るるの日記

なんでも書きます

融合とか中道って、生きたまま無になれる

2022-06-08 09:48:26 | 日記
なんだかお寺に行きたくなってきた。急にお寺に行きたくなってきた~
こういうのが他力とルルはとらえている。他力は心と体を動かす

自我の思いよりも先に体が動き、その体を動かすのが他力。自我の思いにろくなことは無い

だけど

自我は必要性悪
仏は「自我を持つ愚かな凡夫を救いたい」という願いをかかげておられるのだから。凡夫を救うことが仏の救いになるかんじ

仏と自我の融合とでもいうのかな?


自由に選べるのに、なぜ苦難を選ぶのか?

2022-06-08 09:30:07 | 日記
時間を大切に使う
時間を無駄にする
自分を見失わない
自分を見失う
悩む
楽しむ
悲しむ
喜ぶ
正しく生きる
空しく生きる
悪く生きる
健康
病気

どちらにしても
すべては死ぬと消えて無くなるから
そんなことを気にはしない
生きていても諸行無常であるから
そんなことを気にしない
ただ終わっていく時を過ごすだけさ
ケ・セラ・セラ

しかし人は困難を選ぶようだ
「今の自分の思いや生き方」に必要以上に価値を置く
このように「自分は価値が有る」と思い込む奴の正体は業=自我=記憶
こいつは
肉体が死んでも
なかなか滅びない
生きていたときの肉体記憶「生きたい」という渇望を付随して、再び新たな肉体をさがし、宿り、再び人として生まれる
または「生きたい」以外の残念を残していると、霊としてさまよう

全体ルールの中の自由意思だが

なかなか無にはなりたがらない

困難を選択してしまう

時機が熟すまで

生まれかわり死に変わる

せめて仏さまをたよりたい

思いを吐き出したい

2022-06-08 08:46:53 | 日記
今日は日中はお休みで、夕方から仕事。そんな日です。
日中に仕事があると朝から体が自然に動くが、日中の仕事が休みだと、
エネルギーは体よりも心の内側に向き、燃えます

自分を見つめてみる

仏教の教えの真髄は「自分を知ること」。そのためにいろんな宗派の教えがあり、修行がある。「自分を知る」ことは、とても難しいのです。

例えば今わいた思い。その思いは本当の自分の思いではない。玉ねぎの皮の一番表面みたいなもので、その思いの奥奥奥奥に本当の自分の思いの核がある、、と思ったら、玉ねぎの皮を向き終わると玉ねぎ自体が無いように、本当の自分なんて無いとなる。

このことを
仏さまは言う
あるようで無い
無いようである
色即是空
空即是色

自分は無いようで有る
自分は有るようで無い
の本当の意味を考えたい

この世に今ルルは確かに生きている
生きているからには、死ぬことは確定している。今はルルは有るが、生まれる前は無かったし、死んだら無い。生まれて死ぬまでの期間だけ有る
この事実を
どのようにとらえるか
むなしいこと?
救いになる?

今しか見なければ有る
有るのは今だけ
過去、未来は無い
刻々と死に向かう

有る私とは何なのか?
必ず死ぬのに何のために有るのか?
死ぬために生まれ
生まれるために死に
このような輪廻転生をぬけよと
仏さまは教える

やはり無意味じゃん
この世に生まれるよりも
無になった方が楽だよね
だけどなんでヒトは人生は素晴らしいなどと嘘を言うのか?
短絡的だからか?
楽観的だからか?
いいわけか?
錯覚か?
勘違いか?




心の誤りに反応する体「朝のくしゃみ連発」

2022-06-08 07:53:35 | 日記
ほとんど、朝起きたらくしゃみを連発し鼻水がとまらなくなります
短くて1時間
長くて半日
仕事がある日に長く続きそうなときは薬で止める。今日は1時間位でおさまった。

体は何に反応しているんだ?

自分が吸ったタバコ?
気候?
朝の空気?

朝は副交感神経が交感神経に切り替わり、休息から活動気分になる。私がスイッチを押すわけではなく、自然に体がそうなる。その交感神経に反応してくしゃみが出るのだろうか?

朝の体は生きようとしている
夜に休息して充電した生命力を消費したがっている

そうか!

朝に交感神経が働きはじめて活動しようとしているのに、心は反対なことを思っていた

朝目覚めて、あーあれもこれもしないといけない。寝ていたい、面倒くさい、といろいろ思った。そのあとでくしゃみが出始めたから、

心の誤りのシグナルかも
体はよっしゃー生きるぞ
心は寝ていたい
体が正解