もうすぐ、職場で水泳学習(プール)が始まる。
そこで、過日、いわゆる「AED」の使用についての講習会を受けてきた。
もう少し前、職場にいる「アレルギー」をもつ児童のための、いわゆる「エピペン」の使用について研修を受けた。
これから、夏に向かって「熱中症」のリスクが高まる。
いろいろ情報を得て、対策を考えていきたい。
とは、言ってみたものの、いざ実際の使用や、処置の場に立ち会ったら、どうなるのか?という疑問がある。
正しく「AED」や「エピペン」を使ったにもかかわらず、対象児童が不幸な結果になった
ら・・・?
明らかに熱中症だとわかっていて、きちんと処置をしたにもかかわらず、「セクハラ」を疑われたら・・・?
善意で相手の生命を第一に行動したにもかかわらず、その結果が不幸なものになったり、処置をした結果、大事には至らなかったが、それ以外のところで、訴えられたら・・・。
私はそういう不安を感じている。
何より、この国には、いわゆる「善きサマリア人の法」がない。
だから、仮に「AED][エピペン」「熱中症の処置」・・・等々、学校での教職員の「善意」の行動も、そのいちいちが「訴訟」などの対象になってしまう。
これらの疑問を管理職氏に問い合わせたところ
「それで、裁判になることはないし、裁判になったとしても、負けることはない。」(主旨)
と、何とも「お気楽」な言葉が返ってきた。
刑事でも、民事でも「裁判の被告人」になるということは、過酷な「社会的制裁」が待っているということである。
そして、長期の裁判を闘い、「無罪」を勝ち取ったり、賠償責任がないことが認められても、「社会的制裁」からの回復については、誰も責任を負ってくれないのである。
何度でも言う。
「教育現場にこそ『善きサマリア人の法』を!」
(注)「善きサマリア人の法」
「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない」というもの。アメリカやカナダで施行されている。
-K.O-
そこで、過日、いわゆる「AED」の使用についての講習会を受けてきた。
もう少し前、職場にいる「アレルギー」をもつ児童のための、いわゆる「エピペン」の使用について研修を受けた。
これから、夏に向かって「熱中症」のリスクが高まる。
いろいろ情報を得て、対策を考えていきたい。
とは、言ってみたものの、いざ実際の使用や、処置の場に立ち会ったら、どうなるのか?という疑問がある。
正しく「AED」や「エピペン」を使ったにもかかわらず、対象児童が不幸な結果になった
ら・・・?
明らかに熱中症だとわかっていて、きちんと処置をしたにもかかわらず、「セクハラ」を疑われたら・・・?
善意で相手の生命を第一に行動したにもかかわらず、その結果が不幸なものになったり、処置をした結果、大事には至らなかったが、それ以外のところで、訴えられたら・・・。
私はそういう不安を感じている。
何より、この国には、いわゆる「善きサマリア人の法」がない。
だから、仮に「AED][エピペン」「熱中症の処置」・・・等々、学校での教職員の「善意」の行動も、そのいちいちが「訴訟」などの対象になってしまう。
これらの疑問を管理職氏に問い合わせたところ
「それで、裁判になることはないし、裁判になったとしても、負けることはない。」(主旨)
と、何とも「お気楽」な言葉が返ってきた。
刑事でも、民事でも「裁判の被告人」になるということは、過酷な「社会的制裁」が待っているということである。
そして、長期の裁判を闘い、「無罪」を勝ち取ったり、賠償責任がないことが認められても、「社会的制裁」からの回復については、誰も責任を負ってくれないのである。
何度でも言う。
「教育現場にこそ『善きサマリア人の法』を!」
(注)「善きサマリア人の法」
「災難に遭ったり急病になったりした人など(窮地の人)を救うために無償で善意の行動をとった場合、良識的かつ誠実にその人ができることをしたのなら、たとえ失敗してもその結果につき責任を問われない」というもの。アメリカやカナダで施行されている。
-K.O-