだけれど、それ以降、集中力の持続性が増した気がしない(^○^)
書道塾に行っていなかったらどうなっていたことか、、、
恐ろしい、、、
私の半分は書道でできている。
もう半分は、ROCKだ。
映画と絵画鑑賞は書道の集合に、バイクと車に乗る事はROCKの集合に含まれる。
書道とROCKの重なるところが、私のオリジナル作品。
そこにはもちろん書の作品もあるけれど、一番大きな私の作品は、30年以上続ける事の出来ている会社だろう。
書の作品は書いたあとは燃えかすだ。
書いている時の炎は無く、かすかにその余韻が残っているだけだ。
そこから想像するだけで充分な余韻ではあるけれど、、、。
観る人の感じ方で変わる事はあっても、作品自体は燃えかすなので変わりはしない。
ところが会社はそうではない。
業績の浮き沈みは当たり前だけれど、理念そのものがが歪みそうになる事だってある。
起業した以上、潰れる事だってあるのだ。
会社に働く者の生活と、顧客の利益を守るために潰さない努力をしなければならないのは当たり前のことだが、そこには持久力が必要なのだ。
諦めない持久力には自信があるけれど、集中力を維持する事は苦手なまま、、、
それでも逃げるわけにはいかないので、正面突破を目指したり、懐柔策を仕掛けたり、勢いがあれば潔く見えるけれど、その実明晰でない頭で計算された姑息な事ばかりして、その後始末に忙殺される事も少なくはない。
社内の仲間達に対しては正直であるように努めできたけれど、対外的には大風呂敷を広げるし、時には嘘だってつく、いい加減な奴なのだ。
なぜそんな事ができるのか?
ROCK側に少しずれれば済むからだ。
嵐が過ぎ去れば、また書道の集合に立ち位置を変えればいいだけだ。
そんな都合がいい人生が長続きするわけは無く、平成の終わりにとうとう終わった(^○^)
そして令和の始めに、立ち位置を集合体の交わるところから出ない事に決めたのだ。
ほどほどな瞬発力と持久力。
諦めない姿勢はそのままに、でも無理は重ねない事に決めた。
まだ当分は必要とされているようだから、その期待に少しでも応えられるようにだけはしておかないと。
話が逸れているような感じだけれど、逸れてはいません。
実に真っ直ぐな一本道のお話しでした。