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吉目木晴彦『寂寥郊野』(文学表現と思想の会へのリポート)

2015-06-02 10:57:17 | 読んだ本
    吉目木晴彦『寂寥郊野(ソリテユード・ポイント)』
       (「吉」は本来は「土」に「口」)     松山愼介
 吉目木晴彦は「群像」新人賞優秀作に入選し、その作品『ジパング』が「群像」一九八五年六月号に掲載された。この作品は行がえに変化をつけたり、活字の配置をある部分だけ二段組にしたり、三角形状にしたりしていて、高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』(「群像」一九八一年十二月号)とよく似ている。同じ頃、村上春樹は長編『羊をめぐる冒険』を、また糸井重里と『夢で会いましょう』を書いており、村上龍は『コインロッカー・ベイビーズ』を発表している。
 この時期に吉本隆明は一九八二年から一年間雑誌「海燕」に、後に『マス・イメージ論』としてまとめられる文芸時評を書いている。吉本はそのモチーフを単行本の「あとがき」に《カルチャーとサブカルチャーの領域のさまざまな製作品を、それぞれの個性ある作者の想像力の表出としてより、「現在」という巨きな作者のマス・イメージが産みだしたものとみたら、「現在」という作者ははたして何者なのか、その産みだした製作品は何を語っているのか。これが論じてみたかったことがらと、論ずるさいの着眼であった》と書いている。この論考は中島みゆきや萩尾望都を文学と同列に論じ物議をかもしだした。文学の課題が個々の製作者より、「現在」という高度資本主義社会にあると論じたことは八〇年代の特徴をよく捉えていたと思われる。その後、吉本は、大衆の生活が良くなることは無条件に良いことだとして高度資本主義社会を積極的に支持し、一九八四年九月に雑誌「アン・アン」にコムデギャルソンのモデルとなって登場し、それに古典左翼埴谷雄高がかみつくことになる。
 このような吉本の認識を『寂寥郊野』の序章ともいえる『ルイジアナ杭打ち』の「解説」を書いている風丸良彦も共有している。彼によると、七〇年代から八〇年代にかけて我々は「アメリカに向かう小説」、「アメリカに向かう世代が書いた小説」に接してきた。そこには「ただモノだけは溢れるほど豊かな」アメリカに対する憧憬があった。ところが八〇年代以後、日米の貿易構造が逆転し「日本がアメリカの物質的な豊かさを崇める時代は完全に終わってしまった」。《𠮷目木晴彦の登場はアメリカ的なものの衰退と時を同じくしている。リチャード・ブローティガンの影響を受けた断章を基本とする文章は、重いテーマを風通しの良いものにするとともに、外部的なものを媒介にして日本に食い入る、作家の無意識化された意識と見事に符合しているように映る》。
 単行本『寂寥郊野』に収録されている『うわさ』は、団地住まいの家族が他者に感じる恐れを描いている。『ジパング』で日本というものを書ききった吉目木晴彦は『ルイジアナ杭打ち』でルイジアナ州での、白人と黒人のはざまに生きるアメリカ社会に恐れをいだく日本人少年を、おそらくバトンルージュでの体験をもとに描いた。文章は完成度が高いと思われるが、方法的にはリアリズムに後退したようだ。ここにも戦争花嫁のマチコさんが登場する。朝鮮戦争時に空軍パイロットだった夫と知り合い結婚する。子どももできたが夫が訓練中の事故で死んでしまう。夫の実家のあるバトンルージュに行くが「日本人を家族として認めるわけには行かない」と拒絶され、遺族恩給で暮らすことになる。『寂寥郊野』の幸恵のアルツハイマーも、アメリカ社会に対する恐れを象徴しているのだろう。
 映画『ユキエ』(松井久子監督)では、夫と萩市の見島で知り合ったことになっている。映画では隣にベトナム帰りの心を病んだ元兵士が住んでおり、幸恵の姿を見ると「ベト、コン」とつぶやく。農薬の散布による被害で夫の会社が倒産するのだが、おそらく同僚が製薬会社からお金をもらって夫を裏切ったのだろう。映画では夫は、この裏切りが幸恵の心の病の原因だと考え、農薬による健康被害は、自分たちの農薬が原因ではなく、ずっと以前に撒かれた農薬が原因だということを立証しようとする。それが幸恵の心の治療になると信じている。この松井久子監督の解釈は納得させられた。この監督は介護、女性の人権、フェミニズムをテーマにしているようで、五月三〇日から大阪第七芸術劇場で四作目の『何を恐れる』が上映されるとのことである。映画『ユキエ』も介護の啓発の関係で自主上映されたようで大阪市立図書館に三本もビデオがあった。
 戦争花嫁といえば、その種の女性が、アメリカ兵と深い関係になって、アメリカへ渡ったという思い込みがあったが、それは少数派らしい。日本に駐留しているアメリカ軍基地で働いていた女性とか、今でいう合コンみたいなのがあって、普通に恋愛して結婚してアメリカへ行ったケースが多かったという。その数は数万人に及んだという推計もある。海を渡った花嫁は大変な苦労をしただろうと思われる。
 昔、『戦争を知らない子供たち』という能天気な歌が流行ったが、団塊の世代は父の背中を通して戦争を知る世代といえよう。吉目木晴彦も親族の誰かを通して朝鮮戦争を知る世代といえるのかも知れない。
『寂寥郊野』という題名は農薬でだめになった農地でもあり、幸恵の病んだ心をも暗示しているのかも知れない。
                           2015年5月9日

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