今日は日中はお休みで、夕方から仕事。そんな日です。
日中に仕事があると朝から体が自然に動くが、日中の仕事が休みだと、
エネルギーは体よりも心の内側に向き、燃えます
自分を見つめてみる
仏教の教えの真髄は「自分を知ること」。そのためにいろんな宗派の教えがあり、修行がある。「自分を知る」ことは、とても難しいのです。
例えば今わいた思い。その思いは本当の自分の思いではない。玉ねぎの皮の一番表面みたいなもので、その思いの奥奥奥奥に本当の自分の思いの核がある、、と思ったら、玉ねぎの皮を向き終わると玉ねぎ自体が無いように、本当の自分なんて無いとなる。
このことを
仏さまは言う
あるようで無い
無いようである
色即是空
空即是色
自分は無いようで有る
自分は有るようで無い
の本当の意味を考えたい
この世に今ルルは確かに生きている
生きているからには、死ぬことは確定している。今はルルは有るが、生まれる前は無かったし、死んだら無い。生まれて死ぬまでの期間だけ有る
この事実を
どのようにとらえるか
むなしいこと?
救いになる?
今しか見なければ有る
有るのは今だけ
過去、未来は無い
刻々と死に向かう
有る私とは何なのか?
必ず死ぬのに何のために有るのか?
死ぬために生まれ
生まれるために死に
このような輪廻転生をぬけよと
仏さまは教える
やはり無意味じゃん
この世に生まれるよりも
無になった方が楽だよね
だけどなんでヒトは人生は素晴らしいなどと嘘を言うのか?
短絡的だからか?
楽観的だからか?
いいわけか?
錯覚か?
勘違いか?