るるの日記

なんでも書きます

地元の事件簿「拉致ではなく北朝鮮の船に助けられたと主張し、北朝鮮に住んでいる寺越武志さん」

2022-06-07 17:01:53 | 日記
■寺越武志さん
1949年9月21日石川県志賀町生まれの72歳
現在、北朝鮮でキム・ヨンホという名前で生活されています

■1963年5月11日、午後1時頃、13歳の武志くんは、家計を助けるため、叔父の寺越昭治さん(36)、寺越外雄さん(24)と共に高浜港から漁にでました。途中福浦港に立ち寄ってから、午後4時に福浦沖でさし網を入れるところを周囲も確認していました。

夜遅くには港に帰港するはずでしたが、帰らず。翌朝高浜港の沖合い7キロの海上を漁船だけが漂流しているところを発見されました。

船には他の船に衝突されたような損傷と塗料が付着し、網はしかけられたままで、人間だけがこつぜんと消えました。

1週間捜索しましたが、3人は発見されず、消息はつかめず、3人は海に投げ出され死亡したとみなされ、戸籍上死亡として扱われました。
そして3人の葬儀が行われました。

■24年後の1987年1月22日
寺越外雄さんから姉の嫁ぎ先に突然手紙が届きました。手紙には
★3人は失踪後北朝鮮で暮らすようになった
★自分は北朝鮮で家族を持ち3人の子どもがいる
★外雄さんの住所
★外雄さんのキム・チョルホという北朝鮮名
★武志も生存し、結婚し子どももいる
★昭二は北朝鮮に来て5年後に亡くなった
などと書かれていました

姉の夫は本人かどうか確定させる質問をもりこんですぐに返信。その返信で間違いなく外雄の北朝鮮での生存が確定したのです。

■1987年8月、武志さんの母友枝さんは、日本社会党訪朝団と同行し、北朝鮮へ。武志さん、外雄さんと24年ぶりに対面しましたが、あまりの変わりように武志さんの額を確かめました。額にはまぎれもなく武志さんが幼い頃にバットに当たった傷痕がありました

母は失踪した理由を武志さんに聞くと武志さんは「もう、忘れてもた。母ちゃんも、そのことは聞かんといて。これからのことだけを考えて生きていこう」と答えを避けました

■そのあとも、母は何度も北朝鮮にわたり、武志さんに会いました。しかしそれは、北朝鮮から招待状を出してもらい、北朝鮮の特別の配慮に対する感謝の言葉をのべ、北朝鮮に何度も何度も母は頭を下げた結果、やっと監視つきで息子との対面がゆるされた、、というものでした

■母は願いました。「当時13歳の武志は、自ら進んで北朝鮮に渡ったわけでは絶対ありません。武志を一時帰国でいいから、日本に帰したいのです」と

1997年6月3日、石川県は寺越武志さんの一時帰国実現を日本政府に要請する方針を決定しました。

6月27日、石川県議会も寺越武志さんの戸籍回復と、一時帰国を求める意見書を可決。同日武志さんの死亡は取り消され、7月1日戸籍回復され、武志さんは再び日本人となったのです。

7月31日、母友枝さんは外務省を訪問。「寺越武志を帰国させる」との言質を得ました

9月4日寺越武志さんの談話が発表されましたが、、

「34年前、叔父とともに漁に出かけ、思いがけない事故と不注意によって遭難した、、そのとき日本では誰もわれわれを振り返りもしなかった。しかし、共和国(北朝鮮)の漁船が私たちを危機から救ってくれて、私たちは共和国に来ることになった

共和国に在留しながら、人民が主人となった国とはここを言うのか、と思った。

私は共和国の堂々たる公民である。私が今後もし日本を訪問することになれば、共和国メンバーとして堂々と行くことを明確にする。」
、、、

■1998年1月、武志さんは職業同盟平壌市副委員長という大幹部に抜擢されました。
2001年、武志さんの父は訪朝した際にそのまま北朝鮮にとどまり、武志さん一家と平壌で生活しました。

武志さんは拉致ではなく助けられたと拉致を否定していますので、日本政府が認定する拉致被害者には含まれません。

■2002年10月3日、とうとう武志さんは北朝鮮労働党員および労働党団体代表副団長として来日し、石川県の生家に宿泊することが実現したのです。しかし、日本政府関係者からの出迎えはありませんでした。12日後には拉致被害者5人が帰国。(その日は日本政府から盛大な出迎えやマスコミ報道がなされていましたよね)

■武志さんから母ちゃんへの内緒話、、かな?

