長門美保略歷
彼女は幼少より旣に樂才に惠まれ、成長するに及んでその天禀の美聲を磨くべく、日本女子大學校附属高等女學校より上野の東京音樂學校本科聲樂部に入學した。
藝術に對する燃える樣な眞面目な勉強振りは、直ちに當時の聲樂主任故船橋敎授に認められ、特に熱心な薫陶を受け、益々聲樂への研究に邁進した。上級に進んでは、外人敎師のネトケ・レーヴェ氏及びウーハー・ペニッヒに師事し、稀に見る豊かな聲量は外人敎師を驚かし、その天分を寵愛せられ、特に學生として例外の在學中の抜擢を受けて、日比谷公會堂に於ける音樂學校春期演奏會に、マーラー第二シンフォニーのソプラノのソロを音樂學校オーケストラ伴奏、ブリングスハイム氏指揮の許に歌ひ、一躍樂界の注目を牽き、此處に彼女の輝かしい將來が力強く約束された。
昭和八年四月、優秀なる成績にて卒業の際には畏くも秩父宮妃殿下、高松宮妃殿下の御台臨を仰ぎ、御前演奏の光栄に浴した。卒業後はマリア・トル女史に師事して、オペラ歌手として一層の勉勵。
続いて讀賣新聞社主催のオール日本新人演奏會に母校を代表して出演好評を博し忽ち樂界の寵児となり、引き続き第三回音楽コンクールに参加、見事声樂部第一位に入賞し、いよゝその實力を発揮して華々しく樂壇にデビューした。
斯くて堂々と第一線に乗り出して確固たる地位を占めた彼女は、東京に於ける演奏會はもとより、ラヂオ放送に、トーキー映畫に、地方演奏會に出演、到る處で絶讃を博し、聲樂界に万丈の気を吐いてゐる。
昭和十一年五月、日比谷公会堂に於ける彼女の第一回の獨唱會の如きは超満員の盛況にて、その聲量の豊富、音程の正確さに、各批評家は心よりの拍手を送って彼女を激賞した。
昭和十二年六月の第二回獨唱會は、前回にも增して素晴らしい出來榮えで滿場の人々を魅了した。
この他、主なる音楽會を二つ三つ挙ぐれば、昭和十年六月有楽座開場記念のオペレット『シューベルトの戀』に出演。
昭和十二年十一月及び昭和十三年四月の二回に亙って、ヴェルディのレクイエムのソプラノのソロを新交響樂團伴奏ローゼンシュトック氏の指揮にて出演。
昭和十三年の五月には日比谷公會堂に於て、新交響樂團の伴奏で歌劇『パリアッチ(道化師)』の主役ネッダに扮してその大膽な巾のある熱技は大いに歌劇歌手として迎へられた。
現在キング専属のクラシック専門の堅実なる歌手として、家庭に、教育界に多数のファンを有し、最近のものには『世界子守唄名曲集』などがある。
家に在つては多くの弟子を養成し、又M・Nサークル女声コーラスを主宰し、東寶映畫俳優の聲樂指導にも當り、此處彼處の音楽會に出演する等、各方面に活躍しつゝ常に己が研鑽を怠らず一意聲樂に精進してゐる。
写真
・ジェルマン・シェツクス氏と共演の音樂會打合せ。(星ヶ岡茶寮にて)
・愛國行進曲發表會に於ける記念撮影(後列中央が長門嬢)
・第一回獨唱會スナップ(A)
・同(B)
・第一回獨唱會に各方面より贈られた花環・花束に埋まった長門美保嬢
・立錐の餘地もなく詰めかけた大聽衆(第二回獨唱會)
・第二回獨唱會に熱唱する長門嬢(コーラス門下生)
・大阪朝日會舘に於て、オーケストラ伴奏で獨唱する長門嬢
・下寫眞は歌劇『道化師』に出演〔昭和十三年五月 日比谷公會堂〕して絶讃を博した長門嬢の舞臺スナップ(右第一幕・左第二幕)
〔長門美保短評〕
・山田耕筰
・堀内敬三
・野村光一
・大田黑元雄
・牛山充
・伊庭孝
・鹽入龜輔
目覺しい進境 ー 長門美保獨唱會を聞く 大田黑元雄 (昭和十一年五月九日附東京朝日新聞朝刊より)
昭和十四年三月三日發行
發行所 長門美保音樂研究所
なお、『私の履歴書 14 文化人』の本人の回想によれば、戦艦長門に招かれ、東京湾を一周したとのことである。る。