
いろんな青がある。
本当は海や空は透明です。

いろんな赤がある。
本当は海や空は透明です。


いろんな白がある。
本当は雪や雲は透明です。
灯台の白は、いろんな樹脂、溶剤、添加剤、顔料が用いられて
白そのものではない。

■虹は七色です
透明な水滴に、透明な太陽光が入り、屈折・反射したときに七色の虹が見えます。虹の形は円の一部分のような形をしていますね。
太陽の回りに虹がかかるときは
虹は円になって見えますね。
私たちは丸い太陽が見えているから
太陽の回りにできた虹全体が見えるのでしょう。
遠くに存在する太陽や、太陽の回りにできた丸い虹は見えますが、私たちが実際立っている丸い地球そのものは見えません。
虹はいつも地球に丸くかかっていて、水と太陽の何らかの条件が重ならないと、いつもは人には見えないのかも。
見えた虹は円の一部分しか見えない。。
(ホースで水をまくとき、丸い虹ができるけど、、)
あっ!
虹は地球に、円のようにかかっているんじゃなく、球のようにかかっているのか?
まるで地球を覆うように、、、
■ていうか、あたりまえなんだよね。地球が太陽の光や、水蒸気に覆われているのは。
太陽光の熱が、地表や海面の水を水蒸気にし、雲になり天候という現象が現れるんだから。
虹の七色、空や海の青、朝焼け夕焼けの赤、なども「屈折・反射」の影響だと解明されているし。
■真実は解明されない
ではなぜそうなるのか?→解明
ではなぜそうなるのか?→解明
ではなぜそうなるのか?→解明
、
、
疑問と解明が続くけど
原因をさぐりつづけると、「なぜそうなるのかわからない、、」に突き当たる。
きっと
広大な宇宙の精密なはたらきや
微細な身体細胞、神経のはたらきなどは、解明されないでしょう。なぜなら解明された瞬間に「では、なぜそうなるのかわからない」が生まれるんだから。
真実は解明されたという言葉の影に隠れてしまう。
■ところどころに真実の比喩は見える
神仏の智慧は人間脳を上回る
神仏のはからいは、人間のはからいを上回る。人間がどんなに頭や手をつくしてもかなわない。
かなわない。
だけど、、
虹は全体世界の比喩であると思う。
虹は、追っかけても絶対に一定の距離を保っていて、追いつけない。
虹は七色
虹の形は円の一部分に見える。
虹は本来は透明で球体。
それを球体の眼球で見る。
球体とは
円満の比喩
「すべては満ち足りて欠けたところがない。私たちも。」
地球は球体。水滴もシャボン玉も球体。すべて透明。
眼球は球体。
卵子は球体。
受精卵は球体。
このように、この世のあらゆる現象には、全体世界の真実を表現している。全体世界に本当がある。
■全体世界の秩序・調和させる力
全体世界には
透明な天空の光がある。
天空光はすべてを照らす。
■一部世界(この世)の秩序・調和する力
一部世界のこの世の地球には、
透明な水と、透明な太陽の光が有る。
水という液体は上から下に流れる性質と、太陽の光によって液体から気体に変化し、下から上に上がる性質を持つ。
それが
【一部世界の秩序・調和する力】
これは
真実の比喩
真実は
すべては、全体世界の他力である「させる力」によって
私たちの「する力」が動く
私たちの持つ「心地よく生きる」力は、他力の「心地よく生きさせる力」によって動く
■地球は太陽で作られた水世界
太陽光がなければ、地球上から何もかもが無くなる。天候が無くなる。水が無くなる。生物、植物が無くなる。
無くなることがないように、全体世界は一部世界を秩序・調和させ、一部世界は秩序・調和している。
この世は水世界だが、太陽が先になければなりたたない。
水が太陽より先に存在した、はありえない。
太陽があったから、水の存在する地球が生れた。
それとも同時に生まれたか?
光に照らされる地球の水は、生物を発生させた。
煩悩、自我、業を持つ人間を発生させたけど、生まれてくる生物に煩悩があろうと、なかろうと水には責任はない。水は水自体の秩序・「調和する」と、全体世界の秩序・「調和させる」に「合致」して流れているだけだから。水そのものとして。
七色の虹は、光が水蒸気に入り屈折反射してでき、数分後は消滅する。これが煩悩、自我、業を持つ人類を現している。。ようにルルはかんじます。
虹は偶然に発生するようにみえる。だけど、本当は原因と縁が整った結果の発生です。原因にはそのまた原因があり、過去から虹がその時に発生するという筋道があった。
人もそうだと思うの。偶然に今の環境にオギャーと生まれ落ちたわけではなく、筋道があった。
原因があった。
縁があった。
人として生まれてきたのは
屈折・反射現象。
私たちの本質は光による無量の水蒸気。
光が水蒸気に屈折・反射しなければ
虹は存在しないが、
虹があろうと、なかろうと
いつも、光と水蒸気はある。
透明で無な光と水蒸気は、全ての生物、植物を生み出す。
ではなぜ人は煩悩を持ち、苦悩しなくてはならないの?
この世は水世界だからだ。
水は本来透明無色。
だが、色が混じった泥水もある。
無色透明だからこそ色がつく。
虹もそう。
これも、
全体世界的な秩序・調和である
無色透明には色がつく。
一本の川すじでも、場所により色んな色がある。同じ場所でも時によって色は変化する。常がない。だが、水は水。本来は無色透明。水は太陽の光によって下から上に上がり、秩序・調和をまっとうする。泥水でも清い水でも平等に光によって透明な水蒸気に変わる。
だから
泥水のままで、
他力にまかせて!
泥水状態のままで!
本来の透明なあなたに上がる!
無だ
仏法では
人として生まれるのは広大な海岸にある砂の一つまみくらいの確率で、人として生まれてきても、仏法に縁するのは機縁(機根・原因・条件が整った結果)であり、縁したくてもできずに終わる人多数だと説く。
縁した仏法の教えのなかで、
ルルは他力本願を選択した。
私はいない。あるのは他力の導きだけ。
長々と思うままに書きましたが
要するに
だるいとき
やる気がないとき
つらいとき
自ら、はからわず
他力本願におまかせしましょう
仏のはからいにおまかせしましょう
光明に当たりましょう
そして思うがままにいきましょう
私たちの種子である「心地よく生きる力」と、他力の「心地よく生きさせる力」を合致させて、そして思うがままにいきましょう🎵
プラスマイナスゼロ