「俺は、、共和国の人間や。金正日将軍さまのおかげで何も不自由せんと暮らしとる
ほやけど
13歳のときに北朝鮮に渡ったときは、ほんとに親がこいしかった。今俺には子どもがおる。子どもに俺と同じ思いはさせとない。俺に子どもを捨てることはできん」

72歳の武志さん、望郷の念はおきませんか?お母さんは高齢でもう武志さんには会えんかもしれません。。
😭




地元の事件簿「北朝鮮拉致事件・実行犯は逮捕されていたが釈放」

2022-06-07 14:37:14 | 日記
■1977年、石川県能登町宇出津の海岸で、北朝鮮による日本人拉致事件が発生しました。拉致事件後に、実行犯は現地で別件逮捕(外国人登録法違反)されました。自宅からは乱数表や暗号解読表などの証拠を押収し、李は犯行も自供しました

「私は日本人を北朝鮮に送り出すという大きな事件をおこしてしまいました。。北朝鮮に渡った久米さんは、簡単には日本に戻れないことはわかっています。それを思うとたまらない気持ちです。。。自分は北朝鮮の指示どおりやっただけす。。
金が心から憎い。彼は私に、『緊急に日本の戸籍が必要なのだ。後のことは我々を信じなさい』と私に言ったた」と

だが、李は起訴猶予処分で釈放。後に日本人の帰化も許され、日本国民「大山秋吉」として、東京で自営業を営みました

この事件は長年秘匿すべき事項として扱われました。このことが相次ぐ拉致事件を招いたという批判もありますが、この事件を公表した場合、工作員による事件関係者の抹殺や、新たな情報収集の困難をまねき、事件の解決が困難になるというリスクも伴います。警察としては安易に公開に踏み切るわけにはいかない事情がありました

2002年、小泉首相が北朝鮮を訪問した際、金正日は日本人拉致を認めましたが、久米さんについては入国を否定しています

★主犯→北朝鮮工作員・金世鎬(吉田)

★実行犯→李秋吉
李は別の北朝鮮の工作員(吉岡)に脅迫され(北朝鮮に在住している妹にいいことはない、、などと)、利用され、諜報活動などを行っていた

李のように狙われるのは、裕福で親族は北朝鮮に在住している、在日朝鮮人の特別永住者である

★拉致被害者→久米裕さん

★拉致の目的→背乗り
実在する他人の戸籍を乗っ取り、その人物になりすます

■1977年8月10日
金は在日朝鮮人の李秋吉に対し、日本人で独身の45~50歳位の男性を北に送り込めと指令を与えた

李は東京で金融業を営んでいて、客の久米裕(52)に密貿易の話をもちかけ、戸籍謄本をとらせ、能登に誘う

9月18日
李と久米は東京出発
福井県芦原温泉へ

19日
午後2時、宇出津の旅館へ到着
女将は2人の落ち着きのない態度に不信感をもっていた

午後4時50分、石川県警察に「富山湾に不審船が現れた」という情報が入る。県警公安課は緊急体制をしく

午後10時、李と久米は旅館から外出し、宇出津の海岸へ。李は久米を
工作船で迎えに来た北朝鮮の工作員に引き渡した
【女将は周囲に出かけるような場所はなかったので、挙動がおかしい宿泊客がいるとのと警察署に通報していた】




苦悩の気楽さ「光は闇に隠していたすべてを明らかにする」他力本願

2022-06-07 09:41:00 | 日記
この世の日常現象は、神仏世界(全体世界)の比喩現象だと思うの

■「脚下照顧」という言葉がある
自分の脚下を直視するためには
照らさないと見えない

「南無阿弥陀仏と称えれば

如来の光明が

わたしたちの中心に届きます」

物理的には、地球は太陽の周りを回っているので影ができます。そして太陽が沈み夜の暗闇が訪れます。この世のすべては物質だからです。
心的にも全体世界でいつも光の周りを回っているけれど、心には形がないので影、闇、苦悩ができるはずはないんだよね~

■ではなぜできるはずのない、心の影・闇・苦悩ができるのかしら?
それは光があたるからできるのではなく、元々存在するからで
光はそのすべてを照らし出すから
闇のなかに隠しておいた
見たくないもの
閉じ込めておきたいたもの
気づかなかった罪悪
すべてを照らすから
苦しくなるの

■人は水がなければ生きれない
水分補給は大切
その水の元は雨
その雨は雲から降りそそぐ
その雲は、太陽の影響で降りそそいだ地上の水分の蒸発によりつくられる
この永遠の循環と、太陽、水、雲の関係は人を生かすための神秘って思うの。

中道だなあ

だから
光だけを盲信してはいけない
光明だけではまぶしすぎる
厳しすぎる

法雨とは仏の慈悲
人々を潤す慈悲の雨
その雨を降らすためには雲が必要
雲をつくるには光明が必要
永遠の循環

■他力本願的には
先に光明に照らされるから、心に苦悩がわくの。つまり苦悩は仏のはからい。
心に苦悩がわいたから光明を求めるのではないの。苦悩がわいたとき、もうその先に光明の影響でできた法雨が降る循環に入っているのだから、もう救われているの。
仏とは光だけではなく、光→雲→法雨の全体なんでしょう。

この他力本願の筋道を信じないと
光は闇を照らし隠していた苦悩をわかせるだけの害に終わる。

他力本願の筋道を信じると、苦悩がわいたときにもう救われているんだから、自分であれこれはからず、焦らず安心して過ごせる。

他力本願を信じても信じなくても
苦悩はわきますし、他力本願を信じてもご利益はありませーん。それどころか、自分が明らかになることの苦悩を感じます。
しかし私は他力本願の筋道を信じた方が気楽です。